【教育論】ジグソー活動と主体性
――ジグソー活動のいいところは、ちょうどよく使命感が生まれることにあると思います。ホームグループに戻ったら、エキスパート活動で自分が担当した内容について紹介しなければいけないし、そこからどんなことを考えたのか説明しなければいけません。それを見越して、エキスパート活動に取り組むので、自然と前のめりになるんですよね。
人生は物語。
どうも横山黎です。
作家として本を書いたり、木の家ゲストハウスのマネージャーをしたり、「Dream Dream Dream」という番組でラジオパーソナリティーとして活動したりしています。
今回は「ジグソー活動と主体性」というテーマで話していこうと思います。
🏨大学院の授業のなかで…
先日、大学院で授業してきたんです。詳しい経緯は割愛するんですが、「学校教育における多様性の受容と活用」という授業にゲストティーチャーとして登壇することになったのです。
僕が題材にしたのは「桃太郎」。大学4年生のときに卒業研究のテーマとして掲げたこともあり、人よりも詳しく語れる題材です。「桃太郎」を題材に、「多様性」の授業を展開することは以前からイメージできていたので、今回の話をいただいたときに、そのイメージを形にすることができると意気込んだものです。
授業の流れについては詳細は以下の記事を見ていただきたいんですが、今回はそのなかで、授業の序盤に行った「ジグソー活動」に焦点を置いて話していこうと思います。
🏨桃太郎とジグソー活動
ジグソー活動とは、役割分担をして課題と向き合い、最後にグループで共有し、学びや理解を深めていく教育手段のことです。
学習者はホームグループをつくります。そのメンバーはそれぞれの役割を持ち、一度グループを離れます。同じ役割を担ったメンバーが集まり、ひとつの課題について議論したり、調査したりするのです。エキスパート活動と呼ばれるものです。
その後、それぞれの分野のエキスパートになったメンバーは、ホームグループに戻り成果を共有します。これによって、それぞれが役割を果たしながら、課題と多角的に向き合うことができ、より広い視点で問題解決に臨むことできるのです。
僕の「桃太郎」の授業では、各時代の「桃太郎」の資料と向き合うときにジグソー活動を取り入れました。日本人なら誰もが知る「桃太郎」の物語は時代によって変容していて、特に明治時代以降は思想が反映されることが多かったんですよね。
そこで、僕はジグソー活動を設定することで、ひとつのグループが様々な時代の「桃太郎」の物語について知り、考えを深める契機をつくりにいったのです。
ちなみに、エキスパート活動の際、「桃太郎」の物語になぞらえて「犬」、「猿」、「雉」、「鬼」とグループ分けしました。「犬」の人は江戸時代の桃太郎を、「猿」の人は明治時代の桃太郎を……といった具合に。
個人的にはこの手立ては上手くはまったと考えていて、それぞれのグループが「桃太郎」の奥深い部分に迫ることができたはずです。
🏨ジグソー活動と主体性
ジグソー活動のいいところは、ちょうどよく使命感が生まれることにあると思います。ホームグループに戻ったら、エキスパート活動で自分が担当した内容について紹介しなければいけないし、そこからどんなことを考えたのか説明しなければいけません。それを見越して、エキスパート活動に取り組むので、自然と前のめりになるんですよね。
僕は以前から、生徒が授業をする授業が増えてもいいのではないか、という持論を持っていて、その理由にも通じる話でもあります。自分事として捉えているときこそ、人は学びに対するモチベーションが高く、学びの吸収率も高まるのです。自分の言葉で伝える場が設けられているので、ジグソー活動におけるエキスパート活動にも、生徒が授業をする授業にも、学習者は前のめりになってしまうのです。
最近の僕といえば、「仕立て屋のサーカス」や「イマーシブ・フォート東京」に行ったり、自主的に謎解きイベントを開催しているものですから、「体験」「主人公になれるコンテンツ」に心の針が振れています。やっぱり自分が参加して、自主的に動いたり、考えたりすることで、心が動いて、脳みそも活性化して、喜びや楽しさ、学びが生まれると思うんですよね。
時流からもそれは大切にするべき考え方だし、そもそも人間って、自分事を活き活きとこなしている姿が眩しい生き物ですから、教育の分野においても特に重要視するべきなんじゃないかなと偉そうに考えています。
とにもかくにも、実際自分が授業をしてみて、ジグソー活動は自主性を促進するにはもってこいの教育法だと思ったよという話でした。最後まで読んで下さり、ありがとうございました。
20241102 横山黎