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偶然の産物と神様の贈り物

ナマステ!
今日見に行った家が今まで見た中で一番よくて決定かもしれない。なんとか1ヶ月以内にこのミッションが達成できそう。良かった。

本日は
「偶然の産物と神様の贈り物」

仰々しいタイトルになってしまったが、もっと身近な話で。

昨日、ネパールに住む日本人の先輩と金曜日ということでお酒を飲みながら色々と話をした。先輩と言っても僕はタメ語だし、もう親友みたいなものだ。もちろん年上であるしリスペクトは惜しみなくしているが、3年前のネパールに住んでいるときは、アパートが同じで毎日のように一緒にいた。

彼は絵のセンスがずば抜けて高く、今ではタトゥーアーティストとして活動している。センスが本当に素晴らしく、絵がそんなに上手くない僕でもわかるほどだ。

僕はミュージシャン、彼はアーティストとお互い「クリエイト」するという共通点があり、よくお互いの近況や考え方について話をする。

昨日もその話題になったのだが、ある話で盛り上がった。

というのが、「偶然の産物」についてだ。

何かをクリエイトするとき、悩んだり考えたりしながら創作していく。その過程の中でどう考えても、自分の力では作れなかったようなものができる瞬間があるのだ。

音楽で例えるなら、「あのメロディはやばい」や「あの歌詞は二度と書けない」など。アートの世界でも「あのラインが書けたのはびっくりした」「あの色使いは二度とできない」など。

厳密にいうと、積み重ねてきたものが自分の中で蓄積されていって「出た」ものであると思うのだが、その瞬間は無意識だったり狙っていないことが大半なのだ。だから「偶然の産物」なのだと思う。

片手で数えられるほどしかないが、僕もその経験がある。多分何かをクリエイトし続けた人にはわかる話なのではないだろうか。

彼は、その偶然の産物と出会った時は、手を合わせて「神様、神様、本当にありがとうございます」と言うらしい。如何にもネパールイズムが内包されていて、聞いていて面白かった。

自分が創り出したものなのだから、そんなことをいちいち考えない人がほとんどだろうが、その「偶然」に「感謝」できるのって素晴らしいなと思うのだ。

またもし、「偶然の産物」に出会った時は「神様の贈り物」だと思って感謝したいな。フェリベトウンラ!


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