映画「愛を乞うひと」とあの日のこと

シネマエッセイストのクワン Q-Oneです。

オススメ映画レビューや映画にまつわるエッセイを投稿して参ります。

心を込めて様々なシネマエッセイをお贈りします。

時にほっこりしたり

時に心が元気になったり

時に笑いに包まれたり

時に涙がこぼれたり

読んでいた後、少し心模様が変わるような

そんな様々な色合いの映画にまつわるライフエッセイをお届けして参ります。

最初のエッセイは自己紹介も兼ねて

私と私の家族の話です。

誰にも言えなかった話です。

泣きながら書いたエッセイですが 笑

楽しんで頂けたら嬉しいです✨

今年は息子ふたりがダブル受験。

でもまさか、いまだ新学期が始まっていないとは思いもしませんでした。

果たして彼らはこれからどう受験までの8か月に向き合っていくのか。

しっかりと見守っていきたいと思います。

受験シーズンが近づくと必ず思い出すことがあります。

そしてこの映画を観るとまた

あのことを思い出します。

心の奥深くにに閉まっていた

あの時のことを。


私が日本女優で歴代一番好きな女優は、原田美枝子だ。

そして原田美枝子出演作で最も女優としての凄まじさを感じるのはこの作品。

映画「愛を乞うひと」

彼女は二役を演じている。

現在の場面は、1人娘を育てる気弱な母親。

過去の回想は、激しく娘(現在の彼女)を虐待をする実母。

同一人物とは思えない程の変わりようで凄まじい演技である。

現在の彼女は幼い頃に亡くなった父の遺骨を探しているのだが

彼女の脳裏に浮かぶのは実母に虐待されつづけた壮絶な記憶。

ひとり娘の野波麻帆と共に遺骨探しを続けた後

長年会っていなかった実母に会うことを決意するのだが、、、

回想シーンの昭和20年~30年代の雰囲気も見事だが

虐待シーンが続くので覚悟が必要である。

タバコの火を娘の手にジュッと押し当てたり

ベルトで滅多打ちにしたり

目も当てられないほどの壮絶さ。

凄まじい形相で娘を殴る蹴る。

娘はたまらず吐いてしまう。

思わず遊びに来ていた娘の友人が驚いて

おしっこをもらしてしまう。

その後、彼女は虐待を受け続け

一度は自殺しようとするが死ねない。

ただ鏡を眺めて愛想笑いをしている哀しみ。

そして遂には家を出るが

その命懸けの逃走も胸を打つ。

そんな彼女が大人になって娘を持つ。

でも実母の暴力性が自分にも潜んでいるのではとおびえている。

現在の娘役の野波麻帆も素晴らしい。

心に闇を抱える母に

「ぶってからあやまんないでよ!しっかりして欲しい」

なんて言う強い娘。

この現在の母と娘の心の交流も素晴らしい。

そんな娘の勇気づけもあり

最後にはあれだけ自身を虐待をした実母に会いに行くのだが

その緊張の再会はどうなるのか

それはぜひ見て欲しい。

その後のラストシーンまで涙が止まらなかった。

こんなに観るのが辛くしかも映画として凄まじい力を持っている映画も珍しいが

原田美枝子が怪物並みに凄い女優だということは分かると思う。

凄まじい暴力をふるう母と、一方自分を抑えつけている怯えた母という

対照的な二役を演じているのは驚きしかない。

是非この彼女の凄さを一度観て欲しい。

タイトルの「愛を乞う人」というのも最後深く沁みてくる。

ちなみに、娘の友達の少女が虐待現場に遭遇して

おしっこを漏らしてしまうシーンを述べたが

人はそうなってしまうことある。

人は心底驚いたり恐れたりして

自分の根幹が揺さぶられると

