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モモコグミカンパニーに文章を読んでもらいたい話

勢いで『ある方』にファンレターを書いてしまった。
今、このnoteも勢いで書いてしまっている。
そして『文章をあわよくば本人に読んでもらえないか』
そんな願望も出てしまった。
この気持ち悪い社会不適合者の乱文を暫しの間、お付き合い願えないだろうか…。


子供の頃から僕は本が好きだった。
小・中学生の頃はゲームのできない時は本を読んでおり、小学6年生の時は小学校の図書館で『最も本を借りた人』になったくらいだ(漫画本も含むけど…)。
好きな本は「ズッコケ三人組シリーズ」であり、全50冊を読破したくらいには読んでいた。
今でも無人島に持っていきたいものの一つとして「あやうしズッコケ探検隊」という本を持っていきたいくらいだ。

そんな子供の頃にそこそこ本を読んでいた僕は、高校受験を境に突然本を読まなくなってしまった。
大学の頃に読んだ文庫本は恐らく20冊もないんじゃなかろうか…。
来る日も来る日も酒やタバコやドラッグに溺れていた。
と、ついスカして書きたくなったがタバコは吸わないし、逆流性食道炎のドラッグしかやっていなかった。要はただの怠惰な野郎だった。かっこ悪。

こんな怠惰なクソ野郎にもかかわらず、趣味の欄についつい「音楽鑑賞、『読書』」と書いてしまっていた。
凄まじい愚行である。
本当の読書好きからすると大罪とも言えるような行為を平然と行っていた。
読書好きだった過去の栄光(半ば願望)をそのまま履歴書の趣味欄に書き込んで、あたかも『読書が好きで知的な温かみのある人物』を趣味欄で演じてきたのだ。恥ずかしい。執行猶予なしの実刑判決だ。

僕は社会という名の牢獄に投獄された。懲役30年以上を覚悟していたが、なんと獄中生活は2、3年で終わってしまったのだ。
結局メンタルの不調という思わぬ恩赦により自由という名のシャバへ仮出所することになった。そうしてシャバに出た今、僕は何を思ったか、読書をしている。

獄中生活の終わりの方で、突然ある欲求が湧いてきたのだ。
「人の思考・心情を流し込みたい!登場人物の気持ちを思考したい!!作者の気持ちも考えたい…!!!
「要するに…読書がしたい…!!!!!」

他者の内側に触れる一番手っ取り早い物、それは『本』ではないだろうか。手軽だし、後から読み返せるし、何より面白い。

こうして本をまた手に取った。
今度はファッションではないと胸を張れる。
名作文学や好きな作家の小説を読み、好きな芸能人のエッセイも読み、本屋に通って目に止まった本を読む。そして本屋に通い、本を眺める。

ようやく止まっていたあの頃の時間が動き出したような気がする。
そしてやっと読書好き大学の1年生になれたんじゃないだろうか。


こうして読書好き大学に入学できた僕は偶然、本屋で『ある方』の本を手に取った。
BiSHの『モモコグミカンパニー』だ。

BiSH…「楽器を持たないパンクバンド」で有名なグループだ。
僕はBiSHがここ2,3年結構好きだった。
清掃員を名乗れる程では無いと思う…が、Twitterのアカウント名はちゃっかり「アイナ・ジ・エンド」から借りて『ちゃんごー・ジ・エンド』を名乗ってしまっている。

オマケに僕が推していたのは「アユニ・D」だ。
実にミーハー野郎な上にややこしい。清掃員の皆様ごめんなさい。愚行をお許しください。
自己弁護をすると、俗に言う『推し』はいるが、一人一人の個性が好きでわりとみんな好きだった。
あの日まではどこにでもいるBiSHがそこそこ好きな人間だった。

そんな僕は本屋の音楽書籍コーナーに立ち寄り、モモコグミカンパニーの本があるのを知った。
それは「目を合わせるということ」「きみが夢にでてきたよ」という本だった。

「あー、そういえば小説出したってネット記事を読んだな。」
そう思って手に取った本を調べてみた。

「あれ?手元の本と最近出たらしい小説のタイトルが違うな?エッセイも出してるんだ!」

ラジオの波が来てリトルトゥースとタンタミン(※ハライチのターンのリスナーのこと。諸説あり)になっていた僕は、オードリー若林とハライチ岩井のせいですっかりエッセイが大好きになっていた。


「モモカンってエッセイなんて書いてたんだ?小説に手を出す前に読んでおこうかな。」
と思い、読書好き大学1年生の僕は2冊の本を購入した。



「アイドルグループ(という呼称が適切かはわからないけど)の人が書く文章ってどんなもんなんだろうな…。芸人さんだとしたらなにかしら面白おかしく書くだろうけど…。」
と正直、あまり期待はしていなかった。
(ごめんなさい。)

ページをめくり読んでみると、まずびっくりしたのがアイドルを目指していた訳でもない『普通の大学生』だったこと。
「アイドルを志望する人っていったいどんな人なんだろう…?」
という興味から応募していた、元はただの女子大生だった。

アイドルを志望していた人は
「アイドルになりたい!」
「家族が応募したので…。」
とかはよく聞くが、まさか人間観察が動機だとは…。

BiSHを志望した頃の話から書き出すのはエッセイ1作目の話の構成としては当然よくある話だ。なので、本人としては意外性を狙った訳でもないだろうが、掴みからやられてしまった。

