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こんな今の自分でもワクワクすること、それは…☺️。だけど、そこからの急降下

本日のつむ。ほんの少しの外出で疲労困憊。バタンキュー。

きょうはどうしても受診の必要があり、午前中ちょこっと外出、といっても目の前まで車です。🚗(つむは真面目な話、心身ともにボロボロです。)
やはりたったそれだけでへとへとになり、
帰って来た途端、食欲も何も
バタンキュー。(本当に幼稚園生、年少さんみたい。🧸)
いつもより長く寝て、体力回復しました。

そんな自分が、いま頭の片隅で考えている「わくわくすること」があり、
でも結果、悩みの種ともなってしまい、なんとも複雑ですが、
こんないまの自分でも(昔から)わくわくすることがあるのです。
それは…⭐️

大切な誰かへの贈り物を考えているときがわくわく

自分は多分あまり物欲がない

自分は、昔から比較的、今はほとんど、
本は欲しいと思うけれど、その他比較的物欲がないほうだと思います。
多分。笑
同年代が興味を持つようなものや、最新のもの、
全く興味がないわけではないけれど、いつなんどきも、
同級生からは「疎い」「興味ないの?」なんて言われていました。
私服はズボンにTシャツで十分、って感じ、
もうちょっとおしゃれしなよ、なんてどれだけ言われたか、耳タコです。💦
洗練されたブランドものやおしゃれなものなど、「ステキだな」とは思い、
正直惹かれるものはあります。
でも、買おう、とまではあまり思いません。
自分が持っても宝の持ち腐れ、買う意味ないな、なんて思っていったのかな、と思います。
そしていまは引きこもりなので必要なものはほぼありません。
まさに「本」、これさえあれば十分、という生活をしばらく送っています。

だけど。不思議と、他人に対してだと、
違った想い、こだわりが出てきます。
それが今回のテーマ

大切な誰かへの贈り物を選んでいるとき、わくわく!する⭐️

相手を想像し、どんなものがいいか、このタイミングで贈るのに良いのはなんだろう🌻それを考えている時が楽しい

です。
これは一方的な押し付けになるのかもしれませんが、
何かのお祝いに、大切な人、お世話になった方に贈り物をしたい、
という時は
いろいろ物をリサーチし、比較検討する。
そして、相手を頭に浮かべて、どんなものが好みかな、
このお祝いのタイミングでより良い贈り物はなんんだろう、
と真剣に選びます。

この時間は、自分に物を選ぶときやその他色々なことの中で、
自分が一番、心躍る、わくわくする時間です。

そして、そんなとき、
なんでも高い物を送れば良い、という考えは毛頭ないですが、
何かの節目、お祝いとしてふさわしいもの、となると
洗練されたもの、それなりにお値段が張る物を、
「これにしたい」と思ってしまうことが往々にしてあります。
自分にはあまりお金をかけないぶん、
限度、分相応、というものは最低限ありますが、
誰かへの贈り物には、あまり金額で妥協したりすることはありません。
自分がこれがいい、と思ったものを基本的には贈るようにしています。
もちろん、お手紙やメッセージカードも忘れずに。

これまでの自分は

元々友人が少ない自分。
誕生日プレゼントを送り合うような友人は数える程度でした。
そして、なんとも失礼な物言いですが、
同じグループにいるだけ、程度にしか思っていなかった自分は、
相手の誕生日が来るのが億劫で、何を送ろうか、イヤイヤ頭を悩ませたのでした。

しかし、大学生で塾講師のバイトをし、大学を卒業した後、
元担当生徒の節目のお祝い等には、
その「わくわく」を自然と感じて、楽しくお祝いさせてもらい、
贈り物をしていました。
その後も、年上の先輩の節目のお祝い、年下の(元担当生徒など)への
贈り物を考えるときは、不思議とわくわくするのです。
きっと、感謝の気持ちや、愛情(とまでいうと言い過ぎですが)
純粋にお祝いしたい思いがあったのでしょう。

考えてみれば、何かの機会に、
お祝いさせてもらえる」というのは、とても幸せなことだな、
と思いました。

今のわくわくは🧡だけどやっぱり現実。自分がいま置かれている状況

そろそろ皆さんもおわかりかど存じますが、
自分は現在完全引きこもり、連絡もほぼ遮断、の今の自分と関わる人は
ほぼゼロ」です。

だけど。
自分が中高時代にとてもお世話になった先生、
第二の母、のような先生がいます。
その先生とは、卒業して長く経つけれど、
細々と関係が続いていました。
そして、その先生の一人娘、お嬢さんが
もうすぐハタチをむかえます。⭐️🎈
なんとおめでたいことでしょう。
成人が18歳に引き下げられたとはいえ、
やはり、ハタチとなると一つの節目のように感じる自分です。

先生にも、お嬢さんにも(会ったことはないけれど。笑)
なにか贈り物をしたい、お祝いさせてもらいたい、と考えていました。

けれど、自分はいま休職中の身分です。
働いていた時の貯金はあるけれど、それを切り崩しながらつなぐ生活。
そして、公務災害の審査結果が出るまで時間がかかる都合上、
傷病手当も入りません。
つまり、かれこれ1年間、ただ貯金を切り崩すだけの生活を送ってきたのです。(休職から1年間は減給された給与がもらえていた。)
クレジットカードや銀行の通帳カードなど、
いまの自分(つむ)では管理出来ない、と言われ、両親が持っています。
(そもそも仕事していた時から、通帳カード暗証番号知りませんでした。)
なにか物を買いたいときには「親へ相談」。
許可がおりれば、お買い物OKという生活です。
(なんかちょっと変な気もするけれど、特に困ることがなかったので…。)
普段は、基本的に「本」(と必要最低限の何か)しか買うものはないので、問題はありません。

そして、今回も、
自分が「これ」と決めたのもを
理由を添えて、買いたいと申告しました。

が、しかし。ここからが、
悲しみと悲劇の始まりとなったのです。
「惨めさ」「無力さ」を強く感じ、 悩みそして、自己肯定感をマイナスへ
引き下げることとなったのです。

ここまで書いて悲しくなって涙溢れそうなので、
続きは次の投稿にしようかな、と思います。
きょうはここまでできゅうけい、させてください。🫧🌱
中途半端でごめんなさい。
多分またあした、かけたら続きを書きます。
どうぞよろしくおねがいします。🙇

今日もここまでお読みくださりありがとうございました。🌻


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