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▼『オデッサ・ファイル』

▼家にあった古本の文庫。フォーサイスは一番有名な『ジャッカルの日』を読んだことがあるだけ。フォーサイスはジャーナリスト寄りの小説家で、取材に基づく事実を背景としたフィクションを書くことで有名だ。

つまり、書かれている多くの事実の中に「創作」が紛れ込んでおり、虚実のグレーゾーンに読者を迷い込ませるような作風ということだ。

しかし、『ジャッカルの日』のドゴール暗殺未遂計画にしても、この『オデッサ・ファイル』で描かれていることにしても、もはやそれが「ある程度は事実である」という前提で読み始める若い読者は少数派だろうから、フォーサイスが莫大な取材時間を費やしてテキストにかけた魔法は効力切れでは、と思う。というか、わたしにはもう効かなかった。(事実と虚構をより分けようとする知識の土台がない)。

▼ホロコーストに関わった戦犯である元ナチス親衛隊(SS)がその罪を問われずに社会的地位を維持しており、その背景にはSSの裏互助組織である「オデッサ」がある。

この小説は、戦中は子供だったドイツ人ルポライターがその事実を白日の元にさらそうとする物語である。

ルポライターの試みは難航する。オデッサの直接的な妨害もあるが、それ以上に過去にフタをしておきたい普通のドイツ人たちが彼の足を引っ張るのである。

▼後ろめたさを抱える社会が行使する、決して積極的ではないけれど、はねのけるのがほぼ不可能っぽく感じられる力。

真相を究明するルポライターも、それをなんとか妨害しようとするオデッサも派手に動き、それがこの小説をエンタメとして成立させているのだが、イヤーな読後感を醸成するのに貢献しているのは、そういう消極的かつ作中の表現としては「不動」で退屈に見える力である。

そういう力をエンタメ小説として描くのは簡単なことではない。『ジャッカルの日』よりも読み継がれてほしい小説かもしれない。


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