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■龍馬が語る『龍馬百話』~第八章「暗殺①」~

いよいよ今回は、第八章「暗殺①」です。第71話「新官制擬定書」から。

【第71話 新官制擬定書】

大政奉還が成ってすぐ、私は戸田くんたちの協力を得て、新政府の職制案作成に取り掛かった。その案には、関白に三条卿、内大臣に慶喜公の名を連ねた。慶喜公の名を載せたのは、彼の英断に万感の謝念を込めて推薦したものだ。

そして、ここに私の名前はなかった。それを見た西郷さんに「龍馬さんはどうするつもりか」と問われたのだが、その時に私の答えた言葉が後に話題となったようだ。「私は、窮屈な役人になるのは性に合わないんですよ。ですから、そうですね、世界の海援隊でもやろうかな、と思ってますよ。」

【第72話 三岡八郎】

新政府誕生のため、最後に講じなければならぬことは経済策であった。政権を執るためには財政権の基礎確立が重要であって、ましてや今回は、久しく政権から離れていた朝廷であるから尚更なのだ。そこで私が白羽の矢を立てたのが、越前福井藩の三岡八郎だ。

すぐに福井へと向かい、三岡と面会した。徳川政権返上の次第、朝廷の事情などを伝え、新政府の財政策や兌換紙幣の発行まで語り合った。これは午前8時から翌午前0時まで、延々16時間にも及んだものだ。こうして三岡が示してくれたことを、私は岩倉卿に伝えたというわけだ。

【第73話 万一の時は】

大政奉還成功の知らせを、私は近江屋で聞いた。土佐藩を二度も脱藩した私は、土佐藩邸に入るわけにもいかずにいたのだが、それは甚だ用心が悪すぎる、と吉井幸輔から伝言があった。

すぐにでも薩摩屋敷に入れ、とも言ってくれたが、それは土佐藩に対して嫌がらせのようになってしまうから、よろしくない。だから、もし万一のことが起こった時には、ここで一戦交えたうえで、土佐屋敷に引き籠ろうと考えていた。

【第74話 世界の話】

私は陸奥陽之助という男をとても信頼していたし、私の片腕としてその才能を存分に発揮してくれた。お互い気のおけない仲だった。大政奉還後の当時にあっても、おもしろい話やおかしい話は実にたくさんあったし、そしてまた世界の話もしたいことを、陸奥への手紙には書いたものだ。

【第75話 死の数日前】

私は死の数日前、林謙三に宛てて手紙を残している。そこには、永井尚志に面会し、議論したことを記し、彼はまさに私の同心であることも伝えている。

そしてまた、林謙三の身を案じつつも、「行動すべき時はまさに今なのだ」と自分自身に言い聞かせてもいたのだ。そして私は、その時に至ってもまだ、蝦夷地開拓の夢をあきらめてはいなかったのだが・・・。

(「暗殺」つづく)