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【固定】書いたレビュー

◇日本語で書かれた小説【現代作家】李龍徳:竹槍よりも冷たく—『あなたが私を竹槍で突き殺す前に』|宇佐見りん:病むに病めない—「かか」|温又柔:遠い痛みの記憶—『空港時光』|古谷田奈月:主人公は何に敗れるのか—『神前酔狂宴』|佐藤亜紀:負債に軋む列車—『黄金列車』|新庄耕:そんな眼で見返さないでくれ —『狭小邸宅』|月村了衛:不能な近未来のその先—『機龍警察』|津村記久子:「中3小説」だけが描けるもの—『エヴリシング・フロウズ』|遠野遥:傷つくペニス—「改良」|古川真人:つなが

    • ▼『消されかけた男』▼「コンフィデンスマンJP」

      ▼『消されかけた男』(フリーマントル、1977)は主人公の有能さを、他の人物の間抜けさによって強調する。英国情報部の同僚たちが失敗するのだが、その原因となる傲慢さ、鈍い直感、不器用さを丁寧に描く。読者は「風采のあがらない」主人公と一緒にその無様さを嗤う。窓際の会社員向けに書かれたような小説。 ▼「コンフィデンスマンJP」の映画を旅先のホテルでたまたま見た。「どんでん返しに次ぐどんでん返し」の話なのだが、あまり感心しなかった。仲間たちと祝杯の馬鹿騒ぎをするエンディングから逆算

      • ▼『生のみ生のままで』

        ▼『生のみ生のままで』(綿矢りさ、2019)は女性同士の恋愛の話だ。一目惚れから結ばれるまで。恋の物語には障害が必要だが、この小説に置かれた最大のハードルは「同性愛に対する差別」ではなく「資本主義」であるのが興味深い。主人公の逢衣は2人の仲を引き裂こうとする人たちに「同性カップルが認知されてきているのに、こんなやり方で弾圧するのは古すぎませんか」と反抗する。以下の引用画像はそれに対する応答である。 ▼逢衣が恋する彩夏はモデルや俳優をこなす芸能人。芸能人という職業は「恋愛」を

        • ▼『生のみ生のままで』▼『うしろめたさの人類学』

          ▼『生のみ生のままで』(綿矢りさ、2019)。「私は」と一人称で語る主人公の25歳の逢衣は携帯ショップで働いているのだが、意地悪な客がいて「私」は悩んでいる。その意地悪な老夫婦のことを地の文で自然と「長津様」と呼ぶのが興味深い。ぶっちゃけ話を友人にする時に「様」はつけないだろう。読者はぶっちゃけられてないのだろうか。一方、この小説は女性間の恋愛を描いたもので、「私」は性行為の詳細も熱心に語るのである。語りと読者の関係が独特なのか、「長津様」に象徴される仕事の位置づけが独特なの

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        【固定】書いたレビュー

          ▼『「ぴえん」という病』▼『九条の大罪』4集

          ▼『「ぴえん」という病」(佐々木チワワ、2022)。「おわりに」で、今すぐホストで酒を飲みてぇ、と書いてある。書くために歌舞伎町で飲むのか、歌舞伎町で飲むために書くのか。それは当人にもわからない難しい問題だと思うが、この著者に関しては、書くことは歌舞伎町で飲むための「言い訳」なのではないか、と思ってしまった。佐々木が歌舞伎町のことをよく知っていること自体は伝わってくるが、彼女が知っている内容があまり伝わってこない。構成も文章も雑だと思う。インサイダーとして「知っている」ことは

          ▼『「ぴえん」という病』▼『九条の大罪』4集

          読書メモ——『KAPPEI』(若杉公徳)

