Ren Yano
小話的な話をまとめます
汚いものの説明をしたりする箇所があるので、読むのやめておこう、という判断が必要です。
トイレ問題が勃発しているようで、女性用のトイレが減ったり、UNISEXのトイレができたり。銭湯・温泉問題や更衣室問題もそれと同様だろう。 トイレ問題の専門家では全然ない(トイレの専門家でもないし、温泉問題の専門家でも温泉の専門家でも、専門の専門家でもない)のだが、自分なりにぼんやり解決策を講じていると一つの結論に至った。人間忙しすぎると逃避してしまう傾向にあるのがよくわかる。 新時代における人間生活の考え方として必要なのはやはり「固定概念の払拭」だろう。いつまでも古い考え
大きな変化は突然言い渡される。 だいたいはそうである。 さてICUでは毎朝ドクターたちによる見回りがある。 彼らはどう思っているのかしらないが、患者側からすると動物園のゴリラにでもなった気分になる。いやゴリラほどいかつくないからニホンザルくらいか。さすがに俺も自分で自分をパンダ、とかコアラとか言えない。竹や笹はちっとも好物とは言えないし、木の幹にしがみついた母の背中にしがみついてじっとしている自信もない(母にもなかろう)。 彼らは外からこちらをジロジロ見ながら「山田さ
正直ICUでの3日のことはあんまり詳しく覚えていない。 とにかく何やらかにやらが痛くて身体も自由に動かせなかっただけだったように思う。 食欲もなかったのにナンバー2のことだけしつこく聞かれた。排便刑事による排便捜査である。そりゃ俺だって期待に応えたいと思う気持ちはなくはないが、鶏じゃないんだからそんなに毎朝はいどうぞと産めはしない。鶏が毎日卵を産むかどうかは知らないから、ナースの人も俺ではなく鶏の方に直接聞いてほしい。 そしてシャワーを浴びることは強いられた。無理やりと
目が覚めるともうICUだった。 えーーーっ、と思うかもしれないがそりゃそうである。心臓手術の一部始終を切られている患者が覚えているわけがないではないか。人工心肺までグルんグルん(かどうかは知らんが)回して手術してるのに。 人工心肺なんてドラマでその名を聞くだけで、実際どんなものか全然分からない。というわけで写真を参照してほしい。そうだろう、写真をみてもよく分からない。しかしとにかくしばらくの間心臓と肺の代わりをしてくれるのだから、とにかく重要な装置であることは間違いない。
ドリカムも昔歌っていたが、『決戦は金曜日』になった。 日本でもオーストラリアでもそうなのだろう。 近づいてく 近づいてく 決戦の金曜日 なのだ。(なのか?) 木曜に手術台にのり、翌週月曜にまた手術台にのり、 その週の金曜日に三度(←みたび、と読もう)手術台にのる。 そんなに頻繁にのっていいものかどうか分からないが、罪に問われるようなことになっても俺のせいではない。 こっちだってのりたくてのっているわけではないのだ。 ノリノリでは決してないのである。 手術リス
開胸手術が決まった。 「こんなことになるとは思いもしなかった」 普段簡単に口にする人がいるが、この言葉は果たしてそんなに簡単に使っていいものなのだろうか。 そんなに予想しないことがしょっちゅう起きるわけがないではないか。物事には因果関係というものがあるのだから、結果はその原因に起因する。勉強不足なら試験に落ちる可能性を予測できるし、飲み過ぎれば二日酔いになるかもしれない。しかし予想できないことがしょっちゅう起きているのだとすれば、それは本人の予想がとんでもなく下手糞か、
月曜日は早朝から準備に取り掛かる。 自分が心臓の手術をするところを想像できるだろうか。 できるのはせいぜい擦りむいた膝小僧にマキロンをふりかけるところくらいだ。 夜が明ける前からシャワーを浴び、髭剃りのためにもらっていた剃刀で毛の処理もきちんとしておく。物事を成功に導くには十分な準備が必要だ。できるかぎりストレスなく手術を行って無事成功して欲しいと願うのは人情だろう。 例によって専門職のベッド運び人のお兄さんが来て、ガラガラゴロゴロと俺を運んでいく。ベビーカーに乗った
手術は週明け、ということに決まったようだった。つまりそれまで入院状態も継続されるということが決定したということのようだった。 「一旦家に帰るより病院に居た方が安全よ。」とナースの人も言った。「外でコロナに感染して予定した手術を受けられなくなっても困るし、ハートアタックが起きないとも限らないし。」 「確かに…」とその言葉に深く納得しはしたが、別の解決せねばならない沢山の問題の発生に気持ちが焦りに焦った。 パンツがない…。 入院すると思って病院に来ていない俺は、夜をどこか
