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Voicyの放送を紙面化してみました
Voicyで毎朝届けている「京の歴史NAVI」を紙面に再現してみた。 (基本Wordで読み込ませて微調整かけてます) https://voicy.jp/channel/1134 ~ 2022年12月22日放送…
命日に亡き人を偲ぶ!後水尾天皇
今日(8/19)は後水尾天皇の命日。延宝8(1680)年、85歳。
江戸前期に江戸幕府と渡り合った気骨のある天皇で、文化的才能も持ち合わせており、多くの子を産んで長寿を全うした。
仙洞御所、円通寺(幡枝御所)、修学院離宮、閑臥庵、霊鑑寺など、ゆかりの地も多数。二条城にも行幸した。
<以下補足>
後陽成天皇の第3皇子であり、その時代は徳川家の支配する江戸時代に入ったばかりでした。時代を安定
Voicyの放送を紙面化してみました
Voicyで毎朝届けている「京の歴史NAVI」を紙面に再現してみた。
(基本Wordで読み込ませて微調整かけてます)
https://voicy.jp/channel/1134
~ 2022年12月22日放送分 ~
「今年最後の散策講座は終い弘法へ!東寺と西寺跡を巡る」
それでは京の歴史NAVI始めてますけれども、今日は12月22日木曜日と言うことになりました。皆さんいかがお過ごしでしょうか
本日、命日を迎えた早良親王と御霊信仰
今日は早良親王の命日。延暦4(785)年、享年35。
桓武天皇の実弟として政治にも参画したが、長岡京遷都直後に謀反の疑いをかけられて乙訓寺に幽閉。食を断って抗議したが、島流しへ。途中で餓死したという。
その後、桓武天皇の身内が次々なくなり天変地異が頻発したので、平安京遷都が決定した。
祭神となった神社は多く、御霊信仰のご祭神として中心的存在となった。
以上が、今夜ツイートした内容。まだまだ
祇園祭こぼれ話 ~知らざる幻の山~
会社の近くの公園は、御射山(みさやま)公園といい、信州の御射山神社(諏訪大社の末社)に由来するらしい。場所は東洞院蛸薬師の北東角。ウイングス京都の南側の大きな公園。休日ともなれば家族連れでにぎわう。いたって普通の公園。
ここはかつて諏訪氏が住んでいたエリアということがわかっており、諏訪社も祀られており、足利尊氏も信仰していたという話もある。そんな地域の繋がりがあったためか、祇園祭では中世の頃
京都の御所周辺の散策の魅力
ここ数日御所周辺の案内が続いている。ここ数日というのはつまり3月の終盤。この時期に御所と言えば近衛邸跡の桜が気になる。
何コースか組んでみたが、今現時点でもっとも自分の個性を発揮できるコースが先日29日に巡ったコースだ。それは以下の通り。
京阪電車出町柳駅→妙音弁財天→本満寺(しだれ桜)→阿弥陀寺(織田信長・信忠の墓)→大黒屋鎌餅本舗→薩摩藩墓地→相国寺→京都御苑→近衛邸跡(しだれ桜)→一
小堀遠州のマルチな才能!日本のダヴィンチの生涯
今日(2/6)は小堀遠州の命日。正保4(1647)年、69歳。
<新たな美の構築者 小堀遠州>
近江国に生まれ、幼少の頃より父正次の英才教育を受けた。父は浅井長政に仕えていたが、浅井家滅亡後は、豊臣秀長に仕え、家老として郡山城に移っている。
秀長は千利休に師事していたため、小堀遠州は幸運にも10歳にして利休の手前を見る機会を得た。さらに利休亡き後、天下の茶人となった古田織部
に師事して、千利
勝海舟の生き方から学ぶべきこと
今日は幕臣・勝海舟の命日。明治32(1899)年、享年77。
その信念は、「窮地の日本をどのように救い、発展させるか。」の1点に集約されていた。
◎最も重要な 「 海軍 」 に目をつけた
勝海舟は幕臣であるが、決して身分が高いわけではなく、その存在を高めていくことにまずは努力を行ったわけであるが、その結果熱心に取り組んだのが蘭学であった。これがきっかけで長崎伝習所(勝は第一期生、第二期生に榎
幕末の偉人を多数輩出!佐久間象山
文化8(1811)年~元治元(1864)年
松代藩の下級武士の出身とされるが、そのルーツは諸説あり。村上義清に仕えた佐久間大学、あるいは柴田勝家の甥で賤ヶ岳の戦いで活躍した佐久間盛政、上杉謙信に仕えた斎藤朝信など。象山は幼少からその才を発揮し、数学、儒学を学んで頭角を現した。特に最初に開いた私塾では儒学を教えている。
後に老中に就任した藩主の命によって西洋兵学を学び、自らも大砲の鋳造に成功し
沢庵宗彭の命日(12/11)に大徳寺へ
今日は沢庵宗彭の命日。正保2(1646)年、享年74で亡くなっている。たまたま臨済宗のバスツアーで大徳寺を訪問したが、全く沢庵についての話ができなかったので、ここに記しておく。
但馬国の下級武士の家に生まれた沢庵は、7歳の時信長の命で羽柴秀吉が但馬に攻め入り、父・綱典が仕えていた山名家は滅ぼされた。そこで沢庵は、父の勧めもあり、戦国の世をいかに生き抜くべきか、その答えを求めて、仏道に入る事に