見出し画像

故郷について

私の故郷は鳥取です。

故郷の鳥取にまつわる「ヤマメ」という曲も作っています。


ただ、正直なところ、
鳥取に良い思い出はあまりないです。

「ヤマメ」という曲は、
12年前、本当に私が赤羽で働いていた時に、
とある場所で仲良くなったおじいさんから聞いた話をもとに
つくった実話ベースのオリジナル曲なのですが、
悲しい・悔しい思いをしても、
何か一つの希望や思い出のために、
また帰りたいという思いを抱く姿を自分に重ねて作りました。
この曲が、
自分の気持ちを浄化するきっかけにもなったから
今でも大事に歌っている曲です


以前、都会に出る前に
祖母は
「いつでも帰ってきてもいいんだよ」
と言いました。

それは普通であれば
嬉しい言葉、支えになる言葉なのかもしれませんが
私には重荷でした。

帰ってきてもいい、と言いながら
本当は戻ってきてほしいという意味だということも何となく気づいていたからです

鳥取でも今みたいな仕事あるんじゃない?
など何度か聞かれましたが
選ぶ選択肢も狭まることを理由にやんわり拒否していました


私は
死んでも戻りたくないくらい、鳥取で暮らすのは嫌です。
鳥取そのものは
海も近くて山もあり海鮮も美味しくて良い場所です。
でも母と暮らしたくないですし
鳥取にいた頃の友達にも会いたくないです。

もちろん母や家族に会うために、たまに帰省するだけならばいいですが
移住する、母と同居する
ということは考えたくないくらい、
本当に、鳥取に戻りたい気持ちは一切ないので、
帰ってきてとか家を守ってという言葉はとても重荷でした

親不孝と思われてもいいです
せっかく手に入れた自分の人生を手放したくないです
ずっと我慢してきました

母が結婚していた時は、
母からは父の悪口を聞かされ
父からは母の悪口を聞かされ

母が離婚してからも
母からは祖母や近所の人の悪口を聞かされ
祖母からは母の悪口を聞かされ

ずっとずっとずっと
いつまで私は
人の聞き役、慰め役になっていればいいのか
ずっと鳥取にいる間、
私は自分の人生を生きられませんでした


いじめにあっていたことも言えませんでしたし、
先生に言われた酷いことや、
人間関係の悩みも打ち明けられませんでしたし、
母が癇癪を起こしたり、泣いたり、
家で鏡に向かってずっと悪口を一日中ブツブツいっていたり
窓を開けて近所の人に暴言を吐いたこともあったりして
私がしっかりしないと
私が優しくならないと
私が聞き役にならないと
と、
本当は優しい性格でもないのに、本当は愚痴なんか聞きたくないのに
母や祖母に優しくしていたので
いい子だねとずっと言われていました。

私は舞台やダンスや歌がやりたかったので
その方面の専門学校に行きたかったですが
そんなのできるわけないと反対されました。

実はもともと
祖父が絵描きになりたかったものの
戦争や当時の状況としてなれなかったので
それもあって
私にはどうしても絵の道へ行ってほしかったようでした

確かに幼いころはずっと絵が好きで
コンクールに出せば必ず入賞したり
県や全国でも賞を取ったことはありましたし
私も、絵が心の支えでした

しかし
高校になったあたりから
実はもう描けなくなっていました

中学の時まではあんなに好きで
あんなに描きたかったのに
高校になって
演劇を始めたあたりで
描き続けていましたが
昔のような情熱を持てなくなり
気づいたら描いていた、という感覚がなくなり
無理して描かないと描けなくなり、
ずっと苦しんでいました

しかし、
祖父・祖母・母には
コンクールに入賞したころの私の記憶ばかりあるので
絵の道に行くものとばかり思っており
後には引けなくなってしまいました

誤解なきよう
それがあって嫌々、今の道に行ったわけではなく
クリエイティブ関連の職業に就き、デザイナーになったのは自分の意志です。
デザイナーの道に行きましたが
今は、仕事として選んで本当によかったなと思っています
あそこで演劇系の学校に行かなかったのは私の選択ですし
今の仕事が一番自分に向いていると思うので
後悔はないのですが
いつからか
自分のために描いていた絵が
家族を喜ばせるために、認めてもらいたいがために描いていた自分に
気づいてしまったので、
もう一度、自分自身が描きたくてたまらなくて描く
という感覚を取り戻したい、という気持ちもあります
最近は素敵な絵描きさんとのつながりもあるので
徐々に絵が好きな気持ちを取り戻し
仕事以外でも、絵についてまた学んだり描きたい気持ちは
芽生えています

それでも同時に表現活動も続けているのは
表現の道を反対されたことの悔しさや
否定されたことで逆に火がついて
それもあって今も表現活動を続けているのかもしれません

大阪で専門学校に行き、
東京で就職し表現活動をして
休みもなく大変なことやトラブルもありましたが
友達や音楽・表現系の仲間や
自分の居場所ができて、
ようやく人生が楽しくなってきました。
今は自分の人生を生きている気がします

仕事もブラック企業に勤めていた
若い時はかなり精神的に参ってしまった時期があり
一時期、病院に行かないといけない状態にもなりましたが
とてもやりがいがあり、16年続けて
ようやく目指していた企業でやりたい仕事につけました。

祖母は
亡くなる前、
「幸せになってね」
と私に言いました。

もし
その気持ちが本当なら
鳥取や実家から
解放してくれませんか?

自分の住みたい土地で
自分の好きな人と
自分の好きな職業で生きる
それが私の幸せです。

遺言には「家を守ってください」とあったので
きっと本心は
鳥取に帰って実家を守ってほしいということはわかっています

でも私の人生なんです
後悔したくないです
私はまだ誰かの人生を生きないといけないのでしょうか?

「守って」なんてそんなこと書かないでほしかったです

もちろん家族は大事ではあるのと感謝はしているので
たまに母に様子を見に帰ったり、お墓参りに行ったり
もちろん
実家は
必ず大事にしてくれるであろう信頼できる人に譲りたいとは思います。


私の帰るべき場所は鳥取ではありませんように

ずっとずっとずっと祈っています


私はもし子供ができても
継がないといけない家を強制したり
故郷や住む土地を強制したり
ましてや子孫を残すことを強制したり
絶対にしたくないです


好きな土地に行っていいし
家だって、いらなければ売っていい
もちろん好きに生きるといっても
借金やギャンブルや犯罪はしないでほしいけど
自分の好きな場所に住むことや
子孫を残さない道を選ぶことに
罪悪感なんて感じさせないような
そんな親でありたいです

どうか、それぞれが
罪悪感なく、
自分の人生が生きられる未来が待っていますように。












この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?