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愛されても大丈夫!!!

「友達」という言葉に物凄くコンプレックスを感じてきた。
「ママ友」という言葉が怖かった。
関西から結婚で東京に住み、誰も知り合いがいない中、子育てが始まり、ベビーカーを二台並べてお話しするママ同士が羨ましいと思って一人泣きそうになっていた。東京から関西に戻り、本格的な子育てが始まる中、最初引っ越しで馴染めなく、周りがみんなグループ化している中、胸が苦しくなりながら、子どもを何とか楽しませてあげなくちゃ、と一生懸命子育てイベントに参加した。
そんな私にも、子どもを一緒に遊びにつれて行ける親子の知り合い(それをママ友というのだろうが、私は軽々しく「友」という言葉を使えない…)が出来たけれど、その時心の中で出てきたつぶやき。「大丈夫?こんな私なんかといて。私なんかと二人で一緒にいても大丈夫?」というそのお母さんへの恐怖の思いだった。

今思い出せば、私に友達なんかできるわけがない。私が友人関係を作れるわけがない。私は誰にも愛されない、好かれない。という泉のように私の中から湧いてきた言葉で溢れかえっていた状態だった。

あまりにも子育て(というより、子育てを通じてのお母さん同士の付き合い)が苦しすぎて、夫に何度も電話して、夫に職場から家に帰ってもらったこともあった。
幸いにして、夫は、私のこの「どうせ私は誰にも愛されない病」の垣根を乗り越えて、私に安心感を与えてくれる存在だったので、なんとか、それで私の精神は保たれていた。

いつもいつも怯えていた。私が愛されるはずがない。私が好かれるはずがない。私は嫌われて当然の人間なんだから。私を好きになる人が存在するはずがない。(なんで私がそんな風に思い続けてきたのか、その心がどこから来るのかは、次第に自分の中で納得できるようになっていったけど、ここでは掘り下げない。)

私の心にずっとずっと渦巻き続けてきた私の叫び。嘆き。悲しみ。

それが、やっとやっと、やっとやっと、笑顔に変わろうとしている兆しが見えてきている。

生徒との会話で、「先生が好きです」ってまぶしい笑顔で言ってくれた。
私は一瞬涙が溢れそうなくらいうれしかった。胸がじんわりあったかくなった。誰かにそう言われたから嬉しい、好きだと認めてくれたから嬉しい、ということを超えて、私の魂と彼女の魂が、何か共鳴しているんだと、そう感じたことが嬉しかった。「嬉しい。泣きそう。」そう笑顔で答えて、すぐに授業が始まるから、それ以上、そのことについては会話が出来なかったけど、私の中に、温かい炎が灯った感覚がある。

人に「好き」と言われて、それをまっすぐに受け止められなかった。「いやいやいや、私が好かれるわけがない。愛されるわけがない。何か魂胆があるんでしょう。何か私に見返り求めているんでしょ。」のような、または、「そんな風に言ってくれても、どうせすぐに手のひら返されるよ。」のような、要するに、いつも、それを嬉しいと受け止められない私だった。人からそう言われることに恐怖と不安を感じていた。

だけど、今回、まっすぐに、私の中に入ってきて、私の中でしっかり受け止められて、何の疑いもなく、私の中に優しく育っていく種となり、発芽しそうな気配が感じられる。

ここから私が学んだこと。
自分に正直に生きること。自分を知ること。自分の本音を掘り続けること。自分がどう在りたいのかをずっとずっと探究し続けること。そしてそれを常に、自分自身がアクセスできるように、自分なりのアウトプットを怠らないこと。

この嬉しかった出来事を、何人かの人に話した。一緒に喜んでくれる人に話をした。そして、英語でも拙いながらも、オンライン英会話でのトピックとした。オンライン英会話の先生は、ずっと同じ先生で、私がいっぱい不安を感じてきたことや、いろんなことを話せる。(英語もコミュニケーションツールだということを彼から学んでいる。ただ単に英語が話せればいいんじゃない。誰と話すか。何を話すか。どこまでお互いの思いを正直にさらけ出し合えるか。スキルも大事だけれど、一番はお互いを理解し合おうとするマインドであることを彼から英語以外のところでもいっぱい学んでいる。)彼は、「ずっと大丈夫だと思っていたよ」と満面の笑顔で私のこの話を、聞いて感想を述べてくれた。

仕事で幸せを感じられるなんて絶対にありえないことだと思ってきた。私がそんな仕事に就けるはずなんてないってずっとずっと思ってきた。私は何をやってもどうせ失敗する能無しなんだとずっとずっと自分に罵声を浴びせかけてきた。

そうじゃないね、そうじゃないね、そうじゃないところって、きっとどこかにあるんだよって、やっとやっと、本音で、自分で自分に言ってあげられそうだって思える。

適材適所ってある。ちゃんと適材適所を知ろうねって、次世代のみんなに伝えたい。みんな何かを持っている。その何かを、ちゃんとちゃんとあきらめずに自分自身で探そうねって伝えたい。誰かに聞くことも大事だし、それに気づいてくれる人に出会えたら幸せだけど、一番は、自分で自分を見つけてあげるんだよ、諦めずに、って伝え続けたい。伝えることが許されている限りは。

ありがとう。出会ってくれて。
廊下ですれ違う時に、挨拶してくれるの、とっても幸せです。そして挨拶し返す自分の顔も、きっと美人だろうなってその瞬間の自分は好きです。そんな風に、お互いをそう思い合える、関係を作れるように、私は自分の中をこれからも見つめ続け、本当の幸せを探求し続けます。

校長先生が、何度か、「幸せな先生が生徒を幸せにできる」っておっしゃっていたのを聞いて、私は「幸せな人間になろう」って思いました。どうすれば幸せなのか、日夜、自己探索中。

その探索の一環として、このnoteも大いに活用させていただきます。

まだまだいっぱい書きたいけど、今日はここまで。


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