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命を盾にした覚えはない(4.13の配信事件に寄せて)

何度も見た瞬間・何度も迎えた瞬間

 先に言っておくと、私はまだコレコレ氏の動画を見ていない。ただ、まとめサイトや各配信者の言及を取捨選択して「彼女ら」の顛末を知っただけに過ぎない。無論、彼女ら本人のTLも、30分に及ぶ配信自体を見たことも無い。私は自分のことで手一杯で、自分ですら職場のお局のパワハラと上長のセクハラ、オフの趣味での問題で頭が破綻し緘黙状態となり、11回の建物から真昼間に飛び降りようとしていたところだった。
 理由は違えど、私も彼女らも追い詰められていた。病んでいた。私は成人なので酒に逃げたし、別に「男が好きだった」わけではないのでやり直しは何度か試みることはできる、彼女たちはもうきっと「行先」がなかったのだ。私は最悪生活保護や作業所に移動して貯金を切り崩す、ネットだって転生することができるし趣味だって捨ててしまえることができる。けれど、高校生の彼女らには、もう「その時その瞬間その相手」しかなかったのだ。高校生時代、ティーン時代というのはそのような時代ではなかったか。青春とはそういう時代ではなかったか。この記事を読まれているお歴々も、健康であれ病まれている方々であれ、
「あの先輩しか見えない」
「彼氏しか見えない」
「〇〇くんしか見えない」
「部活のことしか考えられない」
「(ゲーム・アニメ)のことしか考えられん」
「(アニメ・漫画・小説・アイドル)の推ししか勝たん!」
 が一番熱狂的な時期ではないだろうか。次に大学生時代。10代20代。そんな時代ではなかろうか。健康ならばただひたすらyayだとかカカオだとかLINEだとかで惚れた腫れたで喧嘩してたまにいじめに発展したりして問題になる程度だろうが、今回問題になったちょっと病んだタイプの子の特に相手が乗り気の「推し活」だと、「会えるアイドル」になってしまう。即ち無料の円光(字は察してほしい)になってしまう。子供は本気の恋愛だと思い込んでいる。他の女なんていて欲しくない。「推し活」なんて大人でもそういうタイプのファンがいるくらいなのだから、多感な中高生時代なら言わずもがな。ドラマ化された(される)「明日、わたしは誰かのカノジョ」のルナ編や「ガチ恋粘着獣」のコスモ編にもガチ恋の女子高生キャラクターが出て来る。リアル感では「明日カノ」の方が生々しいか。
 閑話休題、一番熱量が有り余っている時期である。健全ならばウェイになるが、もし機能不全家族や先天的な発達障害精神障害等ならば、その熱量は歪な方向に向かう。お七火事よろしく、誰かを巻き込むだの誰かを悲しませるだの誰かの迷惑になるだの見た人を傷つけるだのそんなこと「ま・っ・た・く」気にする余裕がないのである!本気で「希死念慮」が目前に迫った人間は、目の前の死しか見えないのである。それだけだ。「死」だけが全てだ。人生のゴールだ。おしまいだ。もうきっと「楽になる」という意識すらない。「おしまい」という意識すらない。
「ただそれを遂行する」と言う意識だけがあり、体が追随する。
 
そんな状態だ。ゾンビに近い。そして亡くなった彼女らにもはや何らかの病名を付けることもできないし、投薬治療をすることもできないし、男を罰することもできない。
 彼女らより一回り長く無駄に生きた私は生き汚く生きているが、この先ろくなことがなさそうなので人生の引き際を考えている。家族にプレゼントをしこたま残しているので。真面目に「邪魔にならない」引き際を考えている。エンディングノートも再開しているところだ。そして昨日のように体は瞬時に「フッ軽」で死を選択する。原因なんて「お局に公印の押しかたをねちねち厭味ったらしく言われた」がトリガーだったのに。首吊りだけは何度も試したことがある。リスカの効果がないことも知っている。ODは失敗したら胃洗浄が痛いことも知っている。電車は……東京と違って人を轢殺する力がるとは思えない。割腹でも出来たら絵になるのだが、大平某弁護士が失敗したシーンを読んだことがあるのであれも難しいのだろう。
 神はつくづく馬鹿だ。欠陥製品やどん詰まりに行き詰まった製造製品の始末をつける方法を決め忘れてどんどん製造を続けている。片手落ちだ。

