#46 人生の秋と冬をどう迎えるか
「青春」という言葉はよく目にするし、耳にする。
学生時代、青春を全くもって謳歌していなかった僕は一つの疑問を持っていた。
青い春があるなら、夏とか秋ってないのだろうか。
結論から言えばあった。
「青春」という言葉は中国の陰陽五行説の中に出てくる語で、人生を四つの言葉に割り振ったものの一つである。
その続きは、「朱夏」「白秋」「玄冬」。季節に色を与えた二字熟語である。ちなみに「玄冬」の「玄」は黒を指している。
僕は今33歳。
つまり、実際の季節と同じ、夏の時期を過ごしていることになる。まだ夏が始まったばかりなのか、秋来ないかな……。
普段からときどき考えることがある。
これから年老いたときに、どのような人間でいたいかということを。
この陰陽五行説で言うならば、どのような秋や冬を迎えたいだろうか。
今持っているものを磨いていたい
上記の記事で、「創ることをやめるのは死ぬとき」と書いた。
結局、そこに尽きるところはある。
創作というものは本当に素晴らしい。
年齢にかかわらず、紙と書くもの、欲を言えばPCもあれば、いつでもどこでもできるのだから。
しかも年齢を経るにつれて、間違いなく創るものが変わってくるだろう。
今にしか創れないものもあるだろうし、60代にならないと創れないものも絶対にあるはずなのだ。
創作意欲を持っている限り、僕は人生を持て余すことはないという自信がある。
一方で、こういったものがないと仕事をリタイアした後に困るという話をよく聞く。
かくいう自分の父がその典型例である。
父は無趣味で、仕事一辺倒の人間だったのだが、うつ病を患うようになり65を待たずにリタイアした。
そこからの老いの早さが目に余るほどだった。
いかに生きがいや趣味というのが、人生を楽しくさせているのかがよくわかる。
そう考えると、自分で言うのも変だが、僕は多趣味な方である。
創作はもちろん、読書、サイクリング、筋トレ、相撲観戦、散歩、カラオケ、コーヒーなどなど……。
ただこれらだっていつどのタイミングで興味を失くすかはわからない。
だから僕は、今からこれらの好きなことを育てて、磨いて、人生の秋・冬を迎えたい。
このnoteも、創作という人生の種を育てるための行動なのだ。
もちろん上記以外の種を見つけることもしていきたい。
限られた人生だ。少しでも自分が興味を持てそうなものがあるのならば手を出していきたい。
いつ人生がどうなるかわからないから
「人生って何が起こるかわからない」
という言葉を痛感した出来事が、今年の5月にあった。
僕の働いている図書館の館長が、突如倒れてしまったのだ。
前日まで一緒に働いていたし、とても元気に見えた。
「立竹君、君の欲しい図書館備品を考えといてくれよ。また明日!」
「承知しました、お疲れさまです!」
現状、これが館長と交わした最後の会話だ。
病名を書くことはしないけれど、今も療養をされている。
館長はとても図書館の仕事に熱心な方だ。
動きたいのに動けない。さぞ今も辛い思いをしていることだろう。
陰陽五行説で言えば、館長は白秋から玄冬くらいの年代である。
人生の秋や冬に、突然病気が襲い掛かることだってあるのだ。
もちろん病気だってなんだって、いつ何が起こるかわからない。
だからこそ今から健康を意識して、体を整えて、好きなことを育てて、最高の秋と冬に備えていきたい。
当たり前なことなんて、何一つないのだから。
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