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noteを初めて気づいた自分の変化


こんな私事について読んでいただける方には感謝しかありません。
今日はnoteを初めて気づいた自分の変化についてお話しさせていただこうと思います。

まずnoteを始めようと思ったのは、私が今までやりたいと思ったけど、できないでいたことをやってみたかったからです。
そして投稿している内に、自分の変化を知ることになりました。


1.臆病な自分から、温かみがなかった自分を知る

noteの書き始めは分からなかったのですが、自分の書くものが、臆病になっていることに気が付きました。
小説で主人公の状況を落とすだけ落としたり、最悪な場面が書けなくなったのです。
出産前、とくに妊娠前の私が書いた作品は、いま私が書いている雰囲気とは全く違いました。
救いようがないとまでは言いませんが、温かみがないと言うか、暗い。
書いてきたシナリオはありますが、それを改めてnoteに転載しようとは思えないのは、いま私が書きたいものとは明らかに違うからです。


2.できるだけ明るくないところが私の居心地だった

本当に最低なことを告白します。
私は今まで誰かの心の痛みを知ることで、どうにか自分を保っていました。
最低だと思います。
でも本当です。
これは誰にも言ったことがありません。

でも私の周りにいた人たちは、私が常に明るく、悩み事がない人だと思っているようでした。
実は自分でも最近までそう思っていました。
でも本当は「この気持ちは誰にも分からない」、そんな孤独が私でした。

私は傷ついた自分の心を自分で癒すことができませんでした。
同じように傷ついた人と一緒にいると気持ちが楽になりました。
私だけじゃないんだと思えることが救いだったのです。
だからといって傷を抱いたであろう、それぞれの経験を許せないのではありませんでした。
どんな経験をしたかが重要ではなく、ただ傷を抱えていることが苦しかったのです。

その闇が、殺されると思って別れを決意した初めての彼や、福島原子力保障相談室での仕事、子どもや取材対象者が自殺してしまった方々へ取材をする私でした。
全部あの時の私にとって救いで、優しく、私の居場所でした。

例えば福島原子力保障相談室での仕事は、一緒に働いている他の人の言葉では、クレイム対応という仕事内容でした。
でもそれは他の人がそういうだけで私はそう思ったことは一度もありませんでした。
そしてその電話で私は優しいと言われたり、感謝されることがありましたが、それも違いました。
それは全て、そう言葉を掛けて下さっている方に、私自身が感じていたことだったからです。
私はこの仕事で出会う方々に、生かされていました。


3.息子の存在による変化

今思えば、私が傷ついていた原因は、順応でない心が、理不尽な何かに、うまく適応できていなかっただけのような気がします。
そして今までの私はどんな愛に触れようと満たされることはありませんでした。
それは自分自身の問題で、愛を信じていなかったからです。
愛を信じられない私に、愛を感じられる隙はほとんどありませんでした。

でも今は違います。
息子に出会い、自分から愛が溢れてきたのです。
それは息子から愛を受けることでそうなったのかもしれません。
どんな時でも私を求めてくれる息子は、まさに神様のようでした。
息子の存在により、私は愛を知るために生きていたのだと思いました。

息子に求められ、愛されるという心地に今の自分の居場所があります。
まるで違う今までの自分は、本当に存在したかどうかも分からない位、遠い存在のような気がします。
灰色だった私の視野が一気に明るみ、色を帯びたからです。
闇に生き、同化しすぎて、何が闇かも分からなくなっていた私が、息子のおかげで何もかもが浄化されました。
もう今までの自分とは一切関わりたくない。
でもそんなことはできないし、それはあまりにも傲慢すぎます。


4.いま私がやりたいこと

そんな自分の日常には、いま息子が大きく存在していて、息子なしには、何も語れないような状態です。
息子に関係している全てが私を占めていて、創造できるものも、過去の自分からではなく、今という息子との日常で感じられるものが一番しっくりきます。
自分とは何か、分かりません。
過去の自分と今の自分がどう関係しているのか、そうして未来の自分がどう成っているのかも、分かりません。
でもこれだけは言えるのが、今私が創りたいものは、過去の自分が創造できるものではないということです。
今の自分は息子で塗れていて、息子なしでは語れないからです。
この息子との日常でできるものを創ってみたい。
今はそんなことを考えています。

具体的に言うと、今書いている子どもの詩を続けたいし、絵本を書いてみたいです。
絵本を書きたいと思ったのは、息子も私も絵本が好きだからです。
そして息子の喜ぶ顔を見たいからです。
ただ今は、詩であったり、絵本であったりしますが、いま思いつくものがそれなだけで、何か表現できるものが別にあれば、形は変わるかもしれませんし、息子の成長に合わせて、私が表現したいと思う形も変わるかもしれません。
ただ変わらないのは、何かしら息子に関係していたり、息子に通じるものが書きたいということです。
この有り難い気持ちを息子に返せたらいいと思うし、私の好きなことで息子を喜ばせたいです。

こんな大きいことを志に掲げましたが、私は絵が描けません。
でもそれは大して問題ではないと思っています。
今から勉強すればいいからです。

人は変わる。
息子に出会ったことで、私はそんな自信がつきました。
それに比べたら、絵が描けるようになるくらい大したことじゃない気がしてしまいます。
軽率に、こんなこと言ってしまって、不快にさせてしまった人がいたら、すみません。
でも何が言いたいかと言うと、それくらい息子に感謝していて、それを私の努力で、もっといい方向に生かせたらいいなと思っているんです。


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