見出し画像

他人を羨む人ほど、我慢し過ぎている

自分のやりたいことに夢中で
自分の声に従っている人を見て

「あの人は、いいなー」
「生きたいように生きて羨ましい」


と思っている人ほど
自分の欲を押し殺して
我慢して生きていると

他人に対して
ずるい!
許せない!

という感情になりますよ?


というお話をします。


◯我慢は自己否定


自分が我慢する時って
基本的には目的がある時です。

他人のため
組織のため

など
周りの目を意識している時に
我慢しがちじゃないでしょうか。


夢を追いかけて
漫画家になりたいけど

親を安心させるため
家族を養うために

夢をあきらめて
正社員になろうとすることが
ありますよね。

自己否定をして
他者肯定をしようとする。

「ちゃんと働いた方が良い気がする」
「現実を見た方が良いんだろうな」

という感覚が

「働いた方がいい気がする」

「働きたい」

をごちゃ混ぜにしちゃうんですよね。

自分でも何がしたいのか
何をしている時が楽しいのか
わけがわからなくなる。


こういう場合、高確率で
自己否定・他者否定
に転じやすいんですよね。


無責任に
「ちゃんと働いた方がいいよ!」
とアドバイスしてくる周りに対して

「無責任なことを言って!」
とか

自分の声に忠実に生きている人に対して

「ずるい!」
「何で自分ばっかり!」
「自分の人生何だったの!」

自分も周りも
否定したくなってしまう
んですよね。


割り勘を切り出すのが苦手で
奢ってあげた時に


何で感謝しないんだ!
お礼が弱い!
奢ってもらったことを
もっと周りに言え!


とか
余計な感情が現れる。


これって
自分の感情に
抑圧を重ねているから
自分も他人も嫌になる
わけですよね。


◯我慢していることを、誰かが見ていると思うからストレスになる


我慢していることを
周りが見てくれている
いつか報われる日が来る

と思っていても
大体はうまくいかない。

誰も見てないし
誰も気が付かない。

でも
心のどこかで

「気づいてよ!」

という期待から
ストレスを感じてしまう。


我慢する時って
そういう見返りを期待してしまう。


ですが前述したように
我慢という自己否定が
他者否定に陥りやすい
なら

そういう我慢の仕方は
防いだ方が良いわけです。


◯ボランティアの語源


最近知ったんですけど

「ボランティア」

という言葉があるじゃないですか。

ボランティアと聞くと
無償で何かを施してあげるような
イメージがありますが

他にも
100%自分の意思で

という意味があるそうです。

他人に強制されたり
見返りを求めて行うことでは
ないんだそうです。

相手を助けたり
人のためになることをする時も

100%自分の意思で
行うことが大事。

私も妻や子供のために
時間や労力を費やしますが

別に見返りは求めません。

妻が疲れている時に
家事を全部行う時も
それで妻が救われると思えば
自分の意思で家事するじゃないですか。


家事やってる俺、見て!


なんて思って家事しても
クオリティは低いと思います。

その時に不誠実な態度を取られたなら
自分の意思100%で
もうその人に
誠実でいるのはやめよう

と思えば良い。


誰に優しくして
誰に尽くすのか。

それを決めるのも
自分の仕事なんですよね。

そう思えることで
自分軸で生きることができて
精神的な安定も
得られる思います😌

サポートしていただけると相当喜びます😭