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9歳のユウウツ

今年の二学期に入ってから、長男の様子が少し変だった。
ふとしたときに、やたらと私に甘えてくる。椅子に座っていると膝にのってきたり、遠慮がちにおっぱいをそっとさわってきたり。寝る時も、私と手を繋ぎたがる。
そんなことは、小学校に入ってからは、あまりないことだった。長男は今、小学校三年生。9歳だ。
今年はイレギュラーな年で、休校期間が長かったから久しぶりの学校生活に戸惑っているのだろうと思い、時間が許せば、寝る前に少しゆっくり話をしたり子守唄を歌ったりした。
けれども、一週間経っても二週間経っても、長男の甘えぶりは治らない。それで、私はハタと思いついた。これは、季節外れの赤ちゃん帰りなのでは?
長男は「いきなり」タイプで、トイレトレーニングでは散々私を手こずらせ、私に「もう二度とトイレ行く?とは言うまい。息子が自らおむつを外すまで、待とう」と決心させるほど頑固にトイレトレーニングを拒否していたのに、入園式の1ヶ月前のある日、突然お風呂で「僕、今からお兄さんパンツにする!」と宣言し、それから二度とおむつを履かなかったし、失敗もしなかった、という伝説の持ち主なのだ。
このことは私に、いろいろなことを教えてくれて一生忘れない子育てのエピソードとして深く心に残っている。

そんなわけで、突然長男が甘えんぼうになっても、「うーん、きっといつもの「いきなり」何かかできる前触れだろう」と考えたのだ。
「人は、何か大きい飛躍の前には屈むものだ」説を採用したのだ。

そんなある日、学校から帰るなり小学3年生の長男が「今日は嫌なことがあった」と話し出した。その日は、いつもよりも40分近く遅い帰宅だったので、「これは学校で何かあったな」と思い、私は心して彼の前に座った。

「今日、Y君に階段で壁に押し付けられた」
「え?どうして?」
「知らないよ。それで先生と話していて、こんなに遅くなったんだ」

Y君は、元気で利発で目立つ子だ。図書室ボランティアをしている私は、昨年度の授業時間中、席に座らずうろうろして担任の先生を困らせたり、先生に口答えする場面を何度か目にしていた。
一年生の時に息子はY君に突き飛ばされたことがあるのだが、その時はお母さんが丁寧にお詫びの電話をくださったし、私が公開授業で学校に行った時に「ごめんなさい」と本人がわざわざ謝りに来たので、「ちょっとやんちゃだけど、きちんと話せばわかる子」という認識だった。
学校が再開した後、たびたびY君の話は出て、揉めることはあるようだったけれど一緒に楽しく遊んでいるようでもあったから、「まあ、人間関係でもまれて成長してくれ」くらいにしか思っていなかった。

でも、その日は様子がいつもと違った。
息子はその数日前に次男と遊んでいて指を骨折しており、利き手は包帯でぐるぐる巻きだった。なので、私がまず思ったことは「手が早いことは知っていたけれど、怪我をしている子にも手を出すのか」と心配になった。

話を整理すると、体育の時間の前の校庭への移動中、Y君は最初、H君に後ろからちょっかいを出していたらしいのだが、H君がその場を離れた後、そばにいた息子を階段に押し付けたらしい。
「なんでY君、そんなことするの?何か、揉めたの?」
「ないよ。何にもないのにいきなり肩を強くつかまれた」
「それで、どうしたの?」
「U君が先生を呼びに行って、助けてくれた」

放課後、先生はY君、H君、息子からそれぞれ話を聞いた。
Y君「たまたま帽子がH君に当たっただけ。K君(息子のこと)が先に僕を押してきたから、壁に押し付けた」
H君「Y君が、僕を体育の帽子で、叩いた。それが嫌だから逃げた。気がついたら、Y君がK君(息子のこと)を壁に押し付けていた」
息子「最初は、Y君が体育帽でH君を叩いてた。それから僕を壁に押し付けた」