侮れん、モモコグミカンパニー。

1作目の「目を合わせるということ」
を読み進めていると、とても文章が読みやすいことに気づいた。簡潔で丁寧な文章だ。
オーディションを受けた日から時系列が進んでいき、メンバーの脱退やライブなどの大きな出来事や各メンバーのこと、モモコグミカンパニー自身のことなど、写真も交えて語られていく話をあっという間に読み終えてしまった。
当時の心理描写を丁寧に書き、等身大のモモコを飾らずに書いているような気がして
とても好感を覚えた。

2作目の「きみが夢にでてきたよ」は、
「死ぬ死ぬ詐欺」や「傷の話」などのそれぞれのテーマに対して書き連ねていく形式だ。
こちらはより深くモモコ自身の事を書いている気がする。特に『モモコグミカンパニー』としてではなく『モモコ』として書いているところもあるような気がした。

「素の自分が好きになれないなら、ありのままでいなくたっていい。好きなように自分を取り繕ってもいいじゃないか」
という文章からは、モモコの自分自身へのエールであると同時に形のわからない読者に対して優しく寄り添うような優しささえ感じた。

エッセイはその人の考えやちょっとした日常に触れることができるので、作者のイメージ像を自分の中で描くことができ、少しでもその人のことをわかった気になれるのが好きだ。わかった気になるなんておこがましい話だが、それがエッセイのいいところなのではないかと思う。


こうして2作のエッセイを一気に読み終えた僕は、モモコグミカンパニーの最新作の本を買うことに決めた。

今年3月に出たモモコグミカンパニーの著作はエッセイではなくて小説だった。
『御伽の国のみくる』という小説だ。
アイドルを志望していた主人公がメイド喫茶で働き、そこで起こる出来事を展開していく話だった。

ストーリーはとてもドロドロとした内容であり、これがモモコグミカンパニーの書いている物なのかを途中で忘れるくらいだった。
ハッピーエンドで終わる話ではないため、読後はなんとも言えないモヤモヤ感が残った。「もう一度今すぐ読み返したい!」
となる感じではない。
しかし、このなんとも言えないモヤモヤ感を読者に植え付けられるモモコグミカンパニーの才能を感じさせられた。
このモヤモヤ感はストーリーが破綻している作品を読んだり観たりした『それ』とは違う。
ラストの方の主人公の苦悩の描写も作品に対して妙な説得力を生み出しているのだ。
この説得力のある心情描写はBiSHとして時間を過ごしたモモコグミカンパニーにしか書けない物なのではないか。

読み終えて少し時間が経った今でも妙なモヤモヤ感が残っている。
人に積極的に勧められる作品では無いかもしれないが、この妙な感じはぜひみなさんにも味わって欲しい。
とても面白い作品に出会った爽快感とは違う、この妙な感じがこの作品の面白いところだ。


こうして僕はモモコグミカンパニーの著作である、3つの作品を読み終えた。
そして僕は『御伽の国のみくる』の頁の間にあるハガキが挟まっていたことを思い出した。

初回限定購入特典のファンレターのハガキだ。期限までに書いて送るとモモコグミカンパニー本人からの返信が届くらしい。しかも期限は5月末日だった。ギリギリ間に合うじゃん!

生まれてこの方ファンレターなど書いたことはないが、思わぬ作品たちと書店で偶然出会った興奮と期限ギリギリの謎の運命を感じ、このファンレターを書くことにした!
は、恥ずかしい…。でも、謎の使命感もあった。
この数週間で出会った興奮を作者本人に伝えられるなんて…!
しかもSNSではなく、こんなハガキという古典的な媒体で伝えられるとは!
こうしてファンレターを書いてみたが、途中でふと思った。

「内容を読むって事は…アカウント名書いたら見てくれるのかな…?」
気持ち悪い発想が浮かんでしまった。
そうして、妙なテンションで書いてしまった…。

感想は恥ずかしいので上塗りした

書いちゃったー!
いや、でも観てくれるわけないか。
気持ち悪いもんな。ってかファンレターの内容公開するより、この行為の方が恥ずかしいでしょ。とジワジワくる。
でも書いちゃったもんはしょうがないなー。
見てないと思うけど、実験してみようかな?とある考えが思い浮かんだ。


本人にこのnote読んでもらえないかな!???


いやいや無理でしょ。
直接リプライしてみるのも手だけど、それは恥ずかしいし…。なんかずるいし…。
でもなんとかこの記事を人伝いに聞いて読んでもらえないかな…。という下種な思いが…。

そもそもファンレター以外で思いを伝えるのってタブーなんじゃないの?
SNSの下劣な使い方だな。
でも前のエッセイも面白かったし…。その感想も伝えたいな…。
何しろこの書店で偶然出会った出会い。モモコグミカンパニーの文章、言葉からファンになってしまった思いは伝えられたらな…。

「モモカンが好きだから著作を読んだ!」
ではなく、
「BiSHが好きでモモカンの著作読んだらモモカンのファンになった!」
って文章を伝えられたら作者としては実はかなり嬉しいことなのでは?

でも、さすがにおこがましいな。
無理だと思う。
まぁアカウントも書いちゃったし、見てもらえるわけもないけどダメ元でやってみよう!!

「目を合わせるということ」
でモモコさんが書いていた文章。
『歌声だったり、表情だったり、仕草だったり、伝え方にはたくさんの方法がある。それが私の場合は言葉なのかもしれない。』

僕が伝えたいのは、
『モモコさんの嘘のない言葉で励まされたり、深く共感したり、御伽の国に入り込んだりする人がここにいて、しっかり言葉で伝わってますよ!』って伝えたいです。
本を書いてくれてありがとうございました。

ファンレターとこのnoteが届きますように!!!!
あと、みなさんもモモコさんの著作を読んでください!!面白いので!


絶対無理だー!!!!

でも、届いたらいいな!


じゃあまた。

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