「命を盾にするな」論の暴力

 まあこのように追い詰められた瞬間の人間の「死」に対する瞬発力は凄まじく、完全にフォーカスされ固定されてしまう。さらに言えばそこに「殺意」「やるかやられるか」がオプションされたら最悪であるし、大体相手も煽るなり「それなり」の対応を取って来るので「対立」や長期戦の「死んでやる」連呼は避けられない。
 人間の恐怖に対しての反応は3つのFであらわされるそうだ。
・Fight:闘争。攻撃。「やんのかテメー」で済めばいいが、最悪〇害まで
・Flee:逃走。逃避。物理的な逃走から「この世からの逃走」まで含む
・Freeze:硬直。固まってしまう。無反応、外界の反応を一切遮断する
 トラウマがひどい人の場合、このうちのどれかを取る、だった気がする。「よくわかる本」シリーズの双極性かもしれないが。
 今回女子高生や私のような人間が取る手段は、真ん中のFleeである。どの反応が出るかは人次第だ。最近話題のま〇よふ氏のようにFightとFleeが混在している人間もいる。
 話を戻そう。このFleeの中でも「自死」を選択しがち、でしかも一発で成功せず何度も繰り返してしまう、その上結果的に口だけに終わってしまう人物について、世の中ではこう呼ぶ。
「メンヘラ」「かまってちゃん」「命を盾にするな」と。
 その時その瞬間に「死」しか見えない、水の外に放り出されて息が出来ない魚のようになっている人間をつま先で転がしながら蔑んだ顔で揃って言うのである。「死ぬ死ぬうるせえんだよ、うぜえ」と。そりゃ見せられる方はいい加減にしろと言いたくなるのだろう。同じことを何度も性懲りもなく、それもいい内容ではない、いかにもこちらを(別にあなたを見ているわけではないのだが……)チラチラ見ているように自害を仄めかす。これほど「うざったい」存在はない。そもそも「うざったい」と言う言葉も便利な言葉だが。以下一例を引用するが、このような元気な方々のお言葉が飛んでくるのである。

一見正論に見えるが「言うこと聞かそう」とその人は思っていたのかな?
活きのいい方だが、立派なヘイトスピーチなのだが?どんな宗教だ。
精神障害当事者の弁だが、弱いものが夕暮れ更に弱いものを叩く
メンヘラに人権はない(ただし死ぬのは迷惑)
私定義のこんなメンヘラは迷惑(ただし死ぬのは迷惑)

 どう思われるだろうか?因みにこれは所謂ファッション的な「病み垢」「リスカ垢」に対したものではない。本物の、本当に闘病している人や、気を病んでいる人に対したものである。生来の、どうしようもない気性に苦しんでいる人々や、今回の女子高生のように何かがあって動揺している人に向けられた言葉である。

無駄な論駁と知りつつも私は吠える

  ならば私は問う。
 じゃあその曖昧な「メンヘラ」とやらはどうすればいいのだ。
 そもそも「メンヘラ」の定義は何だ。
 病名でもないものを振りかざすな。
 御高説に擬態した暴言を賜るいわれはない。
 外に出なければ「引きこもり」「社不」「ナマポ」、働けば「お前に合う職場はない」、死ねば「他人の迷惑考えろ。
 お前ら世間は何が言いたいんだ。
 死のうと本気でしてるんだ、でも死ぬことは難しいんだ。それを「命を盾にして~」と決めつけるな。
 配信者界隈でもそうだ。すぐ「命を盾にして、それならもういいです。それ言われたら何も言えないんで」
 とか腑抜けてしらけんな。そんなら初めから煽るな。
 

