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Vへの誹謗中傷と、実害のある行為を前に考える材料を集めた ーー業界の課題、心理的ケア、批評と誹謗中傷、犯罪心理学、加害者にならない/しない工夫


私たちにできることは、犯人を感情的に憎むことではなく、淡々とこれからについて考えるための素材を集めることである。

先日、バーチャルユーチューバー事務所「にじさんじ」のライバーの方が、一部の人間のストーカー行為、また「果たし状」が届いた件などで、引退されることになった。

ずっと頭がいたい。しかし、少しずつ言葉を書き連ねよう。

YouTuber、とりわけバーチャルユーチューバーはそのファンとの距離の近さが魅力であった。一方、↓のダンディジョージさんのYouTubeのコメントにもあるように、完璧な運営体制を求めてしまえば、芸能事務所相応の、ガチガチの防備耐性を取る必要がある。さすれば、Vtuberの良さの一部であった相互交流は失われてしまう。これは非常に大きなジレンマである

この記事では、犯罪心理学など、法律以外のベクトルから今回のような問題を繰り返さないこと、また個人への誹謗中傷というレベルも含めて、どう犯罪を発生させにくい環境を作るか、考えるための素材を集めた。あくまで素材が故、ここからどう考えるかは、読む人、そして私の課題になる。

「予防」には、完全な答えはない。皆様もどうか、知恵を寄せ集めてほしい。


(※にじさんじ関係者の方がいらっしゃいましたら、「二次創作の格差~」から始まる章が私が一番悩んでいるところになります。重い話ばかりになりますが、どうか目を通していただければ幸いです)



法的対処については、ダンディ―ジョージさんの解説が素晴らしいので参考にされて欲しい

EXITのりんたろー。さんはいじめやジェンダー、誹謗中傷について切り込んだ歌詞の曲でつい数日前メジャーデビュー。

炎上についてはこちらを参考にしてほしい

ANYCOLOR株式会社は、誹謗中傷報告窓口も持っている

インターネット時代の洋楽アーティストとストーカー、誹謗中傷

Billie Eilishが4月にリリースした新曲「Your Power」は、恋人へのDVについて、6月にリリースした「Lost Cause」は彼女に向けられた身体差別についての歌だった。Therefore I am、everything I wantedと、ここ2-3年の彼女の曲は常に誹謗中傷や暴力との戦いに向けられている。

私はVtuber以外に洋楽という、大きな趣味を持っているが、その洋楽の推したちは残念ながら多くがストーカーがいるか危険な予告通知を受け取っている。多くの場合、裁判などを通じてストーカー側の移動を制限を措置する方策を取っている。

エンターテインメント業界や音楽業界など、人の感情を揺さぶる業界であれば、好き嫌い、どちらの感情も引き立ててしまう部分が間違いなくある。特に、SNSが全盛となった時代においては、一つの発言がすぐに拡散されるため、他の業界以上に誹謗中傷対策を考える必要が出てくる。


ビリーアイリッシュは、14歳の頃のアジア人への差別発言が発見され炎上している。ある人がすべての部分で完璧になれるわけではない(14歳時なら衝動的な行動もあり得る)。人間は、矛盾したところがあることをよく覚えておこう。

韓国では、ストーカー被害を乗り越えたケースがある。こうしたケースを集めることで、モデルを作ることもできるだろう


批判・批評と誹謗中傷は違うもの ーーHIP HOPとnoteから


アメリカの代表的なラッパーEminemは、マシンガンケリーのRap Devilのディスを受けて、KILLSHOTという曲で応答した。マシンガンケリーのリリックには、エミネムの娘についての言及もあり、エミネムは史上最高と言われるライミング技術を持って、ケリーのリリックを葬り去った

キングギドラのZEEBRAは、楽曲『公開処刑』にて Dragon AshのkjがSummer TribeでZEEBRAのスタイルを丸パクりしていたことを、はっきりとディス。当時greatful daysFantasistaで時代の風雲児となっていたkjは憧れの人からのディスにひどく落ち込み、ラップをやめてしまった。


