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アドバイスよりも、共感よりも励ましよりも、子育てで眠れなかった私を救った言葉。

41歳で初めて母親になって、驚いたことはたくさんある。
その一つが、世の中には夥しいほどの数で、母親たちに「絶対これ!」というアドバイスがあふれていたことだ。その数、本屋さんに並ぶ「絶対成功する方法」を謳ったビジネス書の比ではない。気軽に「こんな時、どうすれば良いの?」と尋ねるだけで、待ってましたとばかりに様々なアドバイスや子育て論が押し寄せてくる。

例えば、寝かしつけ。
長男は本当に寝ない赤ちゃんで、抱っこしていないとすぐに泣いてしまう。またその声が大きい。新生児は「寝てばかり」と聞いていたのに、私は産院で朝の5時まで生まれたての赤ちゃんを抱っこしていた。やっとすやすや寝息をたて始めた息子をベビーベッドにそうっと寝かせると、またぱっちり起きて「ウエーン!」。「背中スイッチ」というやつだ。心は母性と残念な気持ちの狭間で揺れ動いていたけれど、私の手は反応的に目の前の赤子を抱き上げる。その繰り返しだった。

「眠り」は健康に直結しているし、身体が健康でないと気持ちまで落ち込んでしまう。だから心底なんとかしたかった。一週間に一度でいいから、「あーよく寝た」と言ってみたかった。だからつい、会う人会う人にそのことを話してしまう。すると、必ずといっていいほどアドバイスが返ってきた。

「お尻をゆっくりトントン叩けば、寝るよ」
「レジ袋を耳元でカシャカシャすれば泣き止むよ」
「赤ちゃんが寝るCDを聞かせてみたら?」
「スリングで抱っこして眠ったらスリングごとベットへ。起きないよ〜」
「バウンサーに寝かせてると、寝ないけどずっと機嫌いいよ」
降ってくる様々なアドバイスは、どれも確信に満ちていた。だから私は、いつも大きな期待を持って、試せるものは全て試した。昼も夜も全然眠れなかった私は、わらにもすがる思いだった。けれど、笑っちゃうくらい全て、効果がなかった。

ごくごくたまに、コトン、と眠ってくれることがあったけれど、それは全くの不規則に起きたので、何が効果があったかはわからない。一回試してみて有効だったとしても、次から使える手とは限らなかった。
「えーうちの子はベッドに置いておくと気づいたら寝てるよ」というママ友がいて、ものすごくうらやましかった。

そのうち私は、アドバイスされると苦しくなるようになった。なぜかというと、それらは全て経験に基づいたアドバイスで、話す人話す人みんな、「これは絶対良い!」と信じているし、困っている新米ママを助けようという親切心から始まっていることなので、やんわり「うちには合わないみたい」と否定の信号を送りづらいのだ。

どうしてみんな、アドバイスしたがるんだろう。
どうしてみんな、経験談を話したがるんだろう。
子供を持つ人はみんな、新米のお母さんに「子育てのプロ」みたいな顔をしてアドバイスしてくるけれど、十人も十五人も育てているわけじゃない。
せいぜいい一人か二人。多くても三人。ものすごく少ないサンプル!

みんな、自分の子供のプロかもしれないけれど、私が産んだ子供のプロではない。この子のプロは、一番長く一緒にいる私なのだから、もうアドバイスはいらない!

