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解説 第二説教集2章「偶像崇拝の戒め」の概説 #73

原題: An homily against Peril of Idolatry, and superfluous Decking of Churches. (教会をいたずらに飾り立てて偶像崇拝を行うことの危うさについての説教)

16世紀英国教会説教集 Certaine Sermons or Homilies について、解説と試訳を章の部ごとに区切ってお届けしていますが、いよいよ第二説教集の第2章「偶像崇拝について」のところとなりました。この章はとても長いのです。この章が他と比べていかに長いかについては、この(記念すべき)最初の記事でも触れています。

群を抜いて長い説教であることがわかると思います。平均してみれば、この説教集にある他の説教のだいたい6倍の長さとなります。これまで、一つの章が多くて三部構成であるとして、それぞれに解説と試訳で進めてきたのですが、この章についてはそのパターンではなく進めていくことになります。

とても長い説教ですので、章を部ごとにしつつ、さらにその部について解説をするにしても、一度では終わらず分けて進めていくことになると思います。そして試訳についても、ひとつの部をいくつかに分けて投稿することになると思います。しかしそうは言っても全体で「一つの説教」であり、細かく切ってばかりいますと全体像が見えなくなります。そこで今回はこの途方もなく長い「偶像崇拝」の章について、かなり大雑把になりますが、全体像を俯瞰したいと思います。

第2章全体で(私の翻訳原稿A4版1ページ約1200字で)105ページ、
そのうち
第1部は17ページ
第2部は32ページ
第3部は56ページ
となります。なお、ページ数には注釈部分を含んでいます。ただし、これまでの試訳もそうでしたが、ここで公開の記事には注釈を施していません。

第1部で他の説教一つ(説教集の一つの章)分、第2部は章二つ分、第3部は少なくみて章三つ分となります。さて、その内容です。大雑把にはこうなります。

第1部
教会堂に溢れる偶像崇拝への非難
「偶像」の語源(ギリシア語とラテン語)
旧約聖書にみる偶像崇拝への戒め
新約聖書にみる偶像崇拝への戒め
まとめと結びの祈り

第2部
第1部の振り返り
古代教会の教父らにみる偶像崇拝への戒め
ローマ帝国の分裂とキリスト教界の弱体化
偶像を排斥していた東ローマ皇帝
偶像を擁護していたローマ教皇
偶像を正当化するに至る東ローマ皇帝
偶像を容認するに至るキリスト教界
まとめと結びの祈り

第3部
第2部までの振り返り
キリスト教界に入り来る異教の神々
神の像を造ることの愚かさ
キリストの像を造ることの愚かさ
古代教父らの偶像批判の確認
偶像崇拝が信仰にもたらす危うさ
異教世界における偶像崇拝
聖人の偶像まで造っていることの愚かさ
聖遺物への信仰を持つことの愚かさ
聖書にある偶像崇拝への戒めの確認
教父や公会議の偶像崇拝への戒めの確認
真のキリスト教信仰に偶像は不要である
旧約世界の王たちにみる偶像崇拝の否定
迫害の下にあって質素であった聖堂
信仰に輝いてこその教会堂
偶像で装飾することによって信仰が堕する
悪魔に騙され誘惑されてはならない
まとめと結びの祈り

これでもかなり大雑把にお示ししています。これらが直線的にというよりは、繰り返し、波状に、また回帰的に述べられています。螺旋的にと言ってもいいかもしれません。途中は世界史の授業かと思うほどのものでもあるのですが、この説教は総じて「なぜ偶像崇拝はいけないのか」と「なぜキリスト教界に偶像崇拝という過ちがあるのか」について熱を込めて述べており、結びとして「真のキリスト教徒」として霊的に生きることを求めているものであるととらえることができます。

かなり長い説教になります。章を部ごとにした上で、その部の解説を複数回で、試訳についてはさらに区切って投稿していきますが、お読みになっていて途中で現在地を確かめたいとなったら、またこの記事に戻っていただければと思います。


今回は第二説教集第2章「教会をいたずらに飾り立てて偶像崇拝を行うことの危うさについての説教」全体の概説でした。次回から第1部に入りますが、解説を2回に分けて投稿し、試訳については3回に区切ってお届けします。

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