まず一点だけ、大事な部分として「批判・批評」と「誹謗中傷」の違いを考えておかなくてはいけない。例えばヒップホップのBEEF(喧嘩)やラップバトル、他にもプロレスの罵り合いなどは、様式化された批判のやり取りが芸術やスポーツとしての価値を得たものである


私がよく、noteの界隈でも批判されることのものをとりあげるのは、そこに立場が違えど一定の批評性があると認めているからである(口が悪いなとは思うが…)。大事なのは、人格攻撃を避けること、にじさんじのような人の集団に対する者の場合は、提案をする程度にとどめることである。また重要な点として、Vtuberのコンテンツは「作品」と取るべきか「人」と取るべきか難しい点が、このライン取りを難しくしている。おそらく作品に対する批評なら、「これは作品に対してのもので人格とは関係ない」といいやすいが、人に対するものであれば、危険度は上がってしまう。


リアリティショーにおける自殺者の発生から、「誹謗中傷」と「批判」の違いはどこにあるのかについて、今も議論が行われている。この二つは特に有用と思われる二つであるので、是非読まれてほしい。

今回の件は、これよりさらにもう一歩踏み込んだものになる。


身体に危害がある問題の、被害者の対応

この本は「ソシオパス(反社会的パーソナリティの一種)」、良心が欠如した人との向き合い方について書かれている。

良心を持たない人との戦い方は

①相手の正体を正しく理解する                                          ②自分は正しき側に立ち、最後まで戦い抜く決意を固める                    ③戦いの前提を変えて同じルールで戦わない                                     ④目的の達成に集中する                              ⑤望みのものを与えてはならない                                                 ⑥自分一人ではない                                                    ⑦戦いは一生続くものではないが、辛抱強く向き合う                                       ⑧パニックにおちいってはならない                                    ⑨体調管理を忘れない                              ⑩彼らの暴力から身を守る

ソシオパスは、かなり使いどころの難しい病名の一種であるが、特に危険を顧みずに冷酷な行動を繰り返す精神疾患の状態にある人を指し、この10箇条はその被害者になった時のおおまかな指針を示してくれる。(ただし、あくまでこの言葉は病名なので、この言葉を濫用するのは控えておこう。)

特に犯罪もいくつかのケースがあるため、まずは感情的にならず落ち着いて①相手の正体を把握して、状況の把握をしてほしい。

このほかに、ダンディ―ジョージさんの言われたように、犯罪に出くわした時は録音録画を取るなど、法律的な処置も調べておいたほうが当然よいだろう。緊急性の高い場合、護身用の防犯グッズも検討されたい。

犯罪社会学の見地 ーー生来的な犯罪者はいない

今回の事件が、どのような経緯だったか、細かい部分に立ち入るわけにはいかないため、細かいアドバイスはできない。ただ、こうした事件においては社会心理学の中の一分野である犯罪心理学の知見が生きるかもしれない。

重要であるのは、犯罪社会学では人は生まれてからすでに犯罪行為に手を染めるような特性を持っているのではなく、犯罪行為を助長するような状況にあるから起きてしまうと考えることである。

文化葛藤理論(文化の違い)やアノミー(無規制・無秩序状態)、文化的成功と制度的手段のズレ(アメリカの社会学者マートンの説)、無意識のコンプレックスや劣等感が犯罪につながるという。詳しくは、上の二冊を参照されてほしい。

斉藤和義の『ポストにマヨネーズ』は、その名前の通り、ストーカー被害にあった時の話を、曲にしたもの。

ストーカーになりそうになったら ーー病院や周りの人に相談を

小早川明子さんは、ストーカー加害者をはじめ凶悪犯罪者に対して、カウンセリングを通して更生させる方法を探っている。特に近年では依存行動への対策である「条件反射制御法」を用いて治療を行っている。