1。お昼寝は、一日90分以内。
2。どんなにすやすや寝ていても、夕方4時には絶対起こす。もしもその 時間(ひとり時間)が惜しくてそのまま寝かせておくならば、夜は苦労することを覚悟すべし。
3。いざ寝かせる時は、おっぱいを飲ませながら、添い寝して寝かしつけ。眠ったのを確認したらそうっと片腕を持ち上げてみる。それでも起きなかったら深く寝ているので、静かにその場を離れる」
4。限界!となったら夫にヘルプ。ただし夫に「おっぱい」はないので、しょっちゅうは使えない。

上記4ヶ条が試行錯誤の上、私がたどり着いた長男を眠らせる方法。正直、目新しくもなんともない。そして毎晩かなりの時間を要したので人には勧められない。でも、あれこれ試して失敗するよりこの方法が結局のところ、一番成功率が高かった。だから私は「これも今楽しもう」と割り切ることにした。割り切る、というよりも諦めといった方が近いかも知れない。もちろん、「早く寝てよー」とうんざりする時もあったけれど。

とにかくその境地(?)に達してからは寝かしつけについて、誰にも相談しなくなったし言わないようにした。ちょっとでもそのことをこぼしたら、たちまち何らかのアドバイスが返ってくるのは経験上わかっていたからだ。それでも、赤ちゃんを連れた、育児に不慣れそうな母親を見ると経験者は何か言いたくなるらしくて、あれこれ質問攻めにする。
「首は座った?(生育時期によって、立った?歩く?話す?などのバリエーション多し)」
「おっぱいは出る?」
「ミルクあげてるの?」
「離乳食は進んでる?好き嫌いは?」
「アレルギー、ある?ない?」
(全部、大きなお世話……)
そしてやっぱり「寝る?」と聞かれてしまう。ごまかせばいいのにバカ正直な私は「いやー…それが全然……」とつい、言ってしまう。すると必ず何か助言される。半年もすると、たいていの寝かしつけテクニックに関しては私の方が詳しかったので、さらっと聞き流してこう答えることにした。
「いやー試してみたけどそれもダメだったんですー」
ところがそれでも相手は何か言わずにはいられない。なぜか、申し訳なさそうに私が答えたのも良くなかったのかもしれない。
「ふうん、カンが強い赤ちゃんなのねえ」
これは、保健所の人。
「ふうん、でも、貴方にみたいにアトピーじゃないから、私よりは楽なはずよ」
これは、実母。
「ふうん、でも、アレルギーはないんでしょう?じゃあよかったじゃない」
これは、先輩ママ。
「ふうん、でも、あなた、実家が近いんでしょう?だったら恵まれてるわ」
これは、ママ友。
 
どれも何気ないような言葉だけれど、眠れないなかで育児と家事をこなしていた私の気持ちをへし折る力を持っていた。
本当は、誰かにグチを思いきりこぼしたかった。
ただ「大変ね、頑張ってるね」と言って欲しかった。
それを言ってくれるのは、私の場合、夫と遠方に住む義母と数人の友人だけだった。夫は毎晩疲れて返ってくるし、義母や友人とは毎日話せない。
 
家事や、子供たちが機嫌よく過ごしてくれた日はしみじみ幸福と充実感を味わったけれど、子供がぐずついたり、やろうと思っていたことがうまくできなかったりするとイライラしてとても苦しかった。

そんな、喜怒哀楽に満ちた数年を過ごしたある日。2歳半差で次男が生まれて、私の疲れやイライラはピークだったように思う。毎晩、夫が帰ってくるたびに八つ当たりしていた頃。

私は、バスに乗っていた。長男の手を引き、次男をのせたベビーカーを通常は降車口に使うドアから入れてもらい、長男を先にバスに乗せた。席が空いてなかったので、椅子の肩についている吊り輪に掴まらせてからベビーカーを持ち上げて車内に乗り込んだ。ベビーカーも、椅子についているベルトでつないで急ブレーキの時などに動かないようにしてから運転手さんに「大丈夫です」と声をかける。車内の視線が一斉に、不器用に入ってきた私たちに注がれているのを感じた。もうそれだけで、ヘトヘトだった。

