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#44 わがままになってやる!

わがままとは

自分の思いどおりに振る舞うこと。また、そのさま。気まま。ほしいまま。自分勝手。

デジタル大辞泉(小学館)

僕は小学生から高校生くらいまでの間は自己中心的だったと自負している。
相手の予定など考えずに遊ぶ予定を立てたり、相手の意見を聞かずに遊ぶ約束を取り付けたりなどやりたい放題だった。
一番の親友からも「学生時代のお前は本当にクソだった」と言われるくらいである。

年を追うごとに行動範囲や交友関係も広がり、精神的にも成熟してきた結果、そんな自分を変えたいと強く思っていた。

自分の話をしすぎてはいけない。
自分のやりたいことを主張するのはよくない。
相手の話を聞いて、相手に合わせていくのがいい。

自己中心的すぎた自分の姿勢を変えるため、極端すぎるくらいに他人中心で生きた結果、どうなったか。

しんどいと感じることが多くなってしまったのである。

わがままを言わないのはしんどい

「わがまま」という言葉だけだとどうしてもマイナスに捉えてしまうが、言わないのもなかなかにしんどい。

今日、職場で僕は一つのわがままを言った。
今朝、起きたときから若干熱中症っぽくなってしまい、職場に行ってもだるさと頭痛が続いた(熱中症の怖さを記事にしたばかりなのに面目ない)。

なので、職場では
「熱中症っぽいので、コンビニでポカリ買ってきていいですか」
とわがままを言わせてもらった。
本当なら帰らせてほしい、休憩させてほしいと言った方がよかったのだろうが、僕はまだまだそこまでのわがままが言えない。
実際、職場の人には「そんなんわがままじゃない」「休憩室で休んでいいよ」と言われたけれど……。

この場合にわがままを言わないとどうなるか。
当然ながらただただしんどいだけである。
ただでさえ体がしんどいのに、それを無理して隠すことによって二重にしんどくなる。

わがままを言わないことによって自分を苦しめることになる。
しかし、どうしても「自分が迷惑をかけてしまう」と考えてしまうのだ。
熱中症で倒れた方がよっぽど迷惑だというのに……。

今日、ポカリを買いに行っているときに思った。
わがままを言うことは、人に甘えることでもあるのだなと。

自分自身を尊重すること

僕の交友関係の中にも、甘え下手な人がいる。
なんでも自分で抱え込んでしまい、苦しそうにしているのだ。
そういうとき、わがまま下手な自分でも思ってしまう。

「もっとわがまま言っていいんだよ!」

そうは思うけど、そういう類の僕らにとって、
人に甘えるというのは非常に勇気のいることなのだ。

しかし、適度に甘えること、適度にわがままをいうことというのは、
自分自身を尊重することでもある気がする。

総じて甘え下手な人というのは、自分自身のことを後手に回して苦しんでいる人が多い。自分も含めて。
そういう人たちのわがままは、ある種の自己肯定になりうると思う。
苦しんでいる自分に救いの手をさしのべることでもあると思うのだ。

もしわがままを言うのが怖いとか、人に頼ったり甘えたりすることが苦手だと思う人がいるのならば、
わがままや頼ることや甘えることは、辛いと思っている自分を楽にさせる一つの手段なのだと思ってほしい。

そうは言ってもなかなかそこを変えるのは難しいとは思う。
けれど一つ吹っ切れるのも大切だ。

今日から自分は、わがままになってやる!!

くらいの気持ちが大切なのだと思う。




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