多くのストーカー加害者と向き合ってきた小早川明子氏によると、ストーカーに多いのは「①心の内をオープンに話す相手がいない人②子供のころ、過酷な境遇だったため、適切な愛情をもらったことのない人」が多い。さらに、普段はおとなしい人だが、ハードな仕事を受けると無意識にストーカー欲求が高まってしまうケースがあるという。

特に、SNSの発達により、あいまいな関係(一回話をしてみただけ)が増えてきたことにより、すでに「付き合っている」という考えを持ってしまうことが多い。こうしたストーカーに出会った場合、被害者側ははっきりと「自分は○○だと思います」と言葉にして、自分と相手の境界線があるように話すことが薦められる

自他の境界線を守るとは、「あなたは〇〇だ」と決めつけて言うのではなく、「私はあなたは〇〇と考えます(感じます)が、どう思いますか」というように、自分を主語にして自分の考えとして伝えるということです。相手から気分の悪くなるようなことを言われたら、「私は、あなたの言った〇〇という言葉が苦しかった」というように押し返します。要は感情的にならずに感情を伝えることです。                                           「誰もがストーカーになり得る時代の「防衛術」」

そして小早川さんは、「条件反射制御法」、つまり依存症治療の方法を参考にして、ストーカーの治療に役立てている。

小早川:治療においては、まずは欲求にストップをかける「刺激」を意図的に作ります。これは「私は○○はやれない」という言葉と同時に、簡単で本人には特別で他人には目立たない動作(例えば、胸に手を当てた後に親指を外にして拳をつくり、次に中にして拳をつくるなど)を、平穏な時間を見つけて一日20回程度(毎回20分以上の間隔をあけて)行い、2週間ほどかけて200回以上反復することで成立します。これが抑えきれない行動を止める合図となります。                                                   ストーカーであれば、「私は今〇〇さんに会えない、大丈夫」といった言葉になります。最初は、「〇〇さん」と言うだけで、ストーカーは非常に反応し、苦しいと感じます。しかし毎日繰り返すことにより徐々に落ち着いた気分になっていきます。徐々に楽になり、2週間で安堵を感じることができます。                                                       この方法はメンタルを強くするとか、人前で上がらないようにするなどの目的でも使えます。「私は今、批判されても無視されても、大丈夫」とか「私は今、攻撃しない、されない、大丈夫」などといった応用ができます。

これは、具体的な個々人に与える処方箋となるだろう。

山本周五郎賞を受賞したこの小説では、ストレスを受けすぎた女性が他の女性をストーキングする様子が描かれている

(そのほか参考)



お笑いの世界から ーーSNSと変化の時期

島田紳助やタモリと並ぶ、伝説的お笑い芸人だった上岡龍太郎は、『芸人なんて暴力団と一緒』『政治家になった芸人はおるけど、芸人になった政治家はおらん、だから芸人のほうがエラい』などの毒舌で知られていた。しかし90年代の終わりごろから、抗議やスポンサーの電話にテレビ局が怯えるようになり、自らスパッと2000年で引退をした。上岡さんは、テレビの前とは違い、裏では流儀を大事にする懐の深い人で、今も芸人たちの尊敬を集めている。

このような、お笑い界での傾向は、東野幸治さんのラジオなどでも指摘されていた。

リアリティーショーのように、台本のある関係性を本物であるかのように見せかけるショーは、ファンの強烈な感情を引き起こしてしまうため、ガイドライン制定の必要もあると専門家は述べる


バーチャルユーチューバー業界の課題、そしてできること ーー加害者を生まないために

バーチャルユーチューバーが持つ安全面の難しさは、すでにこちらのユリイカの記事でいくつか指摘されていた。引退をすると、そのバーチャルユーチューバーとは文字通り会うことができない。一時期のキズナアイさんのように複数の声を持つ形なら大丈夫かもしれないが、にじさんじにそれはない。