その一週間くらい前、デパートにやはり二人を連れて行ったとき、「ベビーカー優先」エレベーターが普通の大人でいっぱいだった。次にきた通常のエレベーターが空いていたので二人を連れて乗り込むと、入り口の操作版の近くに立っていた年配の男性に怒鳴られた。
「これは普通のエレベーターだ!ベビーカー用があるだろう!」
私は身を縮めて「すみません」と小さな声でいった。降りるわけにはいかなかった。ベビーカーが乗れるエレベーターが来るまで、10分以上待っていた。経験上「ベビーカー優先、あるいは専用エレベーター」が機能しているのは、乗務員さんが乗っている時だけだ。そのエレベーターを逃したら、いつ目的の地にたどり着けるかわからない。
降りないわたしを睨みつけて、男性はボタンを押して無事にエレベーターは発車した。降りるまで、乗客は私たちとその男性だけだったと記憶している。
 

そのことを母にこぼしたら「そりゃそうよ。だって私たちの時は子供連れてデパートなんか行かなかったもの」
と鼻で笑われた。
「子連れでデパートに行くあなたが悪いのよ」と暗に言われた気がして、落ち込みがより暗闇になった。だからバスに乗った時、そんなことがもう起きないように、私は声を潜めて子供たちの機嫌をとり15分の乗車時間を無難に過ごすことだけを念じていた。
 
その時だった。
「あのお母さん、今が華ねえ……」
それは、背後の優先席に座っていた二人のおばあさんたちの会話から出た言葉だった。子連れはそのバスで私だけだったので、「あのお母さん」は明らかに私のことを指していた。
え?華?私は耳を疑い、そばだてた。会話は続く。
「本当ねえ、あたしたち、もう戻りたくっても戻れないわねえ」
「いい時だよねえ……」
その声は、深くしみじみとした響きを持って私の耳に入ってきた。まるで、温泉に入った時に「あーいいお湯ねえ」と言うような、そんなお腹の底から思わず出てしまったような声だった。

「あーそうか。私は今、華なんだ……」
「バスにベビーカーなんて迷惑ね」そんな言葉をかけられるかもと覚悟していた私に、それはあまりにも思いも寄らない言葉で、緊張していた背中が緩んだ。眉を潜めて子供たちに「静かにしてね」サインを送っていた私は、視線をあげてバスの窓から空を見上げた。すっきりとした青い空に大きな雲が出ていた。
私は、努めて小さく明るく、長男に話しかけた。
「ねえ、あの雲、大きいね。何に見える?」
「お化け」
そう言って長男はクスクスっと笑った。まだ言葉を話さない次男も空を見ていた。

確かに華だ。こんなくすぐったく甘い時間なんて、きっとあっという間だ。私は背後のおばあさんたちに感謝の念を送りながら息子たちと長閑なバス時間を味わった。正直、二歳児と乳児を連れて、公共の乗り物で長閑になれるなんて、奇跡に近い。でも、その時はとても簡単にそれが起きた。おばあさんたちのおかげだ。
 
疲れ切って、育児と家事に振り回されて、寝る時間もなくて。
狭い家で顔を突き合わせていると互いに煮詰まってしまうので、気晴らしに出かけると冷たい視線や嫌味を言われて。
そんなたまの外出にも、私はスッピンで、着ているのはユニクロのジーパンと授乳服。

それを「華」と表現する人がいる。
 
そのことは思いの外、私を慰め、力づけてくれた。七年経った今でも凹みそうになった時、私はよく、あの顔もわからないおばあさんたちの会話を思い出す。
それだけで、ささくれだった気持ちのトゲがとれて、優しい気持ちになる。
 
最初は「共感」してくれたからこんなに慰められたのだ、と思った。でも、今思うと、あれは共感でもないし、励ましでもない。もちろん私をほめてくれたわけでもない。そもそも、私にかけてくれた言葉ですら、ない。あのおばあさんたちが心から寄り添っていたのは、私ではなく、きっと過去の自分たち。
それでも、七年後の今も大切にできる言葉を引き寄せた、ということは確かにあの頃の私は「華」だったのだ。

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