          ▼こんど映画化される漫画、『KAPPEI』が家にあったので読んだ。下北沢のDORAMAで友人に買わされたまま、フィルムも剥がさずに放っておいたもの。わたしのイメージとは合わないものらしく、家を訪れた別の友人に「なんでKAPPEIがおまえの本棚に 笑」と言われたこともあった。 ▼先に言っておけば、男子校とかで交わされていそうな下ネタが満載で、中には女性蔑視としか思えないものもあって、その点が今の男子高校生とかが読むと「古いな・・・」と思うかもしれない。しかし、非常に今っぽさを

          読書メモ——『KAPPEI』(若杉公徳)

          ▼『オデッサ・ファイル』

          ▼家にあった古本の文庫。フォーサイスは一番有名な『ジャッカルの日』を読んだことがあるだけ。フォーサイスはジャーナリスト寄りの小説家で、取材に基づく事実を背景としたフィクションを書くことで有名だ。 つまり、書かれている多くの事実の中に「創作」が紛れ込んでおり、虚実のグレーゾーンに読者を迷い込ませるような作風ということだ。 しかし、『ジャッカルの日』のドゴール暗殺未遂計画にしても、この『オデッサ・ファイル』で描かれていることにしても、もはやそれが「ある程度は事実である」という

          ▼『オデッサ・ファイル』

          古谷田作品と湧き出す元気のことー「無限の玄」

          一度「古谷田奈月の小説を読むと元気がでる現象に名前をつけたい」とツイートしたことがある。しかし、よくよく考えてみると、この作家の小説は湧き出た元気に水をかけるような作りになっている。それで元気が消沈するわけではなく、くすぶりながら残っている。 まず、湧き出てくる元気に名前をつけるなら「ごちゃごちゃ面倒なことを言わないノリ」であろう。左派リベラル的な心性があれば当然難癖をつけたくなる新自由主義的な、ホモソーシャルなシチュエーションを、古谷田の主人公たちはスタスタ歩く。古谷田の

          古谷田作品と湧き出す元気のことー「無限の玄」

          不能な近未来のその先—『機龍警察』(月村了衛)

          大量破壊兵器が時代遅れになり、パワードスーツの進化版のような人型兵器(機甲兵装)が軍事上のスタンダードになった近未来の話だ。 警視庁は制御方法が従来と全く違う次世代型の機体を導入しており、搭乗員として外部人材3人(傭兵、元テロリスト、元モスクワ警察)と契約している。 「龍機兵」と呼ばれ、従来機より直感的で緻密な制御ができる機体を、ユニークな出自を持つ3人の搭乗員が自在に操る。大量破壊兵器時代の重苦しさとは対照的な、「英雄」たちが市街戦を駆け巡る愉快な小説を想像するかもしれ

          不能な近未来のその先—『機龍警察』(月村了衛)

          そんな眼で見返さないでくれ —『狭小邸宅』(新庄耕)

          主人公の松尾は不動産の新人営業マンだが、家が少しも売れない。上司は早々に見切りをつけ、パワハラで退職に追い込もうとしてくる。会社としては新人が辞めても次を採れば良いので問題ない。どうせ何割かは辞めるという前提で採っているのだ。替わりの若者は社会がいくらでも供給してくれる。 松尾は少し良い大学を出ているらしい。彼が不動産屋で家を売ってることに大学の友人たちは不思議に思っている。なぜ、そんな仕事をしているのか、と。歩合に収入が大きく左右されるギラギラした仕事をなぜ選んだのかと。

          そんな眼で見返さないでくれ —『狭小邸宅』(新庄耕)

          海に浮かぶ小さな「広場」—『広場』(崔仁勲)

          朝鮮戦争の停戦で釈放された北朝鮮軍捕虜の李明俊には、北に戻るか、南に残るか、それとも中立国に行くかの3つの道が示される。「誇らしい権利を放棄するな」という北の将校にも、「君を弟みたいに感じる」という南の役人にも、明俊は理由もいわずに「中立国」とだけ答える。 わたしは、この場面を南の読者が、何らかの形でこの小説を手にした北の読者が、どう読んだだろうと考えずにおれなかった。明俊に差し伸べた手を振りほどかれるような気持ちだったろうか。それとも、明俊とともにその手を振りほどいてみる

