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ショートショート24 アンビバレント・アニマルズ


 目を覚まして体を起こすと、ひざ元に動物がいることに気づいた。

 視線で追うとそれ、と目が合う。

 猫か、犬か。手を伸ばす。するとそれ、も目を開いた。

 黒目の横が薄緑、白、と続いているところは猫にも見える。しかし手を舐めてきたり頬をすり寄せてきたり、手を引いたのに合わせて、ひざ元からお腹の上まで移動してきたり、甘えてくるところは犬っぽい。

 起き上がると、お腹の上にいたそれ、は立ち上がってから、顔を舐めてきた。

 舐められて分かったが、それ、の舌はざらついている。以前舐められたときはざらついた感触はなく、それ、は犬だった。なので、今回は猫かもしれない。

 頭を撫でてみる。それ、は眼を細める。これでグルグルとのどを鳴らしてくれれば猫であると確信できるのに。閉じられそうだった目は急用を思い出したかのように見開かれる。確認してすぐに少し噛まれた。ちくりと細い針を刺されたときのような小さな痛みが走る。

 考え事をしていたせいで、撫で方が雑になったせいだろう。

 今日は、それ、の判別が特別難しい。

 それ、は犬猫どちらともつかない。共通しているのは四足歩行で、顔のパーツがちゃんとあることだ。鼻がピノキオみたいに伸びていれば柴犬ぽいのだが、今日はチワワみたいな小型犬の見た目をしているため、猫のようにも見える。

 それ、は日によって犬か猫かどちらかに偏る。百%どちらかに偏るときもあれば、今日のように犬と猫の中間のようなときもある。合わせて性格も変わり、大体触りすぎて怒るときは猫、温厚なときは犬と思っているが、どちらも触られて嫌な場所は大体同様で、判別の対称にはなりづらい。特に今日のそれ、のような中間的な存在だと余計に困る。

 私が撫でるのをやめるとそれ、は鳴く。鳴き声は聞こえないが、鳴いたという事実だけが私に伝わる。再び手を伸ばすと噛まれた。確かな痛みがあり、手を引く。尻尾を見やると垂れていた。どうやら怒っているわけではなさそうで、要望と違うと教えたいのだと分かる。それ、は私を見上げていた。どこまでも小動物の見た目、被害者面だ。しかし私は怒っているわけではなく、むしろ、かわいい奴めと頬をいじくりまわしてやりたいくらいだ。しかし手の痛みが警告をしてくる。

 じっと見ているともう一度鳴いた。

 おはよう、と声を出して、喉が渇いていることに気づいた。起き上がって冷蔵庫に向かい、中からミネラルウォーターを取り出す。一気に流し込み息を吐く。足元にそれ、がいたのが見えて、吐いた息を飲んだ。

 それ、と一緒に暮らし始めて最初の方は、反応にどうしたらいいか分からず悩んだ。それ、もなかなか自分の要望が伝わらないことに苛立ち、噛むことが多かった。今は消えた噛まれた痛みが蘇り汗をかく。

 炊飯器の下に置いてあるドックフードとキャットフードを取る。

 餌が欲しいのだという合図に気づくようになってからすぐに、どちらをあげればいいか悩んだ。

 結局二つの皿に分けて入れ、どちらを食べるかで判断しようとしたが、それ、は気まぐれで餌を選んでいるようだった。

 幸いにも体に影響はなく、それからは二つの皿に分けるのは同じだが、好きな方を選ばせるようにしている。飲み物もミルクと水の二種類用意している。こちらは両方飲むので二つでちょうどいいくらいになるように調整出来るようになるまでは、何日もかかり、それ、を怒らせないように餌を与えられるようになる頃には、朝のルーティンが出来上がっていた。

 それ、はまだ餌が入れられていないというのに、四枚の皿が置かれると自分から私の前に躍り出る。餌を入れると、先に入れた方からそれ、は食べ始める。飲み物もすべて入れ終わると、そこから自分の好きなものを選ぶ。四枚横に並べられた皿の真ん中に立ち、どれに口を付けようかときょろきょろしている姿は迷い箸のようで、可愛らしい。

 その間に、自分の料理を冷蔵庫の中から取り出す。前の日に作り起きして置いたおかずをゆっくり食卓に並べる。もう電子レンジの音はしばらく聞いていない。それ、は犬猫どちらのときも共通して、電子レンジのチーンという音が嫌いらしく、不機嫌になる。最初は鳴る前に取りに行っていたが、私がバタバタと歩くのもお気に召さないようだったので、冷えたおかずを食べるようになった。

 音を立てないよう細心の注意を払って炊飯器に向かう。ゆっくりと開閉ボタンを押し、片手でふたが完全に開くのを抑えてから、しゃもじとお椀を持つ。昨夜タイマーをセットしておいたので、ちょうど炊けていた。炊けたことを知らせる音も、それ、は例外なく嫌うので音が鳴る部分は黒いゴムテープで止めている。