そして、非常に重要な視点として、ストーカーの専門家が指摘したこととして、「孤独な人」「心をオープンに話すことができる相手がいない人」が犯行に出るパターンが、全ての犯罪で一定の数いることである。人間、少なからずみにくいところや、他の人と違うところがあるが、同調圧力の強い場所にいれば、それは表に出すことができない。そして、表に出すことのできない感情は、一気に爆発したり、暗く執拗な攻撃に変わることがある

社会心理学の議論、とりわけ山岸俊男氏はリスクをどうにか避けようと規律を多く作る「安全」と、まったく見知らぬ他者を受け入れ、臨機応変に対応する「信頼」を天秤にかけた時、「信頼」を基準に社会を構築した方がよいと考えた。

例えば、誹謗中傷を防止するためにガチガチに規範を決めてライバーとの接触は不可能、意見もしてはいけないとする。これは、守るのに非常にコストがかかる上、その規範が合わないと考えている人の不満が激しく溜まることになる。具体的な失敗例に禁酒法がある。人間の欲望は、避けようとすればするほど危険な方向にエスカレーションする



加藤純一さんのVtuberについての立場は、あくまでライバルとしてであり、くたばれと思っているわけではない

だとすればどう考えればよいだろう。

一つ目は、自分にとって一見好ましくない意見が存在するスキをきちんとつくっておくことである

以前この記事で、アドレナリンがよく出る環境である、競技中はどうしても強い言葉が出がちであることを述べた。しかし、重要なのはこの言葉たち、よくよく読むとほとんどが相手にギャグや強烈な修辞をまじえながらも、あくまで状況を説明していることがわかるだろうか。相手をよく見るとけなしていないのである。

ゲームセンターは、地域ごとに独特の雰囲気で語り合う仲間がいる風習のようなものがあったと聞く。そこでは、それぞれの人が相手に対しての攻撃心をいなすように、ギリギリの煽り合いが繰り広げられる(むろん、ガラの悪いところでは普通に過剰な台パンなどが行われる)これは、自分の攻撃欲という危険物をうまく取り扱う知恵である。プロレスも、これと同じような例になる。ただし、こうした言葉は、初見の人にはなかなか理解されないという微妙なバランスを持っている。ゲーセンと違いインターネットは開かれているため、違う立場の人が流入しやすい。

同じく、この記事ではラップバトルや批評を取り扱った。これは、相手にとって明らかに好ましくない意見をうまく伝える技術の集積である。そして、文化葛藤理論という犯罪理論もあるように、犯罪は自分の文化と相手の文化が異なる時に、そのすれ違いで起きやすい。その間を取り持つには、ユーモアや批評を受け入れる余裕が必要となる。私はこの懐の広さは、Vtuberが「文化」として広がるためには必要なものだと感じている。

二つ目は、強力な自分の欲望をうまくそらす技術を持つことである。

性欲であれ、支配欲であれ、それそのものは存在しなければ社会が回らないし、人間性を豊かにしてくれる部分が明らかにある。しかし同時に、使い方やそのクセを見誤ると危険な行為が出てくる。それが一極集中してしまう、エスカレーションを起こしてしまう、あるいは鬱状態のようにぐるぐる同じところを回る鬱屈とした状態になることを避ける手助けは、恐らく予防措置となるだろう。

人間は、口でよいことを言って、体で変な行動を起こすこともある、矛盾した動物だ。だから、心の動きについてよく知っておくことが、少なからず予防措置になる。


アンガーマネジメントは、自分の怒りとうまく付き合うための方法・理論を教えてくれる

性依存症をはじめ、色んな依存があることを知っておくだけで、自分がどういう状態にあるか確認する術ができる

西尾維新の小説『少女不十分』は、どんなに家庭環境がひどかろうと、心の中に暗い欲望が渦巻いてようと、ひとは何とかして―—面白く生きていけることを描いた名著。彼の小説に変態ややべーやつ、殺人鬼や詐欺師が大量に出てくるのは、実は一筋縄ではいかない、祈りにも似た理由がある