          海に浮かぶ小さな「広場」—『広場』(崔仁勲)

          「空虚」(と言うため)の条件—『ルポ百田尚樹現象』(石戸諭)

          「人に会わなくては書けない」というのは報道の世界では、文芸批評の世界で「テキストを読まなくては書けない」というくらい当たり前のことだろう。それなのに新聞記者出身の著者の「ルポ」と題された本を読んで「これは会わないと書けないものだ」とわざわざ感じるから不思議だ。 おそらくそんな現象が起きるのは、この本が「批評」として読めるからだ。 ルポルタージュなのか、批評なのか。批評的なルポルタージュがあるように、ルポルタージュの手法(会う・現地調査)を採用した批評文だってあるが、後者は

          「空虚」(と言うため)の条件—『ルポ百田尚樹現象』(石戸諭)

          ストレスフルで優しい—『その名にちなんで』(ジュンパ・ラヒリ)

          こんな人物が出てくる。男と気まずくなり両親の豪邸に戻った女性編集者のマクシーン。豪邸の5つあるフロアの廊下には天井までの本棚があって小説や建築、料理の本がそれぞれ何百冊と揃っている。彼女をモデルにしたとおぼしき油彩の少女像が壁にかかる。本棚の本を読み、母親が作った気取らない料理とワインを楽しみ、デザートに父親が帰路で購入したフレンチチョコレートを分け合う。インド系の恋人をその家に同居させ、両親の寝室の真上に位置する部屋でセックスをする。 小説の主人公のゴーゴリはマクシーンの

          ストレスフルで優しい—『その名にちなんで』(ジュンパ・ラヒリ)

          【レビュー】『女帝』の後に『グレート・ギャツビー』を読む

          これは都知事選があったこの夏、20万部以上売れて大きな話題となった『女帝 小池百合子』(石井妙子)のレビューである。感想を連ツイするうちに、膨らんでいった違和感を文章にした。 政治家評としてはともかく、人物を描けていないのではないか、というのがわたしのこの本に対する疑いだ。書き手のモノサシは対象(小池百合子)を測るうえで短すぎないか、目盛りが粗すぎないか、そして、そのモノサシで測れないものを安易に切り捨てていないか。 粗雑なものを読んだ、という印象はない。むしろ、練りに練

          【レビュー】『女帝』の後に『グレート・ギャツビー』を読む

          【レビュー】遠い痛みの記憶—『空港時光』(温又柔)

          それはあなたが使うべき言語ではない。それは本来あなたの言語なのになぜうまく話せないのか。 そんな風に言われたことがある日本語話者は少ないはずだ。人とすれ違うことはあっても、すれ違いを引き起こす言語そのものの「掛け違い」によって、人とのあつれきを経験することはめったにない。 台湾と日本を行き来しながら描かれる10の掌編を収めた温又柔の『空港時光』には、そんな場面が何度も出てくる。 歴史的経緯とグローバリズムの進行により、台湾語、中国語、日本語の話者が入り混じる台湾。ある人

          【レビュー】遠い痛みの記憶—『空港時光』(温又柔)

          【レビュー】風太郎の「すべて」—『銭ゲバ』(ジョージ秋山)

          「モブ(mob)」とは群れを意味する言葉だ。漫画やアニメで名前を持たず、物語の進行に影響を与えない、背景のような登場人物は「モブキャラ」と呼ばれる。そのモブキャラ〝ではない〟ようなものとして登場させた人物を、つまり読者の注意を引き、物語の中で何らかの役割を持つような印象を与えた登場人物を、その役割を果たさせることなく殺害するという「技法」が、漫画やアニメの世界には在るようだ。 例えば、奥浩哉の「GANTZ」という漫画(2000~13年連載)に典型的なシーンがあったと記憶して

          【レビュー】風太郎の「すべて」—『銭ゲバ』(ジョージ秋山)