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「芸術性」と「大衆性」

――あまり理解されない面白いこととは芸術性が高いので、アート、なんですよね。分かる人には分かるし、分からない人には分からない。やってる本人は死ぬほど面白いことだけど、周りの人の目には奇異に映ったりするわけです。


人生は物語。
どうも横山黎です。

大学生作家として本を書いたり、本を届けたり、本を届けるためにイベントを開催したりしています。

今回は「『芸術性』と『大衆性』」というテーマで話していこうと思います。



📚「Tomo Base」に初訪問!

昨夜、僕は茨城県笠間市友部にある「Tomo Base」という場所を訪ねていました。茨城大学の4年次の学生である僕は笠間市の隣の水戸市堀町に住んでいるわけですが、気楽に訪ねるには距離があるにも関わらず、バイト終わりにも関わらず、僕は訪ねることにしたんです。面白そうな未来が到来する予感がしたから。

バスと電車を乗り継いで自分の足でいこうかなと思っていたんですが、Tomo Baseを運営している高山健さんが車で迎えに来てくれるとのこと。お言葉に甘えることにしました。

高山健さん

友部駅から徒歩15分くらいのところにあるTomo Baseは昨年11月にオープンした健さんの自宅。住み開きをしていて、みんなが集まる場所になっているそうです。昨日も、秩父からのお客さん、僕の後輩の横山廉くん、テキーラ王子こと佐々木さん、その奥さんが集合して、鍋パをしました。

健さんは「友部コモンズというコミュニティ農園に携わっている人で、農業で地域を活性化させることを目指しています。昨日の鍋パでも、野菜や、オーガニック菓子、アンデスソルト(だっけ?)などの食材や調味料が並びました。なかでも僕が印象的だったものが、福王しいたけです。ビッグサイズのしいたけで、味付けなしでも美味でした。

さて、もうすぐ23時を廻ろうとしていた頃、Tomo Baseにまた来客がひとり。地域ファシリテーターの慶水乃生さん。通称のりさんでした。

福王しいたけ


📚のりさんから絶賛されたnoteの記事

Tomo Baseの健さんも、後輩の廉くんも、師匠のように敬意を表する存在こそ、のりさんで、僕も以前から噂は聞いていました。「のりさんというすごい人がいる」って。

元々中学校の数学の教師をやられていて、その後は組織変革のファシリテーターを請け負ったり、健さんが携わっている友部コモンズを一緒に運営したりしている方です。昨日しゃべっただけで雲の上の存在、仙人のような人であると分かりました。

結局、夜通し飲み語り合っていました。ワインも焼酎も空っぽにして、胃袋と心を満たしました。のりさんの話は抽象の次元の話が多くて、追いつくのに必死でした。僕みたいな青二才が全部を理解することなんてできやしなかったけれど、それでも烏滸がましくも、自分にも重なる部分がある、似ている感覚があると思いました。

「人生はアート。死ぬときにそれを味わいたい」
「しあわせとは、意味付けである」
「生きるとは、経験することの繰り返し」

なんてことを論理的に、具体的に語ってくれました。朝までそんな話が続いたわけですが、なかでも僕がいちばん印象に残った話は、僕のnoteの記事についての話でした。

ひょんなことから、僕がのnoteの記事をのりさんが読んでくれる流れがあったんです。昨年9月に投稿した「一言も話さずにプレゼンを成功させた話」という記事。

「TALK ABOUT!!」というプレゼンイベントに参加してきたときの話なんですが、イベント当日、僕は夏風邪を引いて声が出なかったんです。登壇する予定だったからこれじゃ出れないなと思ってあきらめかけたんですけど、ふと思ったんです。

「声が出なくても、プレゼンはできるんじゃね?」

それを思い付いた瞬間、僕のなかは「できないかも」という不安ではなく、「面白そう」という好奇心で満たされました。声が出ないからこそできるプレゼンがある。スライドをつくって、その視覚情報と身振り手振りでどうにかなる。そう信じて、登壇することに決めたのです。

結果、その日トップクラスに盛り上がりました。声が出なくて一言も話さなかったけれど、無事にプレゼンすることができたんです。

その記事を読んでくれたのりさんは、僕のセンスと変態っぷりを褒めてくれたんです。僕はめちゃくちゃ嬉しかったんですが、今日の本題はそれじゃありません。褒めてくれたその後、のりさんに「俺だったら自分で『成功』とは言わない」という指摘をされたんです。そこから僕らは、「芸術性」と「大衆性」の話に移りました。


