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上手な叱り方を探して2〜アンパンマンに教わったこと

 
シナリオライターだった頃、「アンパンマン」てずるいと思っていた。
菓子パンや子供が好きな食べ物をかたっぱしからキャラクターにして、バイキンマンに事件を起こさせてアンパンチで解決。話を作るのもキャラクターを作るのも楽でいいな、と思っていた。ちょっとバカにしていたかもしれない。

子供が生まれて毎日のようにアンパンマンが家の中を流れるようになり、私も自然とアンパンマンに詳しくなった。ある時、アンパンマンの最初の絵本を読んだ。アニメではなく絵本のアンパンマンは、やなせたかし先生の絵のタッチが叙情的でとても切ない。同じシーンをアニメで何度も見てるのに、自分の顔を差し出すアンパンマンに心が揺さぶられ、不覚にも涙した。

震災の時に人々を励ました「アンパンマンのマーチ」は、やなせ先生の作詞だ。
「そうだ うれしいんだ いきるよろこび たとえ 胸の傷がいたんでも〜♫」
胸に傷があるんだ……。そう思ってアンパンマンのあの丸い顔を思い浮かべると、じんわりと鼻のあたりがツンとしてくる。

アンパンマンと他のアニメのキャラクターとの絶対的な違い。
それは「お腹が空いた人に、自分の顔を食べさせてあげる」こと。
顔が欠けたアンパンマンは、新しい顔が焼けるまで力が弱くなってピンチになる。これはお決まりのパターンで最初はウルトラマンの3分タイマーと同じくらいのカセにしか捉えていなかった。でも、アンパンマンを繰り返しみるうちに考えが変わった。よくよく考えたら、「顔を食べさせる」って尋常じゃない事態だ。持っていたおにぎりを分けてあげるのとは違う。だって顔だよ、顔。
それから、アンパンマンの世界がガラリと違ってみえた。見方によってはだいぶグロテスクな話を、幼児が夢見る妖精の世界に仕立て上げてしまったやなせたかし先生の偉大さが、初めて理解できた。

「イヤイヤ期」というのがある。子供が2歳半くらいの頃に訪れると言われる、何でもかんでも「イヤ!」という時期で、子育ての最初の関門とも言われている。

我が家では長男2歳5ヶ月の時に次男が生まれた。赤ちゃん返り&イヤイヤ期のダブルショック到来か?と怯えつつも、実は結構呑気に構えていた。
のんびりしてたのには訳がある。

1 ドスをきかせた声で叱った方が金切り声で叱るより効き目がある。
2 「3言以内で叱る」
この二つを守っていたら、睡眠時間以外のことでそんなに苦労していなかったのだ。
私はその時すでに43歳。独身時代に動機を探求する心理学やカウンセリングを学んでいたし、年の功、というものもある。20代のママたちのようにあたふたしたりしない、という変な自負があった。
初めて長男がいつになく激しく駄々を捏ねた時、おお!とちょっとニヤついたくらいだ。
「ああ、これが聞いていた例のやつね。確かにこのエネルギーを無理やり封じ込めたら、思春期や青春期に爆発するよねえ……ここでいっぱい出しておきなさーい。ママはどっかり構えてるわよー」
かなり余裕をかましていた。
「いやーやっぱ、40代育児は体力はきついけど、気持ちの面ではゆとりがあるわー」
なんて思っていたのだから、本当に初心者は怖い。

程なく、そんなことは言っていられない時がやってきた。
その日、私は袋小路にいた。街中ではなく、家の中で。
新生児の頃、すやすやすやすや、1日のうちに20時間くらい寝ているのでは?と私を感激させた次男は、3ヶ月経った頃には夜泣きをするようになっていた。
一度はあんなに寝た次男。ちょっと何か工夫すれば、睡眠時間が伸びるのでは?と淡い期待が捨てられず、未練がましく色々試したが全て不発。3時間置きに泣き声に起こされる日々、アゲイン。

朝6時半。旦那さんが出社するのをベッドで見送った後、7時頃なんとか起床。生活リズムを崩すと夜の寝かしつけがきついから必死で起きる。それから洗濯。長男のご飯、お風呂掃除、次男におっばい、ご飯、おっばい、おやつ、ウンチ&オムツ交換、宅配が来る、おしっこ&オムツ交換、もう一人がウンチ&オムツ交換……、次男がお昼寝してやれやれと思うとすかさず長男が膝に乗ってくる。ママを独り占めできるのを待っていたんだろうなあ、と思うとむげにもできない。ハッと気づくと夕方なのに私だけパジャマ……。

