日本の景色は「きれい」、でも窮屈。
■日本は、「きれい」か?
日本語教師として、ベトナム人に「どうして日本に行きたいんですか」「日本はどんな国だと思いますか」という話題をもちかける機会が多い。
そのたびに彼らは答える、
「日本は、便利で、安全で、きれいです」と。
その、教科書にも載ってるくらい定番のフレーズに、いつも違和感を抱えていた。
「安全」「便利」はともかくとして、日本は「きれい」だろうか。
きれいというのは、ヨーロッパの街並みみたいなのを言うんじゃないか。
ああいう、誰か(大体は国家)の監督の元に国中のセンスとプライドをかけて保たれている街並みを「きれい」と言うのであって、日本のように誰が責任をとるでもなく合理性のみが追求された結果、増殖した灰色のつぎはぎになった風景を「きれい」とは言わないんじゃないか。
むしろ日本の風景って「ダサい」し「センスない」じゃん。
と思っていた。
私は、そんなダサくてセンスない日本の風景を目に入れるのが嫌すぎて異国へ飛んだと言っても過言ではないくらい、日本の風景に辟易していたため、
この国に来てからまさか「日本はきれい」というフレーズを聞くたび、とんでもない違和感を覚えていた。
のだが。
10月末に日本へ一時帰国したことを通して、彼らの言う「日本はきれい」の意味がちょっと分かるようになった。
■日本は「きれい」だ!!
「日本はきれい」という時の「きれい」さとは、beautifulではなくて、cleanだ。
Cleanというのは、「ゴミが落ちてない」とかそういうことだけじゃなくて、
道に穴が開いてない!
作りかけの道が無い!
インフラがどこまでも同じトーンで整えられてる!
ということ。
私は別に「ベトナムの道は穴だらけ」だとかそういうことが言いたいんじゃなくて(そうなのだが)、世界には道が作りかけだったり穴だらけだったりするのがデフォルトの人がいて、その人らからすると「日本はきれい」だ、ということが言いたい。
「ノイズがなく、整っている」という意味の「きれい」さでは、日本の街並みはヨーロッパのそれと同等か、それ以上だと思う。
(私はヨーロッパではスペインとイギリスとフランスに行ったことがあるけど、特にイギリスはゴミがすごかった)
加えて日本は、「無駄にハイテク」がいきわたってる所も、クリーン感を増長してる感じがする。
自動改札機とか、動く歩道とか、電車の電子掲示板とか……いたるところにやたらと機械がしつらえてある。
技術的にはめちゃめちゃすごくはないかもしれないし、「これ要る?」的なものも多いんだけど(電車の電子掲示板とか)、
「途上国の小学生の夢が全部かなった感」がある絵ではある。
ベトナムのキッズが日本に行ったらガチでトキメいちゃうんじゃないかと思う。
■「異国フィルター」を搭載して日本を眺める
たった3ヶ月だけどベトナムに住んでみて、ベトナム人のフィルターを通して日本を見てみることが、ちょっとだけ出来たように思う。
これは単純に「ベトナムは汚いから」「機械が無いから」、翻って日本がクリーンでハイテクに見えるようになった、という話ではない。
私は日本にいた時から、便利過ぎて安全過ぎて、機械がやたらおせっかいしてくる日本に辟易していた節があるけど、その「便利過ぎさ、安全過ぎさ、機械の多過ぎさ」は、誰かの「夢」であるかもしれないんだな、と気付けた。
ちょっと話は変わるが、これは「君の名は。」を見た時の新宿の異化作用にも似てる。
■「君の名は。」の、フィルターがかかった新宿の美しさ
私は日本にいた時は中野区に住んでいて、新宿へは電車で10分で出られた。だから新宿の風景は見慣れたものだったし、特にきれいだと思ったことは無かった(西新宿を除いては)。
でも「君の名は。」を観た人は分かると思うけど、あそこに出てくる新宿、バリ美しいんですよね。
(画像はこちらから拝借https://welcometokyo.hatenablog.com/entry/2018/03/04/123510 )
「ああ、私はこんなに美しい街に住んでいたのか……」と思わされるほどに。
新宿を知らない人があのアニメを見たら、さぞかし新宿は美しい街だと思うだろう。
「あれはアニメだから美化されてるんだよ」と言われればその通りだし、実際の新宿はもっとダサくて汚くてセンスないんだけど、しかし「ある種のフィルターを通したら新宿はあのように美しく見える」という点は学びだった。
ベトナムでも「君の名は。」は大人気だ。「異国フィルター」のかかった、「君の名は。」大ファンのベトナム人が新宿を訪れて涙を流す……ということは大いにあると思う。
ちなみに、日本を全く美しいと思っていない私でも「きれいだな」と思った数少ない場所は、東京駅付近だ。あそこに行くと、誰かが責任を持って監督して、誰かのオーガナイズの元に頑張って作られた美しい場所、つまりヨーロッパの街並みと同じ感動を覚える。
■一時帰国して「やっぱり日本が一番。」とはならない。
そんなこんなで、「きれい」な日本のきれいさを認めざるを得なくなった私だが、しかしやっぱり「日本のきれいさ」には馴染めないな、いまだにフルコミットできないな……と思う。
日本の「きれいさ」の裏には、様々なルールがあることを、日本人である私は知っている。
例えば「路上で無許可でものを売ってはいけない」「道に座り込んではいけない」「ゴミは(恐ろしく短く定められた)特定の曜日と時間に出さないといけない)」「騒音を出してはいけない」……
そこまで窮屈な思いをしてまで、「きれい」さを保つ必要ある? そのきれいさ、誰得? と思ってしまう。
ちなみに
路上で無許可でものを売ってはいけない」「道に座り込んではいけない」「ゴミは(恐ろしく短く定められた)特定の曜日と時間に出さないといけない)」「騒音を出してはいけない」
↑これ、ベトナムじゃ全部自由なんですよ。
私は、ホーチミンの街並みに関しては、「確かに東京に比べて汚いけど、なかなか味わい深いものがあるな」と思ってる。
日本はきれいすぎて、味わいが無い。もっと道で色々売ってほしいし路上ライヴもやればいい。ノイズを排除しすぎて、クリーンだけど味気ないと思う。
(バイク一台あれば路上で商売できるベトナム)
(ベトナムの「女性の日」には道で花が売られる)
ベトナム人が日本のニュータウンなんかに行ったら「きれいだけど、静かすぎて不気味」と言うんじゃないだろうか。
■「どんな風景を目に入れるか」は人生にフェータルな影響を与える
しかし、風景ってものすごいものだなと思う。
人生の視界の内のものすごいパーセンテージを占めるのに、誰もこれに対して責任を持っていないし、誰が作ったものでもない。
自分がどんな風景を目に入れるかは、せめて自分がどこに住むかである程度コントロールすることができるが、子供のうちにどの風景を目に入れて過ごしたかによってその人の美的センスがフェータルに決まってしまう、ということは大いにあると思う。
そしてそのことに誰も責任をとっていない。
ものすごいことだと思う。
私はこの先の人生でどんな風景をメインに視界に入れていくのか未定だけど、でも、こんなことを考えられた時点で、異国に来てよかったなと思う。
渋澤怜(@RayShibusawa)
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