Y君は話が終わると「習い事があるから」と先に帰ってしまい、息子は残った。
「Y君は先にK君が押したって言ってるんだけど」
「僕は押してない!……と思う」
「それを見た人はいる?」
「わからない……」
という問答が繰り返されたらしい。真面目な若い先生だ。トラブルがあったと聞いたら「それは本当か?」と事実を確かめようとするのは自然なことに思える。でも、その結果、息子の頭と心は乱れていた。不満、悔しさ、当惑。包帯でぐるぐる巻きの右手を見て、私は思った。
「この手で、理由もなく友達を押したりしないよなあ……」
Y君は、怒られたくないので「やっていない」と言い張って帰ってしまったのだろう。

念のため、私は確認した。
「Y君のこと、押したの?」
「押してないよ!」
「わかった。ママは信じるよ。押してないって、先生に言った?」
「押してないと思う、って言った……」
「思う、じゃだめだよ。ちゃんと、押してない、ってはっきり言わないと、Y君は口が達者だから言い負かされちゃうよ」
不服そうな顔をして口をへの字に曲げる。起きたことは本当に大したことではないのに、息子の心にくすぶった何かは丁寧に取り除いてやりたかった。
翌朝「はっきり、「やっていない」と言いなさい。はっきり言えば大丈夫だよ。思う、は付けなくていいからね!」と励まして送り出した。結局、Y君の方から「昨日はごめん」と謝ってくれたそうで、事態は落着したように思った。

ところがY君とは似たようなトラブルが何度か続き、子供やママ友たちからの話でY君とY君のおうちのことが少しわかって来た。

・Y君がちょっかいを出したり、嫌なことを言ったりするのは、息子だけではなくクラス全般に渡っていて、女の子を叩くこともあること。
・Y君は成績が抜群にいいので、授業中教室から出てしまっても、先生が注意しないこと。(Y君に構っていると、授業が中断してしまう)
・最近、クラスでY君はみんなから嫌がられていること。
・おうちが厳しいらしい。
・3つ年上のお姉ちゃんと二人姉弟

仲良く遊んでいるように見えて、実は息子がY君を苦手だと思っていることもわかった。赤ちゃんがえりは、友達と上手に付き合えないことに原因があったのだ。

運動会の前日、ちょっとした事件があった。
おばあちゃんの家で野球ゲームをやったことを話したところ、「僕もやりたいからおばあちゃんの家に大人達に内緒で連れて行って」と頼まれ、断ると「それではこれからお前を仲間に入れてあげない」と言われたという。
話の最中、、息子は泣き出してしまった。友達関係のことで泣くのは9年間で初めてのことだった。これはなんとかしなければいけない。

些細な子供の減らず口のように見えて、これは小さな支配関係の始まりだ。もちろん無意識だろう。けれど、9歳だからといって甘く見てはいけない。鍵っ子だった私は、寂しさからよく作り話をして周囲の気を引いた。だから私は知っている。頭の回転が早い子なら、言葉巧みに相手を思い通り動かそうとするくらいのことはいくらだってやってのけるのだ。30分後、息子が言った通りY君が家まで迎えに来た。
「今日はどこで遊ぶの?」と尋ねると、「わからない」という。
「おばあちゃんの家に行くのはだめだよ」
というと、突然、パンッ!と弾けたように叫んだ。
「行かない!行かないよ!僕、そんなこと言ってない!」
 びっくりするほど大きな声だった。
「でも、Kは、連れて行ってって、言われたって言ってるけど……」
「言ってない!言ってないよ!」
玄関の上がり框に腰を下ろし、Y君を見上げるように座った。大人が見下ろすと、子供は実際の三倍以上の威圧感を受け取ると聞いたことがあるからだ。
「Y君、最近、Kと揉めると、いつも二人の言い分は違うよね。このまま二人で遊ぶと、きっとまた揉めるし、明日は大切な運動会だから今日は帰りなさい」
そう諭せば、今日は帰るだろうと踏んでいた……がことはそう簡単に運ばなかった。
「僕はそんなこと言ってない。みんなで僕を悪者にしてーーーー!」
と彼は泣き出し、大声で喚いた。全くの予想外の展開で面食らってしまった。え?私、そんなひどいこと、言った?
「Y君、今日、家に来ることお家の人に言ってる?前も言ったけれど、家に来る時は、お家の人に言ってから来て欲しいんだけど」
「絶対電話しないでーーー!ママには絶対言わないでーーー!」
「どこかに遊びに行く時は、行き先をお家の人に言うように、学校でも話があったよね?」
「僕から言うから。だから絶対言わないでーーーー!連絡しないでーーー!」
喚く間も、涙が後から後から滴り落ちている。ブルブル首を震わせて、懇願するような顔つきだ。なんなんだ、この怯えっぷり。普段会うY君のお母さんは上品で常識があるように見える。よっぽど厳しい折檻があるのだろうか。よその家に上がってはいけない、と言うルールがあるのか?
「とにかく今日は帰りなさい。明日は大事な運動会でしょう?」
ひたすら同じ言葉を言い続けた。彼も粘る。私も粘った。
「今日はお母さんには連絡しない。連絡しないから、帰りなさい」
20分ほど経っただろうか。Y君は泣きながら帰っていった。