翌日は木曜日。 相変わらず身体にはペタペタとコードが貼り付けられていた。 針も突き刺さっていて、血液もぐいぐい抜かれる。採り放題だ。 手術の前だから、と前日夜から何も食べてはいけなかった。 この前日もその前の夜から何も食わないで病院に行けと言われ、結局(手術延期決定後の)夕方まで何も食べられなかったのだが、そのとき病室で夕食を食べてからは夜明け前に渡された薬をちょっとの水で流し込んだだけ。手術が終わるまで何も食えない。 手術の順番はリストの上位ということで、正午前後
朝6時半の電車でに乗って、行けと言われた病院のERに向かう。 西シドニー大学がある駅の病院である。 持たされた書類とメディケアのカードを受付に出す。受付に居た昔お姉さんだった人はお世辞にも愛想がいいとは言えなかったが、俺のことを怒鳴ったり殴ったりすることなく(普通はしない)手続きをしてくれた。 待合室にはいかにも具合が悪そうな、この世の終わりのような顔をした人ばかり、付き添いの人と一緒に20人ばかりが散在していた。これからフルマラソンを走りそうな元気モリモリの人は一人も
術後3週目。 福岡県人会からお見舞いのお花をいただいた。 何にもない部屋がなんだか明るくなった。 部屋中に花の香りが満ちている。 お気遣いくださってありがとうございます。 さて、病院というある種特殊な空間にしばらく入院をしていると、普段の生活とのちょっとした違いに気が付く。とかいうと大袈裟すぎるけども。 その一つがやたらと、いやもうしつこいくらいに他人(とくに女の人)から便通のことをきかれることだ。女の人が多いというのは単にナースが女の人だからなのだが、日に何度も
皆さま、秋の深まりを感じざるを得ない今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。 本日は一つ皆様にご報告がございます。 私にとってもあっという間の出来事というか、あれよあれよという間のトントン拍子の出来事ではありましたが、先週の金曜日に心臓のバイパス手術をするに至りまして、なんとか三途の川のほんの一歩手前から無事に生還いたしました。(最初カテーテルでの手術も試みられ、結果トータル3回手術台にのりました。) ICUからカオスのような一般病棟を経まして、一昨日無事に退院をいたしま
さて、毎週毎週日曜日にシドニーのカジノであるThe Starに出向いて高級日本食レストランで何をしでかしているかと言えば、これ(写真参照)だ。 ご希望される方だけだが、レストランに来られたお客様のお名前を毛筆で書いて差し上げる、それが仕事だ。俺の給金はThe Starからでているので、お客様はこれらをフリーで受け取れる。 一昔前は「漢字で名前を…」というのが主流だった。今でもそうなのかもしれない。そういう依頼も度々受けてきた(し、実はこの仕事も最初はそういう依頼だった)。
2021年6月末。 ロサンゼルスエンゼルスの大谷翔平選手が敵地ニューヨークでニューヨークヤンキースとの3連戦中。初戦1ホームラン、2戦目に2ホームランを放つ(3戦目は4ホーマーを放つ予定。大谷は先発ピッチャーだけど打つことも監督が発表した。4打席回ってくるかが心配だけど、回りそうになかったら1打席で2本ホームランを打てばいい。大谷ならもう何でもできそうな気がする)ちょっと怖いほどの活躍ぶりでMLBの動画には賛美の声が溢れている。 アメリカ人が日本人の一挙手一投足ををこれほど
「神はのりこえられる試練しか与えない」 シドニーCBDにある教会Wesley Missionには当時寄贈した拙作が今でも展示されている。 何をもって復興の完了とするかは分からないが、季節が幾度も移り変わる中で、人々の営みも年中行事も、元通りとはいかないまでも随分と戻ってきたのではないだろうか。 震災当日。あの日は自宅のパソコンに釘付けになって夜遅くまで被災地を心配した。そしてよく寝もしないまま早朝フライトでダボ市へと飛んだ。市内の日本庭園「逍遥園」で開催されるAutum
ゴキブリの話は人気がある(のか?)。 伊坂幸太郎氏の「魔王」を読んでたらゴキブリのことが話の中にでてきた。 主人公の弟はゴキブリのことが嫌いで「ごきげんよう、おひさしぶり」と呼んでいるって。ヤツらは決してそんな悠長な生き物じゃないけど。 で、「ゴキブリ」って呼び方がダメだってことで「せせらぎ」って呼ぶことになってしまう。ここは笑える。でもヤツらは決してそんな趣深い生き物じゃないけどね。 ということで日本ではまだあれのことをゴキブリと呼んでいるのかどうなのか。せせらぎの