月ノさんは、好きが一気に嫌いにひっくりかえってしまった反転アンチの存在について、先日の雑談で言及していた。これについても、ファン側からうまく距離をとるための方法を、以前書いていた

あいみょんのこの曲は、どんな人にも猟奇的な気持ちが眠っていることを示している。ある程度の節度で「曲にしてしまえば」それは犯罪ではない

二次創作の「格差」、劣等感、疎外感 ーー一気に成長した分野だからこそ持つ感情

これは―—私自身の心の暗い部分の話でもあるが、何よりTwitter上のにじさんじファンにも多く見られる声であり、日本のエンタメ思想史的にも大事な話なので書き記しておきたい。

京都アニメーションの事件の際、犯人は投稿した小説を京アニがパクったと思い込んで、犯行に及んでいた。これについて、批評家の黒嵜想さんは『ニコニコ動画のような、匿名の二次創作の世界は終わり、顕名の暴力が現れた』ということが書かれている。

にじさんじをはじめVtuber界は、この三年で飛躍的な成長を遂げた。しかし、それは急激なものであったため、おそらく古参と呼ばれる人と新規と言われる人の間に不和の種(配信スタイルなど)があるだろう。100人と10000人に対する姿勢が同じになるとは考えにくい。

ただ、他の問題は、にじさんじの界隈は「絵」やありとあらゆる技術を強力に持った才能が集まっている。そして、2010年以降の情報技術(とりわけSNS)は再生数やいいねといった、数値化された評価が目に入る場所になった

実は黒嵜想さんが、こうした個人の力の差が、顕名の世界で明確になった世界の象徴としてあげたのがバーチャルユーチューバーだった。自由に色々な世界を行き来するキャラクターと違い、VtuberはYouTuberのように「好きな力で生きていく」「個の力」の論理が物を言う世界になった。その論理が、キャラクターの世界にまで入ってきたように、彼には見えたのだ。富む人が富み、貧しい人は貧しくなる世界だ。

さらに別口で、結局Vtuberもリアルと同じで口がうまく、周りの人を巻き込むことができる人が成功しているじゃないか、という怒りをTwitterで吐き出す古いVtuberファンもいた。Vtuberは、そもそも、アンダーグラウンドなカルチャーからやってきたものだったし、ネットをやる人の中には、やはりリアルがうまくいってない人も一定数いる。(念のために言えば、にじさんじは相当良心がある集団であると私は感じているし、それを今も信じている)

歴史や時代、場所によって、人がどのように評価されるかは変わっていく。例えば50年前なら、頭の中に辞書のように知識が入っている人はそれだけで尊敬された。今や本屋は次々につぶれ、検索力や発信力が評価される時代である。しかし、どんな適性をもつことができるかは、人によって違う。

私の暗い所を書こう。私は―—恐らくニコニコ動画でも同じような出来事はあったが―—ライバーの方の最近の配信を見ていた時に「ああ、にじさんじの人たちも、ニコニコの歌い手さんと同じでもう手がとどかない所に行ってしまったんだな」と感じるのを止められなくなったことがある。ライバーさんの視聴者が100人とかだった時代を見たことがあるからである。リアルで、個性と未来が潰されるような出来事があって、にじさんじや憧れたアーティストたちみたいにはなれないんだな、と呪いのように思ったことが間違いなくあった。これまで書いてきた記事は、その自らにかけそうになった呪いに、抵抗するためのものだった。


「他の人のように推しに貢献できてない」という疎外感は、うまく考えないと怖い感情を引き起こすものではある。

そして、Vtuberの世界の場合、どんどん技術的素養のある人が入っていき、いわゆる絵のうまい人たちに囲まれていく。現実の世界と同じロジックが入ってきた時、そこには間違いなく摩擦や格差が起こるだろう。岡田斗司夫氏の「評価経済」という言葉は、現代の状況の一端を書き表している。

