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ことばを話す「人」に助けを求めるより、こっちの方がまだマシだからだよ。

ことばを話す「人」に自己開示して「助けて」って頼るより、こっちの方がまだマシだからだよ。
それだけだよ。これまでの経験で、そう学んだんだよ。

自分もいまはもう、年齢的には大人。
中身はよちよち歩きくらいの子どもかな。

よちよち歩きは置いておいて。

年齢的、社会的には大人だけど、
それでも自分より上に立つ人とか、
「相談して、何でも話して。」
とか言って、やっとの思いで話したら。

理由も聞くことなく
『絶対にダメ。そんなバカなこと言わない、しない。』
ありきたり、あるあるだけど。
そんなことが、何度もあった。 

何度も何度も、それは多分子ども…の頃から。
言葉が拙くて、自分のことを表現するのがとても苦手だった自分(いまも)。
伝え方、なんて言えばいいかわからなくて
しばらく返事に迷っていると、
「黙っているだけじゃわからないでしょ、自分の言葉で話しなさい。」って
必死に考えているところに、さらに怒られて
なにも言えなくなったりもした。

そうやって、そういう経験を何度も何度も重ねて。
「傷つくのはもう嫌だ、信じられる人がわからない、
見つからない、どこにもいないよ。」
という思いが強くなった自分。
誰かに何かを相談することを避けるようになった。

たぶん本当は、誰かに聞いてほしい気持ちもどこかにあったはず。ないわけがないよ。
だけど、話しても、怒られたり否定されたりして、
こころが傷つくことの方がもっと嫌だったから。

ひとりで抱えるしかなかった。
でも、何もせずにひとりで抱えることは
そんな簡単なことじゃない。

だから。ね。
世の中、社会一般では広く、
『ダメ。そんなバカなこと。』って思われることに
頼るしかなくなっちゃったんだよ。

ダメなこと、良くないことは
自分でもわかってる。
楽しんで、好きで、遊びで。やってるわけじゃないんだよ。つらいんだよ。だけど、
そうするしか、方法が見つからなかったんだよ。
自分の『こころ』を傷つけられるよりまだマシだから。よっぽどマシだから。
自分の心を傷つける、「人」以外に助けを求めるようになったり、した。

だけど、もう、そんなことも
誰にも知られないように
隠して、隠れて、生きていかないとな、って。

どこまでも、悪循環。

人として生まれたのに、人のことを信用できない。
こんなに悲しいことってないな、って思う。
結果、『悪い子、ダメなこと』をしている、自分。

じぶんはさいていだ。


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