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「母」の私

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地図のない森の安全基地

地図のない森の安全基地

「仁香ちゃんの安全基地ってどこ?」まだ独身だった頃友人に問われて言葉に詰まった。「……ない」と心の中では即答したが、それを口に出せずもやもやと言葉を誤魔化した記憶がある。私はその時「安全基地」という言葉を初めて聞いたけれど、それは今から40年ほど前にアメリカの心理学者が提唱した概念で、今では子育て講座などでもよく使われる言葉だ。

子供は、母親や身近の保護者を安全基地のように感じられると安心して外

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友達は100人いらない

友達は100人いらない

今でも覚えている。幼稚園だった頃。年長さんだった。先生が教えてくれた歌。「一年生になったら」有名な歌だ。

一年生になったら 一年生になったら 友達100人できるかな 100人で食べたいな 富士山の上でおにぎりを パックン パックン パックンと。

歌は三番まであって、100人で日本中駆け回ったり世界中をふるわせるくらい笑おう、というスケールの大きい歌だ。調べたら、作詞、まどみちお さん 作曲は山

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どんな子供に育てたい?〜親なんか、はみ出して

どんな子供に育てたい?〜親なんか、はみ出して

子供が授かった時、不安と同時にもちろん、ワクワクする気持ちもあった。どんな赤ちゃんがやってくるんだろう?妄想癖のある私は、色々と思い巡らせ、子育てを想像した。

どんな子供になって欲しい?とか、何になって欲しい?と聞かれることも多かった。その度に私は一瞬、ポカン、とした。

え?それって私が決めること?

違うよね。どんな人間になるか。何を職業とするかは本人が決めること。私は、本人がなりたい自分に

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ママだってほめてほしい

ママだってほめてほしい

世の中、「ほめる子育て」論が大流行である。
異論はない。
私だって、叱られたことは「叱られた」ということしか覚えてなくて、何を親や先生が怒っていたかはすっかり忘れてしまい、ただ気持ちが潰れたような思いだけが苦く残っている。

反対に、ほめられたことは、数十年経っていても嬉しかったり誇らしかった気分がよみがえってくるし、何をほめられたかもよく覚えている。その記憶は、壁にぶつかったときや辛い時、私を励

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上手な叱り方を探して2〜アンパンマンに教わったこと

上手な叱り方を探して2〜アンパンマンに教わったこと

 
シナリオライターだった頃、「アンパンマン」てずるいと思っていた。
菓子パンや子供が好きな食べ物をかたっぱしからキャラクターにして、バイキンマンに事件を起こさせてアンパンチで解決。話を作るのもキャラクターを作るのも楽でいいな、と思っていた。ちょっとバカにしていたかもしれない。

子供が生まれて毎日のようにアンパンマンが家の中を流れるようになり、私も自然とアンパンマンに詳しくなった。ある時、アンパ

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上手な叱り方を探して〜ドスをきかせる

上手な叱り方を探して〜ドスをきかせる

子供が生まれてしばらく、叱ることが怖かった。
「あなたは叱って育てるタイプ、弟はほめて育てるタイプ」
母は口癖のようにそう言っていて、私は怒られてばかりいた。母はとても感情が豊かなので、怒る時も感情的だ。今振り返っても「あんなこと言わなくて良いのに」と思うような言葉ばかりが記憶に残っている。
 
なので、いざ子供が生まれて、子供が何かイタズラした時もどう叱って良いかわからずオロオロするばかりだった

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9歳のユウウツ

9歳のユウウツ

今年の二学期に入ってから、長男の様子が少し変だった。
ふとしたときに、やたらと私に甘えてくる。椅子に座っていると膝にのってきたり、遠慮がちにおっぱいをそっとさわってきたり。寝る時も、私と手を繋ぎたがる。
そんなことは、小学校に入ってからは、あまりないことだった。長男は今、小学校三年生。9歳だ。
今年はイレギュラーな年で、休校期間が長かったから久しぶりの学校生活に戸惑っているのだろうと思い、時間が許

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アドバイスよりも、共感よりも励ましよりも、子育てで眠れなかった私を救った言葉。

アドバイスよりも、共感よりも励ましよりも、子育てで眠れなかった私を救った言葉。

41歳で初めて母親になって、驚いたことはたくさんある。
その一つが、世の中には夥しいほどの数で、母親たちに「絶対これ!」というアドバイスがあふれていたことだ。その数、本屋さんに並ぶ「絶対成功する方法」を謳ったビジネス書の比ではない。気軽に「こんな時、どうすれば良いの?」と尋ねるだけで、待ってましたとばかりに様々なアドバイスや子育て論が押し寄せてくる。

例えば、寝かしつけ。
長男は本当に寝ない赤ち

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