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ストレスフルで優しい—『その名にちなんで』(ジュンパ・ラヒリ)

こんな人物が出てくる。男と気まずくなり両親の豪邸に戻った女性編集者のマクシーン。豪邸の5つあるフロアの廊下には天井までの本棚があって小説や建築、料理の本がそれぞれ何百冊と揃っている。彼女をモデルにしたとおぼしき油彩の少女像が壁にかかる。本棚の本を読み、母親が作った気取らない料理とワインを楽しみ、デザートに父親が帰路で購入したフレンチチョコレートを分け合う。インド系の恋人をその家に同居させ、両親の寝室の真上に位置する部屋でセックスをする。

小説の主人公のゴーゴリはマクシーンの(前述の)インド系の恋人だ。彼女の実家に転がり込み、また深く恋をする。マクシーンと一家の暮らしは切り離せない。ゴーゴリは「その暮らし方に恋をする」のだ。マクシーンは『その名にちなんで』における例外的な人物として描かれている。彼女は「アメリカで生きること」の基本的な条件である——と作者が考えているであろう——ある種のストレスを免除された者だ。ゴーゴリはそのストレスのなさに何よりも「自由」を感じて、その人生そのものに恋をする。(その恋は、ある不幸をきっかけに冷めることになる)

ゴーゴリがそこからの解放を願うストレスとは、ある世代とその前後の世代を結ぶ糸がねじれていることで発生する負荷のことだ。インドからアメリカに移住した父親と母親の間に生まれたゴーゴリ。両親は真似できないほど勇敢な「移動」を成し遂げた一方で、ルーツであるベンガル文化との強いつながりを保ち——子どもの世代から見れば——因習を引きずっている。生まれた時からアメリカの空気を吸い、ビートルズの「ホワイトアルバム」を深く愛する息子ゴーゴリとの間ではどうしてもねじれが生じる。『その名にちなんで』の世界は隅々まで、そのねじれの負荷で軋んでいる。

ゴーゴリが抱えるストレスを象徴するのが「ゴーゴリ」という名前だ。両親は家庭内での愛称として「ゴーゴリ」と名づけ、社会での呼び名として別の名前を用意する。そのように家庭の内外で呼び名を分けるのがベンガル風のやり方だからだ。しかし、文化的な誤解から移民2世の息子の呼び名は「ゴーゴリ」という一風変わったものに一元化される。ゴーゴリはその名を恥じて暮らし続ける。その名を呼ばれるたびに、ベンガル文化とアメリカ文化のねじれのストレスが彼にのしかかる。

面白いのは、この「ゴーゴリ」という名前が、ぜんぜんベンガル風でないこと。それはインドで鉄道事故に遭って急死に一生を得た父親が、自分を事故現場から救いだした作家(の本)への愛着から思いついた呼び名だ。父親はこの事故をきっかけに家族の反対を押し切りアメリカに渡る。つまり、この名前は父親とインドに残る家族とのねじれをも象徴しているのだ。

ストレスフルな生を描いているのに、優しい物語であることに胸を打たれる。登場人物たちの、ねじれた糸の先にいる親・子への思いやりが、つながりの剛性を高めている。そして、糸を保持する手の握りはだんだん緩み、糸はやがて手放される。ほどけた糸は遠くに消えていく。その遠い場所で糸はまた別のつながりを紡ぎ出す。

うねるような風の音の中で、父の笑い声が聞こえた。ゴーゴリが追いつくのを待って立ち、近づくゴーゴリに手を差し伸べる。/「ずっと覚えてるんだぞ」ゴーゴリがたどり着くと父は言い、急ぐこともなく防波堤を後戻りして、母とソニアが待つところへ連れていった。「覚えておけよ。おれたち二人で遠くへ行ったんだ。もう行きようがなくなるまで行ったんだからな」(p.225)

逃れようのないつながりを、ほどけることの逃れようのなさを、抱擁しようとする小説として読んだ。

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