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海に浮かぶ小さな「広場」—『広場』(崔仁勲)

朝鮮戦争の停戦で釈放された北朝鮮軍捕虜の李明俊には、北に戻るか、南に残るか、それとも中立国に行くかの3つの道が示される。「誇らしい権利を放棄するな」という北の将校にも、「君を弟みたいに感じる」という南の役人にも、明俊は理由もいわずに「中立国」とだけ答える。

わたしは、この場面を南の読者が、何らかの形でこの小説を手にした北の読者が、どう読んだだろうと考えずにおれなかった。明俊に差し伸べた手を振りほどかれるような気持ちだったろうか。それとも、明俊とともにその手を振りほどいてみるような気持ちだったか。いずれにしても、自分が居る場所、居たかもしれない場所にまつわる強い感情を抱いたのではないだろうか。

『広場』は、明俊がいかにして祖国(北であれ南であれ)を拒絶するに至ったかという話だといってよい。冒頭で彼は中立国への途上にあり、海に浮かぶインド船「タゴール号」の甲板から半島が南北に決定的に分かたれた時代を振り返る。

大学新聞に詩が載ったと喜び、盗んだバイクでガールフレンドの家へ走り、教授に議論をふっかける。哲学徒である明俊の語り口は少し辛気くさいが、こうしてエピソードを取り出せば前半は典型的な青春小説として読める。

しかし、回想は急速にくすんでいく。明俊は思想警察から暴力的な取り調べを受けたのち北に渡る。彼はそこで、誰もが党の“偉人”の言葉を唱和して思考停止する「灰色の共和国」を見る。幻滅した明俊はバレリーナの恋人との時間を慰めとするようになるが、やがてそれも戦争に奪われてしまう。

そして明俊はタゴール号に乗りこむ——。訳者によると『広場』は発行部数が70万部を超える戦後韓国文学の重要作で、高校教科書に最も多く収録されたという。少なくとも数百万の読者が、明俊とともに想像上のタゴール号に乗ったことになる。彼ら・彼女らは中立国に向かう船の甲板から、祖国を顧みたに違いない。愛するが故に受け入れられない状態の祖国を。

 いま読むと、女性蔑視・独善的な部分があり、首をかしげたくなることもある。それでも、明俊が立つタゴール号の甲板という狭小な空間は、いまも読者を惹きよせる「広場」になっているのではないか。北からも南からも離れて、祖国を遠望する視座を与える場所。日本語で『広場』を読むことは、甲板にひしめく無数の読者の思いを、自分もその片隅に身を置きながら読もうとする経験だった。

(第12回 K文学レビューコンクール応募作)

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