「僕、もう、学校の外ではY君と遊ばない……」
「うん、それでいいと思うよ……」

まるで、別れ話を告げられた女の子が、「絶対別れない」としがみついているようなエネルギーだった。私も息子もそのエネルギーに「湯当たり」してしまった。あれで良かったのかと何度も自分の言葉を反芻した。他の方法を思いつかなかったとはいえ、9歳の子を傷つけてしまったという罪悪感がしばらく残っていた。

運動会が終わり、学習発表会の練習で頑張っていた頃、息子がぼそっと呟いた。五分休みやすれ違った時に、Y君から「バカ」とか「カバ」「死ね」と言われるという。
「やめて、って言った?言い返してもいいよ」
「言い返してるよ。僕ね、Y君以外の子には言わないけど、Y君には言い返すよ」
「それでいいよ。先生にも言いつけていいよ」
「うん……」
浮かない顔が返ってきた。

学習発表会が終わった翌日、息子は初めて「明日、学校行きたくない」と言った。私は二つ返事で「いいよ」と返した。たとえ2文字の言葉でも、たとえ、秒に満たない時間でも毎日そんな言葉を言われ続けたら、ストレスが降り積もる。発表会の本番が終わるまで我慢していたのだろう。
何度かのトラブルを経て、息子は自分のもやもやをそのまま先生に告げても解決しないと知っていた。告げ口したら、その後は「それは本当か?」という検証が待っている。それが重荷なのだ。
ここは親同士の話し合いを設けてもらおうかな、と覚悟した。ところが吐き出してスッキリしたのか「明日は図工があるから行く」と言い出したので、連絡帳に事情をあらまし書いて息子に手渡した。

その日、息子はまた遅く帰ってきた。心なしか表情もスッキリしている。聞くと、先生がよく話を聞いてくれて、これからは何か言われたら、逐一先生にこっそり報告することになったという。先生からも家に電話があって、「記録を取って先方のご両親に話をするから少し時間をください」ということだった。
  
嫌なことを言われるのは今も続いていて、先生がY君を罰したわけでも謝ってもらったわけでもないのに、息子は妙にスッキリした表情で学校に通っている。
たぶん、息子は裁きがほしかったわけではなく、教室の誰かに自分がどんな目に合っているか正しく知って欲しかったし、嫌な気持ちになるのは、正当なことだと認めてもらえて気持ちが軽くなったのだろう。

トラブルが起きたとき「それは本当に起きたかどうか」確認するのは、担任の先生として大切な義務だ。でもその方法だと、相手が「やってない」と言い張ったら、結局告発した方は、被害にあった上にその被害すら認めてもらえず、下手をすると「嘘つき」呼ばわりされる。とても理不尽だ。自分の言葉をまっすぐ信じてもらえないことにも傷つく。
「わかっているよ」と言ってもらえる。信じてもらえる。この人には「僕は嘘をついていない」と証明すら、しなくてもいい。息子と先生にある種の「つながり」ができたのだ。それで教室が、より親しみのある場所になったのではないだろうか。
 
真実は何か、裁くべきは誰か、本当に悪いのは誰?何か問題が起きた時、私もつい、そんな風に考えてしまう。でも、「正しいことは何か」「どうするべきか」と声高に言う前に、傷に寄り添う。傷を感じ取る。そうすれば、告発している本人が「ほんとうのこと」を伝えようとしているかどうかは自ずとわかってくる。

教室は、社会の縮図だ。理不尽な目にあっている人を今もネットやメディアで毎日目にすると暗い気持ちになることもある。
何があったか、よりも傷を感じ取って、必死で考え抜くことが大事。
そんなことを教えてくれた、9歳のユウウツだった。

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