中枢神経や自律神経が一瞬にして

言うことを聞かなくなる時がある。

そしてそのシーンを観ていて

私は鮮明に思い出してしまった。

長い間、私自身封印していた記憶。

身体の芯で憶えている記憶。

でも消し去りたい記憶。

そう私は人生で一度だけ

失禁したことがある。

この話は家族と親友数人しか知らない。

小中高大の友人や仕事仲間にも言えなかった。

まあ、言う必要性は一切なかったのだけど 笑

私は幼少時、おねしょをした記憶も無い。

私が人生で一度だけ失禁したのは忘れもしない。

18歳の時、寒い冬。

センター試験の数学の時間だった。

私は当時、数学にはかなりの自信があり

模試で90点より低い点数はとったことは無かった。

だけど本番当日、あまりの緊張のためか、それとも自分の苦手なツボがあったのか

始まってすぐに2問目でどうも読み解けない問題とぶち当たり

まさかと一瞬にして思考が停止した。

数学で問題を飛ばすという経験が無かったので

その問題にこだわった末、予想以上に時間を掛けてしまい

改めて時計を見て完全にペース配分を間違えたことに愕然とした。

心底、焦りに焦った。

すると人間の脳は不思議で

ドンドン追い詰まって働かなくなる。

指先はなぜか痺れてきた。

途中でもよおしてきた尿意も強くなっていき

更に焦りと共に輪をかけて耐え難くなっていき

思考が朦朧としてきた。

気づくと最後の数問までたどり着いた時には

もはや数分しか時間が残っていなかった。

私が目標としていた国立大学はある点数以上取らないと2次試験に薦めない「足切り」というラインがあり、1科目も落とすことは許されない。

やばいどうしよう。

尿意も爆発しそうだ。

トイレに行く時間もない。

間に合わない間に合わない間に合わない。

やばいどうしようやばいやばいやばいやばい。

あ~~〜!!!どうしよう!!!

あっ!

はっと気づいた瞬間

私は全てを解放してしまっていた。

突発的に自律神経が壊れた感じだった。

一瞬のできごとだった。

人生で初めておしっこを漏らしてしまった。

それも公共の場。

それも人生で一番大事だと思っていた試験本番に。

しかも私はもう18歳、、、

でも唯一良かったのは

椅子からおしっこが滴り落ちなくて

誰にも気づかれなかったことだ 笑 

今思うとそれだけは本当に良かった。

より拭い去れないトラウマになっていたはずだ。

しばし何てことをしてしまった!と思ったが

今は1問でも終わらせねばと集中することだけを意識するや否や

試験時間は哀しくも終わった。

最後の数問は間に合わなかった。

こんな経験は一度もなかった。

その後濡れた椅子をティッシュでふき

休憩時にトイレ個室でパンツを脱ぎ

少し水ですすいだ後、ハンカチにくるみ

ポケットに入れて平静を装いつつ

(装いきれるはずはななく顔面蒼白のまま)

試験会場に戻ってまたあの席に座り

その後の試験はノーパンで受けきった。

まさかのノーパン受験である 笑 

その後の科目は開き直ったからか(股間がスースーしたが、、)

焦ることなく試験を終えることができたが

正直、家に着くまでの記憶がない。

ただ家に着いた時の失望感は今思い出しても心の奥が

キューンと痛みを感じる程に半端なかった。

すさまじい自己喪失感に覆われていた。

私はここに照準を合わせて高校2年の途中に野球部を辞め

1年半1日10時間近く勉強してきた果てのこの本番。

なんで!なんで!!なんで!!!なんで!!!!