命を盾にしてるんじゃねえ。
何度も死に失敗して生きぎたなく何枚も遺書を反故にしちまってるだけだ。
そして何度も遺書を書いて再チャレンジしてるだけだ。
運が良かったら成功するだけだ。

 そもそもブロック機能がついてるんだから「こいつ病んでんな」と思ったらブロックなりミュートなりしろ。住所交換でもしてない限り家に56氏に来たりしないんだからそれで終わりだろ。何を意地になって
「こっちがブロックしてやるのもめんどくさい」
 だの言ってメンヘラ連呼してやがる。何度も言うがファッション用語以外の「メンヘラ」ってのは何だ。医療用語にそんなもんはねえんだ。
 医療用語として「定義してから言え」。「定義してから振りかざせ」。せめてそこくらい通過しろ。そんなに蔑称として横溢させたいなら。
 そもそも今度のことだって、女子高生はメンヘラだったのか?私の見た写真は女子高生生活満喫してたぞ?飛び降りはな、誰かが押さないと落ちないんだ。それを押したのは誰だ。遊んだ男じゃないのか。暴露した彼女らを叩いたリスナーや男の囲いじゃないのか。男の囲いの存在じゃないのか。「メンヘラという意味不明なレッテル」を叩きたがる有象無象じゃないのか。
 
私は彼女らを弄んだくそったれコスプレイヤーだかモデルだかのイケメソ(人〇しはイケメンではないのでイケメソと呼ぶ)を許さないし、今更御涙頂戴の善人面をしたって「その顔が仮面だと信じる」。「メンヘラというおもちゃ」を壊したあとの人間は押しなべて物わかりのいい「病院行った方がいいよ」「やりすぎちゃったね」などという物わかりのいい顔をし始める。
 それでも私は忘れない、どんな理由であろうと、一人の男のせいで二人の女子の命が失われたことを、それを今も叩いているような、命を盾にとうだうだ賢しらぶって抜かしている連中がいることを。忘れないし、憎む。親の因果が子に報い、幸せも安寧も、人の命を〇めた時点で家庭にも未来にも訪れることはない。

最後に

 これだけではあんまりなので、何故人がツイ垢で「死にたい」と言うツイートを引用しておく。





 生けども生けどもこの世は地獄、それでも痴愚神は容易く「死」という脱出装置のボタンを押させてくれない。死ぬべき者(私を含む)を死なせず死んではならない者を容易く死なせる。馬鹿なのだ、神は。野球選手ならば選球眼がゴミクソもいいところだ。そんなことだから反出生も流行るし少子高齢化も進む。
 私も「メンヘラ」連呼されるので、近々この世から消えるだろう。あの女子高生のように共に逝ってくれる者はいない。待っている者もいない。それでいい。それが私だ。そういうものだ。
 そんなことはどうでもいい。未だにキャス配信などは無関係の猫配信などでも声の枯れてそうな女が「あんな男に引っかかった女子高生の自業自得」とほざく。「生きたもの勝ち」と言い放つ。そんな世の中でいいのか。大人が大声でそんなことを言って、もうこの世にいないからと言って、「死人に口なし」で納得していいのか。
 知っているか。私は悔し泣きした。何度も泣いた。タクティカルペンで酒の缶を滅多刺しにした。生きていてはいけないのか。存在が許されないのか。私達は、彼女たちは。
 聞ケ人ヤ。我ら「メンヘラ」は、「命を盾にしている」らしき「脳に問題がある」「心が弱い」「人に弄ばれがちな」存在は、「この世に居てもいけないし、居なくても迷惑」なのか?ならば答えをくれ。

「 答 え を く れ 」

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