📚「芸術性」と「大衆性」

のりさんの言い分としては、せっかく面白いことやってるんだし、自分が面白いと思うことを発信しているんだから、自分で「成功」と言ったら野暮じゃん。そういう風に言われたんです。「一言も話さないでプレゼンしてみたけど、どう思う?」という感じで、多くを語らず余白を残して、受け手に投げかける方が良いと。

他の人からしたら「一言も話さないでプレゼンをする」なんてことは普通ではなくて、僕はそれを面白がっている。僕は「こういう方法もあるよ」「プレゼンって奥が深いよね」「準備が大切だよね」というメッセージを伝えたつもりですが、その言葉の根底には、「他の人には思いつけないでしょ」「思いついたとしてもやらないでしょ」「こういう面白いことをやってやったぜ」という僕の承認欲求みたいなものが蠢いているんだと思います。昨日ののりさんに指摘されて、否定できなかった自分がいたので、まあ、そういうことなんでしょうね。あんまりこういうことを言いたくないのだけれど。

あまり理解されない面白いこととは芸術性が高いので、アート、なんですよね。分かる人には分かるし、分からない人には分からない。やってる本人は死ぬほど面白いことだけど、周りの人の目には奇異に映ったりするわけです。

つまり、のぶさんは「一言も話さないでプレゼンをする」ことは芸術性が高いんだから、「成功」したなんて自分から言わないで、分かる人にだけ分かってもらえればいいということを言ったわけです。

僕はその言い分がすごく分かったし、確かになと思ったんですが、100%すんなり納得いったわけでもありませんでした。というのも、僕のnoteは公開日記のような特性があるから僕の純粋性が価値につながるし、大衆向けに書いているから、より分かりやすく、読みやすくしようという意識があるんです。

そもそも僕の心の針はマスに向いているから、芸術性が高すぎて伝わらない作品よりも、伝えたいことが伝わりきるくらいの芸術性を持つ作品を好みます。現時点では、より多くの人が面白いと思ってもらえるような作品に用があるということです。

僕にはそういう前提があるし、仮に芸術性が高くてあんまり理解されない作品をつくるとなっても、その場所がnoteの記事ではないなと思っているので、あながち「成功」という言葉が間違いとはいえないんだよなあと。

あの記事に関しては、「一言も話さないでプレゼンをする」なんてできそうにないという受け手を大いに裏切りたかったから、「成功」という分かりやすく真反対の言葉を選んだんですよね。たまに、こういう強気な発言をすることがあるんですが、それはそれで僕はひとつのパフォーマンスだと思っているんです。

もちろん二元論ではないし、芸術性が高い作品が優れているとか、大衆性が高い作品が優れているとか、そういう話をしたいわけではありません。僕のnoteの記事ひとつを取り沙汰して僕の本質に迫ってきたのりさんの慧眼っぷりと、自分のそのとき書いている作品は「芸術性」を高めた方がいいのか「大衆性」を高めた方がいいのかという疑問に向き合うきっかけをくれたこと、そして、やっぱり僕は変態と呼ばれると喜んじゃう変な人だと気付いたことが混ざり合って、とっても濃い一日を過ごすことができたよという話でした。

またTomo Baseにも行きますし、のりさんにも会って語りたいですね。

そういえば、明け方、僕は最近はまっていることとして「桃太郎」を挙げ、その魅力を熱弁しました。卒業研究を「桃太郎」にするほど情熱が滾っているのです。それが高じて、今度「BOOK TALK LIVE “桃太郎”」というトークイベントを開催するんです。その練習がてら、イベントでも話す内容の一部をさらっと語ってきたんですが、めちゃくちゃ反応が良かったんです。

僕が面白いと思ったことを伝えて、まわりの人も面白いと思ってくれている。そこに喜びを感じるということは、やっぱり僕は「大衆性」の高いコンテンツの方が好みなのかもしれませんね。俄然自信が生まれてきたので、これから特にガンガン集客していこうと思います。最後まで読んで下さり、ありがとうございました。

20230129 横山黎


のりさん

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