その夜、母に気づかれないように

洗って濡れたパンツを服と服の間に押し込んで

洗濯機に入れたことを覚えている。

「どうだった?」と母に聴かれた時

私は思わず泣きそうになのを堪えるのに精一杯だった。

声を絞り出すように「ま、まあ」と俯いて

外に出て、ひとしきり泣いた。

人生であんなに泣いたことはないくらいに。

これが私の人生唯一の失禁体験である。

その後私は足切りはぎりぎり逃れたものの

中学生のころから目標としていた国立大に落ち

唯一受かった私大に入った。

この経験には後日談がある。

5年前、私の長男が中学受験に臨んだ時のことだ。

彼が夢見ていた学校への1校受験だったこともあり

彼自身、極度の緊張状態だったと思う。

受かる可能性は五分五分だったけど

試験本番当日。

何の因果か彼は算数でつまづき

大誤算の失敗をした。

そして合格発表当日。

私と妻はこの1年の彼の頑張りと志望校への想いを考えると

どうにか受かって欲しいと祈っていた。

彼が小学校から帰る前にネット通知が来た。

2人でおそるおそる通知を開くと、、

彼の受験番号は無かった。

妻は黙ったまま、ぽろぽろと泣きだして

私もしょうがないよと慰めているうちに涙が溢れてきた。

2人でしばらく黙ったまま泣いていた。

時間が止まってしまったように静かな部屋で

すすり泣きだけがこだましていたように思える。

長男には結果がどちらでも

自分自身で結果を見たいから言わないでくれと言われていた。

そして、彼が帰ってきた。

妻は泣き腫らした顔を見せまいと

待ってる時間、洗顔をして、化粧し直して、

どうにか自然な表情を必死に繕おうとしていた。

そして、彼が結果通知を開いた。

しばし見つめていた。

そして

「やっぱり駄目だった、、、」と小声で呟いた。

長男は涙をぐっと堪えていた。

その必死に受け止めようとしている彼の表情を見てまた涙がこみ上げた。

まもなく次男が帰ってきた。

明るさいっぱいに「どうだった!?」と飛び込んで

首を振った妻の姿を見て次男は言葉を失った。

そして今にも泣きそうな表情で俯いた。

しばらく皆でひとしきり落ち込んだ後

私はどうしても受かりたかった大学の試験本番に

おしっこを漏らしてしまった話をし始めた。

最初は長男もこわばった表情で

パパは何でこんな話をし始めるのだろうと不可思議な表情で見ていた。

私も必死に面白可笑しく話そうと努めて最後

「いやあ、まさかノーパンで受験すると思わなかったけどな!」といったら

長男は初めて、ぷっと噴き出すように笑った。

その後私は「どうしても行きたい大学だったけど、もしその大学に行ってたらママには会えてなかった。だからお前たちも生まれてなかったんだよ」という話をした。

「だから今思うと、おしっこ漏らして良かったよな。〇〇(息子の名)も今、行きたかった学校に落ちて凄く悔しくて悲しくて辛いと思うけど、人生何が自分にとって財産になるかわからない。この1年の頑張りは絶対に活きてくる。そして強くなれる。だから悔しいけどパパもママも支えるからまたがんばろう」と伝えると

「うん」と彼は頷いた。

これが私が初めて自身の失禁体験を家族に伝えた時である。

面白かったのは、当時小学3年の次男が

「なんでパパがママと出会わないと僕たちは生まれなかったの? ママのお腹から生まれるんだから関係ないじゃん」

と素朴な疑問をぽつりと言った。

事情が分かる長男はにやりと笑った。

私は「それはね~、まあ今度ね」とごまかした 笑 

妻も泣きながら笑っていた。

その夜にお祝いできるよう妻が用意していた焼き肉を

皆で言葉少なくしみじみ食べたひと時が心に残っている。

なぜ今更この話をしたくなったか、私にはよくわからない 笑 

ただ打ち明け話をすることによって

普段は抑えている心の奥底の渦巻く行き場のない感情が解放され

成仏されるような感覚がある。

そしてその後なぜか

深く静かな、そして豊かな感情に包まれている不思議な感覚が生まれる。

映画レビューをしながら、いつのまにか自分の人生について想起する。

そしてその映画と人生があざなえる縄のごとく

自分の人生を後押ししてくれるような気がする。

だいぶ私の話が長くなってしまったけど

この「愛を乞う人」における原田美枝子の凄みに漏らしてしまった少女のように。そしてあの時の私のように

ひとりでも多くの人に失禁体験を、、して欲しいわけではない 笑 

ただ映画っていうのは観ることに

そしてそこで生まれた感情を更に見つめて押し広げることによって

普段抑えつけてきた感情を思い切り解放できる。

本能が露わになる。

みんな必死に繕ってかっこつけて生きていても

人間は一皮むけば、みんな一緒。

哀しみや喜びや情けないことが露わになった時

体裁や恥ずかしさを超えて本来の自分に気づく。

そして、楽になれる。

あの時もある意味スッキリしたけど 笑

今もスッキリしている。

振り返ってみると受験で漏らしてしまったことも

あの時、咄嗟に長男を笑わせる話題となったのだから

今では本当に良かったと心から思う。

そしてあれから5年が経って

また試練の年がやってきた。

しかも今年は長男が大学受験。

そして次男が高校受験という

コロナと共に迎えるW受験だ。

結果はわからない。

でも、

どんな結果になろうとも

私は息子たちから溢れるすべての感情を

全部丸ごと受け止めるつもりだ。


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自己紹介

世界に愛を届けるシネマエッセイストのクワン Q-Oneです。皆さまにとって、心に火が灯るような、ほっこりするような、ドキドキするような、勇気が出るような、そんな様々な色のシネマエッセイをこれからもお届けします。今年中に出版を目指しています。どうぞ末長くよろしくお願いします✨☺️✨