見出し画像

田舎とは何か?

11月28日(月)は二十日大根の発芽と、くつろぎスペースの鉄棒組み立て、さや豆を食べること。

27日(日)は雨が降ったのでほぼ作業はしていない。一度、山の畑に行って、さや豆の収穫をしてきた。

少し大きく育ちすぎたのが陰にあった。

畑から戻る途中、近所の車庫の前にいたおっちゃんと喋った。顔を見るなり、「ちょっと待っとれ!」と言って、お菓子とみかんをくれた。小豆島参りのおみやげと、会社の事務所の裏で生ったみかん10個。

まあ、これが田舎暮らしの定番といいますか、顔を見たら何かをあげる。ちょっと喋る。そして、おおきにさいなら。帰りながら、また野菜ができたらおっちゃんにあげようかなんて考える。当然、誰も会った人全員にものをあげるわけではない。この行為の中でもっとも大事なことはおみやげでもみかんでもない。その物に込められた相手への信頼である。今回のような無条件で相手にものを与える信頼のやりとりというのは、田舎に限った話ではないのだが。

では、田舎の田舎たる所以は何だろうか。田舎とは何か。それは、農村のような地域のことを指すだけではなく、この、信頼のやりとりが必然的に発生する社会だと思うのだ(今の所)。これなしに、その社会で生きていくことはなかなか不自由である。将来、僕の考える田舎がどうなっていくかはわからないが、現状として、田舎で不自由なく生活していくにはご近所づきあいというものを見過ごすことはできない。逆に言うと、ご近所づきあいがうまくできれば、こんなに住みよいところは他にない。僕が、いま、田舎暮らしを考える中で、もっとも重視するのは緑の多さや、透明度の高い水ではなく、人間関係である。そして、そこに田舎の田舎としての価値を見出すのだ。

田舎に移住して、自然に囲まれて生きる喜びをとか、新鮮な空気だとか、都会の喧騒から逃れてとか、農業をどうのとか言っている記事をよく見るのだが、物質的な側面でしかまだ見えてないのかなあと思うことがあるのだよね。地域活性化を目指して、若者たちが現地に赴き「田舎暮らし」を推進する活動はどの地域でも見かけるようになった。確かに木々や新鮮な空気に囲まれてというのも田舎の醍醐味なんだけども、それだけだと、おじちゃんたちは、「なーんか都会の若ぇ衆が来てなんじゃあ頑張っとるみたいやけど、わしらにはよーわからんわ」って状況になってしまうのだ。この状況をなんとも思わない人は割と多いのではないか。分かり合える人同士で楽しくできればよいではないかという話もある。僕もそう思っている。ただしアボリジナルの住民と分かり合う必要がある、今は。それ無しでは、田舎暮らしにいつか限界が来るのだ。信頼関係をつくることである。これさえあれば、わざわざ現金を稼ぐために働く必要がなくなる。というのは極端な話だが、ある程度収入が低くても信頼されることで、現金に代り他者からの助けを得ることができる。田舎は一般的に収入が低いというのは当然のことだ。収入が低いから都会に行くのではなく、田舎では他人同士信頼関係によって助け合っているので生きて行くのに現金を支払う必要がないと考えた方がよい。だが、収入が低いのにそれを補う信頼関係を築かない田舎者が増えている。それはなかなか厳しい。僕の考えは将来、確実に否定されるんじゃないかと思うが。田舎的な考えだから。

田舎暮らしには、自然とか農作物とかに限らない、目に見えないものがまだありそうだが、目に見えないものだけに、発見することはできない。気づくことが大事ではないだろうかな。

それに気づくと、さっきの地域活性化や地域振興、地域おこし、まちづくりというものに疑問を抱き始めると思うのだ。どういうことかと言うと...この話は言い出すと長くなりそうなので今日はこのへんで止めておこう。

ここまでが27日の話。

28日は、雨があがったので、くつろぎスペースの鉄棒の組み立て。

20分ほどで出来上がり。なんだか無骨な感じになったなあ。斜めの柱があるからものすごくスペースを取っているようにも見える。どうにも「くつろぎ」には似合わないような気がする。最初はもう少しウッドデッキとか花のプランターなどを置いたりしようと思ったけど、この鉄棒が全てを台無しにしてしまいそうだ。

いっそ、タイヤとか置いてガレージ風のデザインにしてしまおうか。どうしよう。

土がまだ柔らかいので、固める作業をしよう。庭の隅っこに置いてあったガラクタで地面を叩く。道路工事などで使われる地面を固める機械があったら楽なのだけど、そんなもの持ってないから、自力でブロックを上げては落とす運動の繰り返し。地道な作業で、おまけに少々力が要るのですぐに疲れた。

気晴らしに山の畑で作物の様子を見ることにした。

二十日大根の芽が出てきたようだ。4日目かな?20日で実るか、少々不安だが。晩成型の大根なのだ、きっと。

前回収穫したさや豆は彩りとしてハンバーグのお供に使った。知らない間にマヨネーズを塗られた。さや豆はみずみずしくて食感はシャキッとしていた。まだまだ採れるから楽しみだなあ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?