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不能な近未来のその先—『機龍警察』(月村了衛)

大量破壊兵器が時代遅れになり、パワードスーツの進化版のような人型兵器(機甲兵装)が軍事上のスタンダードになった近未来の話だ。

警視庁は制御方法が従来と全く違う次世代型の機体を導入しており、搭乗員として外部人材3人(傭兵、元テロリスト、元モスクワ警察)と契約している。

「龍機兵」と呼ばれ、従来機より直感的で緻密な制御ができる機体を、ユニークな出自を持つ3人の搭乗員が自在に操る。大量破壊兵器時代の重苦しさとは対照的な、「英雄」たちが市街戦を駆け巡る愉快な小説を想像するかもしれないが、ちょっと違う。

そういうーー万能感とは言わずともーー有能感を楽しむ場面はあるのだが、多くのページは重苦しい不能の感覚を描くことに割かれている。

例えば、龍機兵を運用する架空の組織「特捜部」の裁量権は非常に限定されている。犯罪を捜査する部門、警備を担当する部門、海外のスパイやテロリストを監視する部門に囲まれ、基本的にはそれらの“領空”を侵犯できない。

最先端のツール(龍機兵)を持つのだから周囲から期待されていても良いのだが、いろいろ事情があって他部門からは忌み嫌われており、最低限の協力しか得られない。

龍機兵は最先端を行くが、実はその技術的な優位は「5年ほど」であるため、戦場で無双するわけではない。3人の搭乗員は卓抜した操縦能力を持つが万能ではない。過去の経歴から私怨やトラウマを抱えており、任務遂行に支障を来すことがあるのだ。

特捜部トップや搭乗員3人はたしかに卓抜した英雄なのだが、物語にぶら下がる不能の足かせを押してなお物語を前に進めるために、苦役させられているようにも見える。

軍事やインテリジェンス(諜報)を巡る本から、その業界の人たちが重視するリアリズムがひしひしと伝わってくることがある。「それはあなたの頭の中の世界であり、妄想に近いのではないか」と言いたくなるような「リアリズム」もある。

『機龍警察』が主に不能の描写によって醸し出すリアリズムには、今のところ特に疑義を差し挟む気にはならないのだが、この小説が力を入れて描く足かせは、この小説自体の足かせでもある。

この近未来小説は、不能の先にどのような未来を描くのか。いや、別に不能に始まり不能に終わっても良いのだけれど、荷馬車を引く英雄たちの存在は、不能とは別の行き先を示唆している。

その行く先を知るべくーーわたしの普段の読書習慣からすればーー長いシリーズの先を読んでみようと思うのである。(現時点でシリーズ1作目の『機龍警察」2作目の『自爆条項』を読了)

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