 食卓に座ると同時に、それ、は食事を終えた。目で見やって小さな声でいただきますと呟くと、それ、は食卓の下に潜り込んで足の近くに座る。

 食卓の上にあるおもちゃを手に取る。ウサギのしっぽのような部分を机の下に垂らし揺らすと、いそいそと食卓の下から出てきた。最大限まで腕を伸ばしてから投げると、それ、のいそいそとした様子はどこへやら、思い切り飛んで追いかける。おもちゃはベッドの上にあるスマホの上に落ち、それ、もそこに降り立った。手でこねくり回したり噛んだりしているのに合わせてシーツはずれ、スマホが地面に落ちる。ボタンを押すときに似た小気味いい音が鳴ると、それ、は動きをとめこちらを見る。

「そんなに見られてもそれはそれ、のせいなんだけどな」

 着替えて外に出るとそれ、は先ほどまで私のベッドの上でカーテンからこもれる日差しに当たっていたというのに、まるで今起きたと言わんばかりに伸びと欠伸をする。私もつられ、先に終えたそれ、が走っていく。

「可愛い猫ですね」と犬を連れた女性に話しかけられた。

「ええ、うちの猫可愛いでしょう」

 今日のように、犬か猫か判断がつかぬまま外に出たときは、話しかけてくれた人に合わせるようにしている。それ、は今日のようにどちらともつかずとも、他者はどちらかだと錯覚するらしかった。

「お名前、なんて言うんですか?」自分の名前を聞かれたのかと一瞬思ったが、彼女が視線をそれ、を見ていることに気づき、

「それ、と言います」と答えた。

「それ?」彼女がこちらを見る。綺麗な人は表情の変化も分かりやすいと聞くが、それは嘘だと思っていた。しかしその理論は正しかったらしい。彼女は訝しんでいるということを顔だけで伝えてくる。

「シルクドソレイユのソレと同じ意味ですよ。太陽っていう意味で、昔、落ち込んだときに元気づけてくれたことがあって、それで」

「そうなんですか。素敵な名前ですね」彼女の表情は申し訳なさそうなものを経て綺麗なものにもどる。

 嘘だ。良く名前を聞かれることが多いので作った設定だ。それ、の正式な名前はまだない。

 拾ってきたとき、名前には悩んだ。

 犬っぽければ太郎、猫っぽければタマなどにしたのだろうが、日によって変わるそれ、に固定した名前を付けることは出来なかった。イヌネコやネコイヌという呼び名は下に来た方がメインな感じがしたので没になり、似たような理由でイコやネヌ、ドットやキャックも定着しなかった。結局決まらないまま、あれ、これなどと呼んでいるうちに、それ、に仮決定した。

「そちらのお名前は」私は自分が先ほど失敗しそうになったのもあって、目線だけではなく手も犬に向けた。

「ラテって言います。由来は……見た目ですね」

 彼女が連れている犬は白いポメラニアンで、彼女が着ている白いカッターシャツとよく合っていた。

 色が被っているにも関わらず、相乗効果で清潔感が演出されていて、犬は可愛く、彼女はきれいに見える。実際に顔立ちもよく、中条あやみに少し似ていた。昔は誰々似の美人という言い方は、その人の性格も似ている芸能人に合わせないといけないと感じ、苦手だったが、それ、と暮らし始めて犬か猫か判別しているうちに、なんだか仕方がないことのように思う。

「なんか、大した理由もなくてすみません。強いて言えば、呼びやすいから二文字がいいなとは思ってて」

「なるほど。そういえば僕の猫もそれ、で二文字ですね」

「ですね。ソレイユだと、ちょっと呼びにくいですよね」

 お互いに小さく笑って、それ、を見やる。それ、は白いポメラニアンと仲良さげに鼻を合わせていた。舌をひっこめて互いに匂いを嗅ぎ合い、再び舌を出して大げさに呼吸をして、真面目から間抜けな表情になる。

 少し互いに見やったあと勾玉を描くようにゆっくり回り始めた。二匹の回る速度は徐々に上がり、たまに片方が速すぎて尻の匂いをかいだり、ぶつかってじゃれあったりする。

「珍しいですね。うちの犬、あんまり猫と仲良くしないんですよ。昔引っかかれたことがあって怖いみたいで、散歩中遠くに見かけるだけで別の道を行こうとするんです。克服したのかな」

 私ははっとした。

 残念ながら、彼女の犬は克服したわけではない。

 どうやら今日のそれ、は犬らしかった。

※こちらの作品は大学の朗読イベントで発表した作品です。そのため現在よりだいぶ技術は落ちているかと思いますが、あえて当時のまま掲載させていただきました。
こちらのイベントなどの話をエッセイで公開しています。
良ければそちらも是非ご一読ください。

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