人を属性で一括りにする意味とは。
こんにちは!大学生Ryoです。
先日、ダラダラとTwitterを見ていると、ある一つのツイートに目が留まりました。
それは、
「男性って女性に、
稼いでほしいけど俺より低収入でいて欲しくて、
家のこと任せっぱなしのくせに女性には綺麗でいて欲しくて、
その割に女性が美容にお金をかけることには理解がなく、
自分は不甲斐ないのに立てて欲しい、っていうので合ってる?」
というツイートです。
(一部変更しています)
このツイートは現時点で2万3000いいねを獲得しているため、数少ない僕の読者の中にももしかしたらこのツイートを見かけた人がいるかもしれません。
このツイートに対してコメント欄には、
「うちの主人が自己紹介しているのかと思いました。」
「素直にそうとは言いたくないけど、実際そうです。」
というコメントに対して、
「ほとんど合ってないです。」
「この人ストレス溜まってんの?」
という意見もあったり、賛否両論飛び交っていました。
そんな中、こんなコメントも多く見受けられました。
「なんで男全員が総じてこれみたいなこと言うの?」
「なんでこういうやつって主語がでかいん?」
「男は、女は、って決めつけているあなたは本当に視野が狭い。」
この一連の騒動について僕が感じたことをまとめてみました。
現在僕はアメリカに来て約5か月が経過していますが、この、「人を国籍や性別、属性、見た目等で一括りにする」ということに対して、コメントで「男は、女は、で決めつけるな。」と言っている人と同じような感情を抱いています。
それぞれの集合体に一定の共通性はあるにせよ、もちろん例外も必ず存在していて、一括りにすることでいい思いをしない人もいる、そんなことを感じました。
身近なことで言うと、「アメリカ人は時間にルーズだ」というイメージは日本人であれば大抵の人が抱いているものであると思いますが、実際は5分以上前に集合している人もいれば、毎回時間ぴったりに来る人、必ず遅刻してくる人、来るか来ないかは気分に委ねられている人、様々な人がいます。
また、「アメリカ人は陽気な人が多い」とか「アメリカ人はパーティが好き」というのも同じことが言えます。
人見知りな僕より人見知りなアメリカ人にも出会ったこともあるし、パーティーが嫌いというアメリカ人の友達もいます。
つまり時間にルーズか、陽気か、パーティーが好きか、というのは人それぞれであり、完全に個人次第です。
ごく普通に考えてみれば、当たり前に分かるものです。
そもそも人種のるつぼと言われるアメリカで、「アメリカ人は~」という主語で物事を説明することはできるわけない、そんなところです。
(また、「男は~」、「女は~」という括りをすることに関しても、LGBTQプラスの観点から言うと望ましくないということも言えます。特にアメリカではこのあたりに対する理解は日本に比べて深まっているように思います。)
「日本人は毎日寿司を食べている」とか「日本人はみんな刀を持っている」というようなこともそれと同じことでしょうか。
この程度の話であれば笑い話ですが、
「日本人は英語が全然話せない」
「日本人は集団じゃないと何もできない」
このような言葉を聞いたこともあります。
日本人の国民性として上記二つが多くの人に当てはまることはあっても、必ずしも全日本人が該当することではない、ということは強く主張できます。
このような言葉を聞いたときは悔しいというか、嬉しくはない、という感情についてはこれに当てはまらない人、もしくはこれに当てはまらないよう努力している人は容易に理解できると思います。
実際、僕もアメリカへ来て英語をマスターしたい、そんな思いで英語学習に努めているので、「日本人は~」と主語を置かれることに対してはツッコみをいれたくなります。
今回、このツイート主の方がどんな思いで「男は~」と述べているのかは分かりませんが、この1つのツイートからいろんなことを考える良いきっかけとなりました。
一つ言えることは、SNSや人目の多くつく場所で人を何かの属性で一括りにすることは、必ずその例外から反論があることは想定しておく必要あり、ということでしょうか。
もちろんツイッターやnoteも同様に、タイトルや見出しでインパクトを惹きたいがために誇張表現を用いることの気持ちは、noteに文章を綴っている僕も大変よく理解できます。どうせ発信するなら多くの人の目に留まり、多くの人に読んでもらいたいものですからね。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
思っていることをただつらつらと書くだけの記事になってしまいましたが、これを機に何か新たな気付きや発見があれば幸いです。
また次回お会いしましょう!
では、また。
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