そんな日がくる日もくる日も続き、参っていた。文字どおり悶々とする日々のなか。

その日、外は晴れていた。明日からは天気が崩れる予報。ぱあっと広い青空を見て、低空状態をなんとか打開したい。いやもう、絶対今日外に出ないと私のメンタル崩れる!公園でもデパートでもどこでもいい。外に行きたい!
「お出かけしよう」と、声を掛ける。
「イヤー!」と長男。電車好きの彼はプラレールに夢中だ。
「兄ちゃん、電車、見にいこう。だからベビーカー、乗って」
「イヤー!」
「電車、乗らない?」
「乗る!」(やった!)
「じゃあ、ベビーカー乗って?」
「ヤ!」(なんでだよ!)
この辺り、普段から愛想よしの長男はニコニコして「イヤ!」と言い続けるので、余計イラつく。イヤダー!と泣いているなら、よしよしと宥められるけれど、ただキッパリ「ヤ!」と言うだけでニコニコしている子にはどう対処するのが正解なのか。

言葉を探している間にガシャガシャガッシャン!とイヤな音。ハッと振り向くと夕飯のために研いでおいた洗い米がキッチンの床にばらまかれている。歩き始めた次男が、ぶちまけたのだ。
「ぎゃー!何してるの?どうしたの!ええええええ!何これー!!!!弟ちゃん!何でこんなことするのー!」
思わず頭の上から叫んでいた。低い声もドスをきかせる余裕もない。
次男は、その頃大のお気に入りだったアンパンマンとバイキンマンのぬいぐるみを両手に持ってケラケラ笑っている。高い声に喜んでいるのだという知識があっても、パニクって困っている私をみて喜んでいるとしか思えない。もうバイキンマンにしか見えない。キミ、黒い尻尾生えてない?
そこへ騒ぎを察知した長男が駆けつけて、あろうことかぶちまけられているお米をさらに手で撒き散らして絵を書き出した。キッチンは砂場じゃない!食べ物をそんな風に扱うな!
「やめて!やめなさーい!ー!」

もうううう。せっかく、せっかくいい天気なのに。
珍しくお米まで洗って夕飯に備えたのに。
なんで、なんでこうなるの。
こんなに頑張ってるのに。
ひとりでお茶する時間もないのに。
時間の全てを君たちに捧げてるのに、どうして私の邪魔ばっかりするの。
どうしていうことを聞いてくれないの。
全部、全部、君たちのためなのにー!
あんたたちがいるから、私は好きなことができないし、友達にだって会えない。行きたいとこにも行けないのよっ!
どうして1日くらい、素直にいうこと聞けないの!そんなにママを困らせたいの!

子供を責める言葉しか思い浮かばない。
冷静になって低い声でドスをきかせる余裕も、簡潔な3言も思いつかない。
このままだと、言ってはいけないことを叫んでしまう。
私はとっさに家を飛び出し、外へ出た。上を見る。電線だらけの小さい空が見える。我が家は路地に建っている。空が狭い。
だからああ。広い空が見たくて出かけたいのだー!

アンパンマンの世界はやっぱりずるい。こんな時、アンパンマーン!って叫んだらアンパンマンが駆けつけて、さあっと長男をベビーカーに乗せ、次男を抱っこして運んでくれるはず。でも、私が住む世界にアンパンマンはいない。
「アンパンマン……来てよ……」
思わず言ったその時。声が聞こえた。
「バイキンマン!イタズラは、やめろー!」
戸田恵子さん(アンパンマンの声)の軽やかな声で。全然ドスは聞いてないけどお腹から出た、心地よい元気な声。そうだ!それ!イタズラって言えばいいんだ!

さっきまで曇天だった私の脳裏に、希望の光が刺す。すぐさま家に戻って、手を腰に当てて言った。
「イタズラは、やめなさーい!プン、プン!」
ああ私、何やってるんだ、幼稚園の先生かよ。こんな姿、誰にも見せられない。きっと笑われる。なんだよプンプン、って。佐藤珠緒か…。

ガラリと空気が変わった。
子供たちはキャアっと喜んで、それまでしていたイタズラの手を止める。
「イタズラはやめて、出かける人!」
「はあーい!」

それから、バタバタとあたりを片付け狭い空を無事脱出。私の中で溜まっていた淀んだものは、不器用に流れていった。
ありがとう、アンパンマン。

後日、他にも使える言葉がないかと思い、幼児のヒーローたちが悪者をやっつける時の言葉を調べてみた。

アンパンマンは「イタズラはやめろ。やめるんだ!」
かなり怒ったときは「そんなイタズラは許さないぞ!」

戦隊ヒーローや仮面ライダーは毎年キャラクターが変わり、その度に決め台詞が変わる。
「宇宙を取り戻す!」とか「正義の味方〇〇ヒーロー!」のような口上が多い。だけど、会話の中で「やっつける」とか「ぶっ倒す」、「倒してやる」などが出てくる。
悪のラスボスが「殺す」「皆殺し」という言葉を使うことも多い。

アンパンマンがいかに考え抜いて、幼児に乱暴な言葉を覚えさせないことに心を砕いているかがよくわかる。
やなせ先生は「誰の中にもアンパンマンとバイキンマンがいる。だから、一方的に裁いたりできないよね」と仰っていた映像を観た事がある。

そうです。ママもバイキンマンを内側に飼っています。

その日から、子供たちが悪さをした時には「イタズラちゃん」と呼んでいる。

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