▼『消されかけた男』▼「コンフィデンスマンJP」
▼『消されかけた男』(フリーマントル、1977)は主人公の有能さを、他の人物の間抜けさによって強調する。英国情報部の同僚たちが失敗するのだが、その原因となる傲慢さ、鈍い直感、不器用さを丁寧に描く。読者は「風采のあがらない」主人公と一緒にその無様さを嗤う。窓際の会社員向けに書かれたような小説。
▼「コンフィデンスマンJP」の映画を旅先のホテルでたまたま見た。「どんでん返しに次ぐどんでん返し」の話なのだが、あまり感心しなかった。仲間たちと祝杯の馬鹿騒ぎをするエンディングから逆算したダー子らの「賢さ」に白ける。亡き三浦春馬の大げさな演技が物語とは無関係の余韻を残すのが皮肉。
▼作者は主人公の「知力」を任意に設定できる。一方、歴史的事実や実在する組織の改変には限界がある。スパイ小説はこの限界の方を積極的に引き受けようとするジャンルに見える。知力の卓抜よりもむしろ、それをもってしても現実を変えられない不能こそがテーマである小説も多い。
▼しかし、こうした制限の中での有能さや、諦念とともに描かれる不能はもはや好まれないかもしれない。登場人物たちを制限ある現実から解き放ち、別の世界に移すことで相対的な有能さをただただ堪能する「異世界転生」ものの流行を見ていてそう思う。
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