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分かり切っていることではあるが、本当に勉強は常に必要である。

毎回くだらないことばかり文章にしているのでこいつは一体何をやっている人間なのかと思う人がいるかもしれないし、ふつうは俺のことなんかで埃の粒子ほども脳内神経を使わないだろうけれども、とにかく書家ということでやらさせていただいている。

シドニーで書道教室を開いていて、そこに通ってくださっている皆さんのおかげでご飯を食べることができている。ありがとうございます。

さて、2020年の今年は開けなかったが、毎年地元チャツウッドのギャラリーで会員展をやっている。

会員のみなさんはご自分で文言を選んで作品にする。俺が言葉を選んできて強制的にそれを作品化させるわけではない。そんな力は俺にはない。

俺は皆さんが選んできた文言に対して何種類かの手本を書いてこういうのどうですかとご提案差し上げるだけだ。

あるとき七言絶句をもっていらした方がいて、俺はその手本を書いた。
そこまでは俺ができることなのだが、詩の読み下しや解釈はまた別の話である。

教科書に載るような有名な詩ではなかったので、レ点や一二点がついて漢文風になっていたわけではない。ただ漢字が並んでいただけだ。

漢文漢文と言ってはいるが、そもそも漢詩は中国語の古典である。
中国人でも古典にあたる漢文は現在のものとは文法が違って簡単には読解できない。日本人が源氏物語や枕草子などの古文を原文のまま読んでも分からないのと同じだ。

ここは英語圏の国であるからして、作品に何が書いてあるのかを地元の人々に説明しなくてはいけない。その漢詩を読み下したものを現代語訳した上に英訳しなくてはならないわけである。面倒くさいが手順としてはそうである。

というわけで、困った俺は知り合いの香港人の書画の先生に頼み込んだ。丸投げだ。上手投げとか出し投げとかの相撲の技ではなく、全部まとめてお願いしたのである。こういうのはできる人に頼むに限るのだ。その間俺は自分の仕事ができる。

するとどうでしょう、間もなく素晴らしい英訳をいただいた(どうもありがとうございます)。俺には全く思いもつかなかった訳だったのでなるほどなふほどと感心して非常に感動した。

漢字だからといって日本人が知識もなしに中国語を解釈しようとしても限界があるし、誤解を生む可能性は沢山ある。

よく言われるところだと、日本語で言う「手紙」は中国語では「トイレットペーパー」だったりする。お便りくださいの意味で「手紙をくださいね。」って言ったら怪訝な顔されてしまったり、親切な人ならトイレットペーパーをどさっと大量に送ってくれるかもしれない。

「矢野先生」と中国人が書いたのなら、その意味は「矢野さん」である。
日本語の「矢野先生」を意味するものなら中国語なら「矢野老師」である。

漢字だからといって何でもかんでも日本の感覚で解釈すると誤解するというのはこういうことだ。

分かり切っていることではあるが、本当に勉強は常に必要である。

こちらとしては英訳までしてもらった(先生は日本語訳ができないから一足飛びに英訳)上に、素晴らしい隷書の作品までいただいた(※写真)。波磔(ハタク)の最後の最後まで気が通っていて息をのむようである。
先生が作る白はいつ見ても美しい。心が浄化される気がした。

何から何まで本当にありがたいことである。

英語圏で書道を紹介しています。収入を得るというのは本当に難しいことですね。よかったら是非サポートをお願い致します。