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「美しい」生き方とは。ー僕の鬱病療養日記-16-

※このnoteは、小中高大と全てで不登校を経験。その後、教育系のNPOで活動するなどしていたが、2019年3月末頃より、鬱病を再発した僕の療養生活を記録しているものです。
 とりとめもない療養生活の日常の記録とともに、この期間を利用して読んでいる本や、見た映画など、芸術と思われるものについての紹介をしています。
 僕と同じように鬱や引きこもりで悩んでいる方、またその身近にいる方々、もしくはそこまでではなくとも、心が疲れているなという方々に読んでいただければ幸いです。


日常

2019年12月8日(日)朝9:00頃

寒い。とにかく寒い。冬キライ。
指先があまりにも冷えて、キーボードを上手く触れず、文字を入力することができない。寒さに震えて身体も固まる。いつも以上に疲れる。太陽の光は少ない。外出する気が失せる。でも外に出て、吐く息が白くなるのを見るのは好き。自分の身体の中から出ていったものが、目に見えるってなんだか不思議。あの吐息はいったいどこまで飛んでいくのだろうか。外気に触れた途端に霧散して、あっという間に見えなくなる。でもそこにいるはず。

どうせ寒くなるならいっそのこと雪が降ればいいのに。もちろん猛吹雪は困るけれど、中途半端に冷えるぐらいなら、適度に積もってくれ。起きた時に外が銀世界なんていう感動を味わせてくれ。雪だるまさんに会わせてくれ。それを作ったであろう子どもたちの喜ぶ姿を想像するだけで、少し心が温かくなって幸せになれる。

つい先ほど、朝のニュースを見ていたら、海外ではサンタクロースになるための講座というものがあるらしい。どこの国だったかな、そこまでは覚えていなかった。「ちゃんと自分で調べて教えてくれよ」という人もいるかもしれないが、この日記は情報まとめサイトではないので、そういったことは偉大なるグーグル先生に聞いてほしい。人類が創造した偉大なる英知。世界を平和にする方法を教えて下さい。実際に検索をかけてみたら、前澤友作さんのnoteが検索のトップに出てきた。すごいな。ここでも出てくるのか。後で読んでみよう。

何も考えずに、「寒い」と、今の気持ちからスタートし、12月だし、クリスマスの話題でも書こうかと思ったのに、すぐに脱線して、平和と前澤さんの話になってしまった。話を戻す。

サンタクロースといえば、「いつまでサンタさんを信じていた?」なんてやり取りがあるけれど、あの質問、いつも返答に困る。「うち、サンタクロース来たことないんやけど。」

別に親がサンタクロースが大嫌いだったとかそういうことではない。うちの家ではそういった行事に対する関心が薄かっただけだ。だから鯉のぼりだとか、節分だとか、そういったこともあまり経験していない。でもああいったことをちゃんと楽しむってきっと大事なことだったと思う。自分が結婚して子どもを育てることになった場合は、しっかりとやりたいなと思う。子どもよりも全力で自分が楽しむ自信がある。何よりも、大人が全力で楽しむ姿を見せることが重要なことだと思う。思う。思う。我思う。故に我あり。


読書と映画と、その他芸術と思われるものについて。

三度の飯より本が好きとプロフィールに書いているほどに、毎日している読書と、趣味である映画鑑賞の中から、好きな作品・言葉を紹介するコーナー。ときどきその他芸術と思われるものについても紹介します。

どうでもいいけど、なんだか「コーナー」って響きが好きじゃない。何か別の言い方はないだろうか。拝啓サンタクロース、「良い冒頭文のアイデアをください。」オッケーグーグル「コーナー 別の言い方」

今日はちょっと心が跳ねている感じがするので、文章があっちいったりこっちいったりしてます。気分のおもむくままに。

閑話休題

今日は雨宮まみさん、岸政彦さんの著書「愛と欲望の雑談」より、一つの言葉を紹介します。

ライターの雨宮まみさんと、社会学者の岸政彦による対談、ではなく雑談を描いたものです。最近になってこのお二人の著書を読むようになったのですが、本当に素敵な文章を書かれるのでとてもとても好きです。その二人が話すだなんて!!誰が読まずにいれますか。と言いつつ、最近知ったばかりの全くのにわかファンなので、この本で初めてお二人の写真を見ました。お会いしとうございました。

雨宮まみさんは2016年に事故により亡くなられたそうなのですが、本当に本当に残念です。今年になって雨宮さんを知り、その言葉にとても助けられました。今更ではありますが、ご冥福をお祈りします。

そして、そんな雨宮さんの言葉を紹介します。

諦めた方がね。「希望を持たない方が楽」という発想ですよね。でも、それは絶対にダメだと思う。希望を持たないほうが楽だというのは、何かを放棄してると思うんです。希望を持たない方が楽っていうのは、私は……こういう言い方は変ですが、「美しくない」と思うんです。生き方として。傷ついても希望を引き受ける人のほうが美しい。やっぱり欲望が好きなんですね。(p68)

この言葉そのものがなんて美しいのだろうと思いました。

こう何度も精神のバランスを崩していると、本当にもう、生きることさえも諦めたくなる。自分のこれまでを全部否定して、あらゆることを諦めたくなる。でもきっとその方が楽なんですよね。楽だから諦めようとしちゃうんですよね。

鬱の渦中にいたり、どん底にいるときは、ただただ、楽になりたい。この苦しみから解放されたいと思う。だから、希望なんて無いと思うし、何かを信じることにも疲れる時がある。でもだからといって、「もう自分なんてダメなんだ」とそう思い続けているのもなにか違う。

鬱になり始めた当初の僕がまさしくそうでした。「生きてても無駄だ」と絶望に浸っていました。もちろん絶望に一度浸ることは大切です。そうしないと心を保つことすら出来なかったから。けれど、そうしてずーっと沈み続けている自分自身もあまり好きではありませんでした。それはきっと、雨宮さんが言う「美しくない」ということだったのだと思います。絶望しているけれど、諦めてしまうのはどこか違うという感覚があったのだと思う。

希望がどこにあるのかもわからない。持ってるほうがやっぱりしんどいのかもしれない。とっとと手放したほうがいいのかもしれない。それでも僕は「美しい」生き方がしたい。

ここまで読んでくださりありがとうございました。

はじめましての方ははじめまして。
いつも読んでくださってる方は、ありがとうございます。
お久しぶりの方はお久しぶりです。少しずつ元気になってます。

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