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#19 「好き」があなたの救世主

この記事では、僕が適応障害を克服した経験を書きます。
適応障害になった経験は以下の記事に書きました。
読んでいただけると幸いです。

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適応障害になると、あらゆることに無気力になる。
カーテンを開けることも、ベッドから起き上がることも、PCをつけることも、スマホを触ることも、全てのことが億劫になる。
そして、頭は自分を責め続ける

「同僚は今も働いているのに、お前はなんで寝てるの?」
「就職活動を頑張ったって思ってたけど、所詮フリでしかなかったな」
「いつまでも休んでないで、復帰のことを考えろ」
「何もできないなんて、どうしようもない人間だ」

何かしなきゃ!!
なるべく早く復帰しなくちゃ!!
重い体を引きずって、自分にできることを考えた。
唯一できそうなことが、読書だった

物語が、復活ののろしに

手に取った一冊は上橋菜穂子さんの『精霊の守り人』
学生時代に読んだ大好きな一冊を開いてから、僕の復活は始まった。

最初こそ「これを読んでた学生時代は楽しかったなぁ」と過去を懐かしみ、辛い今と比べて落ち込んでいた。
けれど、徐々に物語へ引き込まれるうちに、前向きな言葉が心に浮かび始める。

面白い。読みたい。

守り人シリーズは本編10冊。
一回読んだはずなのに続きが気になり、ひたすらに読み続けた。
3巻目『夢の守り人』を読み終える頃には、自然とベッドから起き上がり、陽の光を浴びることができていた。
そして、5巻目『神の守り人』を読み終える頃には、本のある場所を欲するようになっていた。

家にいても自分を責めるだけだ。外に出よう。
向かった先が、図書館だった。

図書館が、パワースポットに

僕は学生時代から、図書館に通い詰めていた。
ときには読書部屋、ときには勉強部屋、ときにはシェルター。
常に僕を安心させてくれる場所だったのである。
そして、適応障害を患った僕にとって、そこはパワースポットだった。

本棚のある空間で、本を読み、読んだ感想とか思いついたことを書く。
それだけで、枯れ果てた心に、潤いが戻ってくる心地を覚えた。
もちろん自分を責めることをやめられたわけではない。

けれど、自分にできることをやっていこうと思えるようになった。

友達の言葉で、退職を決める

適応障害のときは、世界が靄に包まれている感じがする。
本を読むようになり、図書館へ行くようになり、少しずつその靄が晴れていくのを感じていた。

この靄が完全に晴れたとき、僕は職場に復帰するべきなのだろうか。

迷った。
もちろん生活やお金のことを考えると、復帰するのが最善だ。
だけど、もしまた適応障害になってしまったら……。
同じ会社に戻るのだから、その可能性は十二分にある。
悶々と迷う中で、僕は勇気を振り絞って親友2人に相談することにした。
一緒に悩んでくれるであろうと思っていた。
しかし、彼らは一切悩むことはなかった。

「とっとと逃げろ! 今すぐやめろ!
 お前にできる仕事は、他にもたくさんあるから!
 だけど、お前は一人しかいないんだぞ!」

このときグループ通話で話していたが、のちに彼らに話を聞くと、僕の声は明らかに病人の声だったのだという。
覇気がない、トーンが暗い。声だけで何かを患っていることがわかる。
少しは調子が上がっていたとはいえ、適応障害は、それだけ僕の身も心も蝕んでいたのである。

けれど、彼らのその言葉で僕は決心ができた。
短期離職。履歴書に傷がついてしまう。
だけどそれ以上に、自身の心に傷がつくことの方がリスキーだ

その日の夕方には、退職の意向を会社に伝えたのだった。

図書館との再会

僕の適応障害に関わる経験の中で、もう一人恩人がいる。
それは、大学時代にお世話になった心理学の先生だ。
その先生に自分が仕事でうまくいかなかったこと、適応障害に患っていることを全て話した。
そして、できれば次は「本に携わる仕事」がしたいということも伝えた。

「私の知り合いに、図書館司書をしている人がいるよ」

そこで紹介されたのが、今も所属している図書館委託会社だった。
非正規雇用だから給料は少ないし、土日休みとは限らない。
そんな条件付きだけれど、僕は一も二もなく飛びついた。
本能的に「それだ」と思ったのだ。

その感覚は正しかった。
今では、僕は図書館の責任者として日々を過ごしているのだから。

「好き」が克服の鍵

適応障害では、特定可能なストレス因子によって引き起こされる、著しい苦痛を伴い日常生活に支障をきたす感情面、行動面の症状がみられます。

適応障害 - 10. 心の健康問題 - MSDマニュアル家庭版より 

一般的に適応障害を克服するには、そのストレス源から離れること、回避することが挙げられている。
仕事で言うなら休職や異動だ。
結局僕は休職をしたけれど、これらは簡単にできないし、決断しづらいものだと思う。
適応障害を患っても安心して働けるような社会になることを願うばかりだ。

僕が適応障害を克服した鍵は、次の三つだった。
物語の世界、信頼できる人、図書館、である。
いずれも共通するのは、「好きなこと」「好きなもの」であること。

ストレス源というのは、何も職場やそこの人間だけではない。
頭の中にいる、「自分を責めてくる自分」もストレス源なのである。

「好きなこと」や「好きなもの」はそんな「自分を責めてくる自分」を封じ込めてくれるし、頭から追い出してくれる。
いつかの記事で、僕は「好きなことがいつか自分を救ってくれるかもしれない」と書いたのは、この経験からだった。

だから今、好きだと思うもの、好きだと思う場所、好きな人を持っているのだとしたら、徹底的にそれを大切にした方がいい。
いつかそれがあなたを救ってくれるはずだから。

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ここまで長文を読んで下さり、本当にありがとうございました。
割愛しながらではありますが、僕の適応障害の経験を書かせていただきました。

僕のnoteの好きなところは「いいね」ではなく「スキ」を筆者の方にあげられるところです。個人的に「いいね」と言われるより「スキ」と言われる方が好きなので。
自分の「スキ」が誰かの喜びになったら嬉しいと思い、記事を読ませていただいたうえで「スキ」を押させていただいています。
皆さまからの「スキ」に僕も救われています。
本当にありがとうございます。



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