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日本初!京都の小学校の魅力

ここ数日、Voicyで話したり、講座をしたり、Twitterに連投している京都の小学校の魅力をダイジェストで紹介。


 京都の小学校といえば日本で最初にスタートしたことはどれくらい知られているだろうか。しかも明治2年に64の小学校が一斉にスタートしたのだ。驚くべきことに、全国に学制が発布されて小学校ができる3年も前の話だ。

 なぜこんなすごいことが実現できたのか。それは京都には少なくとも室町時代から続く町組という土台があったから。この町組というのは自治組織であり、自衛権も持っており、京都の経済の根幹を担ってきた。総じて日蓮宗の信徒でもあることが特徴で、祇園祭が華やかになっていくものこういった組織の経済的な発展に拠る所が大きい。
 明治初年に京都府はこれまでの町組に番号を振って「番組」へと編成し、現在の学区制度を創設した。各番組に1校の割り当てで小学校を造ることが義務化されたのだ。

 64校できた(番組)小学校のうち、現在、観光的に紹介できる筆頭は明倫小学校だ。校舎が国の登録有形文化財になっているだけでなく、見学も自由にでき、カフェ(前田珈琲)まで併設されている。校舎の入口が祇園祭の山鉾を象っているもの面白い。

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 次の紹介できるのが御幸町通にある開智小学校。こちらは京都市学校歴史博物館となっており、京都の小学校の歴史を体系的学ぶことができる。学校といっても当時は、防災施設、集会所など地域のコミュニティとしても機能しており、当時の生活習慣も感じられるほか、学校給食の変遷など、食習慣も学べて楽しい。さらに芸術家として名をなした卒業生からは多くの作品が学校に寄贈されており、京都の学校の所蔵品の価値は全国でも群を抜いている。

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 その他にも明治2年設立の番組小学校としての歴史を持つ立誠小学校はザ・ゲートホテル京都高瀬川となり、清水小学校(下写真)はザ・ホテル青龍となって、建物の一部がホテルに取り込まれて活用されている。

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 また同じパターンで龍池小学校は、平成18年より京都国際マンガミュージアムとなり、現在も多くの来館者を迎えている。

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 その他にも、現在の歴史ある小学校の校舎の多くは昭和初期に立て替えられており、鉄筋コンクリートだが、デザインも装飾も魅力的なものが多く、閉校となった後も地域でコミュニティの場として使われ続けている事例が多い。成徳中学校(成徳小学校)、待賢小学校などがその例だ。
 しかしこういった流れも徐々に減りつつある。東山区の新道小学校などは、地域コミュニティの役割を終え、現在ホテルへと改修中。西隣の宮川町歌舞練場と合わせて、また違った地域との共存へと向かっている。

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 京都が誇る歴史的資産ともいえるこの小学校の変遷や現存する建築群、地域の人々の心の支えとなっていることもあり、ひとつでも後世に残って欲しいなぁと思っている。

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