Vtuberと二次創作の独特の関係性は、それそのものとして素晴らしいものだったが、こうした問題点もある。もしも「共創」の理念を実現するには、こうした嫉妬や虚無感にどう向き合うか考える必要がある。実際、以前の記事たちで指摘したように、ライバーの方の中にはこうした問題に向き合うため、ファンとの交流の仕方を考えている方が多くいる。参考にされてほしい。


『この世界の片隅に』の資金を援助するプロジェクトを作ったMakuakeの社長中山氏は、「大事なのは熱意がある人や、素晴らしいアイデアを持った人を応援することであって、いいねやバズをすでに持っている人がさらに富むようなシステムじゃない」と述べる。Makuakeが作ろうとしている評価経済社会は「アイデアと熱量を兼ね備えた内と外とをつなぐプラットフォームであり、個人を後押しする社会。」である。


最終兵器俺達のキヨさんは、2015年に顔バレの写真が流出する騒動に遭遇した。そんな時でも、彼はファンたちを笑わせることを欠かさなかった。この事件が起こったのは彼が実況を始めた6年目あたりである。


あの人を殺すより面白いことをしよう ーー星野源の言葉とその倫理

私がにじさんじについて書くときに、頻繁に星野源を引用するのは、彼ほど同世代にとって身近で、しかしアーティストが関わる困難すべてに真正面から立ち向かった人はいないからである。

彼の初期の曲「バイト」で、星野源は次のような歌詞を書いた。

殺してやりたい人はいるけれど
君だって同じだろ 嘘つくなよ
長生きしてほしい人もいるんだよ
本当だよ 同じだろ 嘘をつくなよ
うーん ちょっとごめんね
適当に切り上げて忘れちゃってね

これが歌詞の全文である。星野源は、小さいころからいじめにあい、人間にはどうやっても薄暗いところがあることを知っていた人だった。どんな綺麗な言葉も、人間の感情の中には暗いものが溢れていることを知っている人だった。それは、私も一緒だ。にじさんじに対してまったく暗い感情を一瞬たりともなかった…とはいえない。

そして、先日、星野源は次のようなPVを突然投稿した。


星野源は、『恋』の大ヒットで一躍ヒットした後、パパラッチやありとあらゆる誹謗中傷に直面することになった。『アイデア』という曲は、その時の一人で家で泣いていた体験を歌にしたものと言われている。

『地獄でなぜ悪い』という曲にもあるように、この世界は元々地獄のような場所であるという絶望から星野は活動を始めている。音楽やアート、娯楽は、そもそも日常の虚無感や不安を、せめて少しでも良いものにしようとしたものだった。

彼の祈りは、音楽がもしかしたら人一人の人生を救うかもしれない。社会に無理やり強要される「キャラ」とか立場を超えるかもしれないという、奇跡に賭けられたものだった。

私は力のない一般人であり、ここに書いたものも、決して最適解とはいえないかもしれない。そして私も、いつ、暗い心に取りつかれるかはわからない。

いくらライバーが炎上しようと、悲しい出来事に直面しようと、それでも私がにじさんじを見続けているのは、少なくともにじさんじの人たちに、人に寄り添う姿勢を一貫して見ているからである。力足りず、うまくまとまったものにはならなかったが、このように今回の件に役立ちそうな情報を集めた。どうか、個々人が、今回の問題について再考されることを願う。





P.S.政治との関わりについて

一見だけ、この文章全体とは関係がないが、星野源繋がりで大事なことを書き記しておく。にじさんじは、YouTubeのフェスでもひとつまとまった時間をもらうほどの社会的影響力を持った。こうなると出てくる可能性があるのが、政治との絡み(政治利用)の問題である。

私が自分の思想を押し付けるわけにはいかない。ただ、星野源は間違いなく『うちで踊ろう』を安倍首相が利用した時も、それ以前からも自分の立ち位置を見極めている。

こうした出来事があったとき、どう考えるかは、少しだけ時間を作って考えてみてほしい。


(記事中、実際に被害に遭われたライバーの方の名前は、念のため伏せぎみにさせていただきました)




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