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写真集「連師子」ができるまで ー #2 どう撮るのが正解なのか


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写真集「連師子」ができるまで ー #1 穴の空いた写真

「君が写真家だって?おいおい。〇〇先生知ってる?」
ちょうど写真集の制作中に開いた、別の作品の展示会場でのこと。
作品を見ずに、というより僕の顔を見てすぐに始まる「あれ」だ。。。
「あなたモグリじゃないの。何歳?」
突然目の前で罵倒をはじめた初老の彼とは初対面。名前を聞いても名乗らない。
「僕は〇〇寺で展示したこともあるんだよ。一緒にしないでくれ。」
国内では、結構な確率で遭遇するマウントコミュニケーション。
どうぞ、紳士的であれ。

これは、自分のストレートなドキュメンタリー作品に限界を感じていた30代の写真家が、様々な出会いや挑戦、試行錯誤を経て、写真集を国内外で販売するまでのお話です。

縦横約2mの木製の収納棚。
寒い手を揉みながら、昔の舞台写真、パンフレット、記事のスクラップブックを選り分ける。
「そんなもんじゃないのよ。大分処分したんだけどね、まだこんなに残ってて。」

膨大な人生の断片の中で、僕が特に気になったのは、幼少〜成人期の家族アルバムだった。
必要なページだけを破って持って来たかのようなバラバラのページたち。特に、家族写真が極端に少なく、父に至っては皆無、笑顔の写真もほとんど無かった。
これらの写真は、一時期、雨風にさらされる環境で保管していたのだという。

「このノートにある菊千恵っていうのは、どんな方なんですか?」
「そりゃ私よ」
何十冊もの稽古本の表紙には、当時彼女が学んで来た演目の内容や注意点が記されていた。

「尾上菊千恵→尾上菊奈緒→金崎二三子→やまとふみこ」という風に、舞踊家としての名前を変えながら活躍して来た彼女。それは出世魚のようなサクセスストーリーかと思ったが、話を聞くにつれ、単なる名前の代謝ではないことを知った。
過去の自分との別れ、師匠や弟子との別れ、支援者たちとの別れ。
繰り返し、繰り返し、新しく生きる覚悟。

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のちに完成する写真集では、ある手紙が登場する。
存在すら知らずに育った実父の手がかりを得て、彼女は父を関西公演に招待した。
父は手紙を見て、本当に舞台を見に来てくれたという。
「テレビみたいなお涙頂戴はないのよ。あぁ、この人が父か。っていう確認作業でね。」
「ずっと後になって知ったんだけど、それから数ヶ月後には、病気で亡くなったらしいの。」
再会もまた、その後二度と会えなかったという別れがついてまわる。

手紙の内容や、父の背格好、交わした言葉を詳細に記憶にとどめていたことへの驚きと、人生の無情さを思うと、僕は何をどう順番にリアクションして良いのか、全く分からなくなった。

それからしばらく、僕は過去の出来事について、写真でアプローチする方法を研究した。
再現写真を撮る?連想させるような写真を撮る?
写真である必要はあるのか?
写真て何なんだ?
人が心に秘めてきた世界を、どうやって僕は見せればいいのだろうか。

タブレット端末を見つめながら、次の奉納の日程をFacebookで共有する彼女。
「この歳(当時74歳)になってね、体に痛いところが出てくるし、目も悪くなって物が見づらいこともある。それでも、何の苦労も無く踊れていた若い頃よりも、上手に舞えるのよ。若い頃は力が入りすぎていたのかしらね。」と教えてくれた。 
「楠本さんもどこか私に似てるわね。」

鮮明に残る情景。
輪郭は捉えていても、詳細を判別しづらい現在の視界。
曖昧でとらえにくい愛情のかたち。

取材で得た様々なヒントに導かれるようにして、僕は最終的にピンホール写真のイメージが一番しっくりいくように思えた。

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いろんな正解と、個々の正義はきっと誰のどの世界にもあるのだろう。
ただ、そういうのを度外視するに足る理由を、このとき僕は信じることができた。この作品に必要な要素なんだと。

そしてそれは、数年かけて撮影してきた何万枚もの写真のほぼ全てを「写真集では使わない」と決断することを意味していた。


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