ぷれすと

浦和レッズを追い続けて27年目の平成生まれ。

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浦和レッズを追い続けて27年目の平成生まれ。

最近の記事

12月9日(2017年) 油断してた訳じゃないけど…

浦和的には“12月9日=2018年に埼スタで天皇杯を賜った日”が思い浮かぶでしょうが、 個人的にはこの日から1年の時を戻した2017年の12月9日について振り返ってみたいと思います。 どちらかというと2018年の思い出とは180°真逆の出来事ですが、これもまた浦和らしいエピソードということで…。 2017年の浦和レッズは、ACL王者として2007年以来10年ぶりとなるCWCの出場権を獲得。 2007年の当時は受験生だった自分は入試直前ということもあって現地で応援する事が

    • 7月8日(1995年) 熱狂と興奮の大宮公園

      ご無沙汰しております。 仕事やら何やらで忙しくて筆が止まっておりましたが、 この日だけは、この試合だけはどうしても記しておきたいと思い、急いで記録いたします。 本企画の発起人である清尾さんが仰るように、1995年1stステージ後半における浦和はとにかく勝ち続けた。 清尾さんが「大宮伝説」と名付けるのも当然で、本当に神がかり的な勝ち方で連勝を重ねた。 いくつもの勝利があった中で、大宮伝説を「伝説」とたらしめたのが7月8日の広島戦でした。 試合の詳細は清尾さんの投稿をお

      • 3月30日(1996年) “ヤマハの武田”

        1996年のこの日、義務教育期の私は家族に連れられて現地で観戦していました。 四半世紀ほど前の単なるリーグ戦にすぎませんが、この日の思い出は結構ハッキリと残っています。 0-0のスコアレスで突入したPK戦という長丁場の試合でしたが、まだまだ冷え込む春先に強く降りしきる雨に打たれながら観戦した事で手の皮膚がしわくちゃにふやけ、 大雨でポンチョがポンチョとしての機能を果たさない中で寒さと冷たさに耐えながらも勝利を掴んだ喜びはひとしおでした。 そして何よりも強烈なインパクトだ

        • 3月24日(2012年) “最高の卒業旅行”

          清尾さん曰く、3月24日の試合が2012年のアウェイ札幌戦だけしか行われていなかったということで、必然的にこの日のエピソードを。 この日の私は、大学の卒業旅行も兼ねて2泊3日で北海道・札幌に訪れていました。 それまでは学生ゆえに学業と並行しつつ貧乏サポーター業を過ごしていたので、 この時はアルバイトで稼いできたなけなしの貯金をはたいて可能な限り楽しんでこようと、試合と旅行の二重の意味で期待感を抱いて赴いたのを覚えています。 試合の方は前半にFKから札幌に先制を許すも、前

        12月9日(2017年) 油断してた訳じゃないけど…

          3月18日(1995年) “奇跡と熱狂の5ヶ月間”の開幕

          1995年の本日、Jリーグ1stステージの開幕日でした。 当時の私はテレビ組でしたので現地の思い出はありませんが、初の外国人監督を招聘したクラブの意気込みに強い期待感を抱きながら横浜フリエとの開幕戦を迎えていたのを覚えています。 清尾さんの投稿にもありましたが、黎明期はフリエとの相性がとにかく悪かった浦和。 ですが、‘94年の国立競技場での快勝など徐々にフリエに対する苦手意識も払拭されてきた中で迎えた‘95年の開幕戦は、惜しくも0-1で敗戦。 3年連続で開幕戦黒星となり

          3月18日(1995年) “奇跡と熱狂の5ヶ月間”の開幕

          3月11日(2000年) 勝点120点計画

          3月11日。 言わずと知れた、2011年に東日本大震災が発生した日としてほぼ全ての国民が認知している日。 思い出すだけでも心が痛み、二度と経験したくない。 だけど決して忘れてはいけない辛い記憶。 そんな3月11日は、浦和レッズにとっても「二度と経験したくない」出来事がありました。 時は遡り、西暦2000年の3月11日。 浦和レッズの歴史上で唯一となる「J2リーグ開幕戦」を戦ったのがこの日でした。 度重なる不運もあって、思い通りに戦えなかったまま無念のJ2降格となっ

          3月11日(2000年) 勝点120点計画

          3月10日(2018年) 浦和レッズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!

          せっかくなので、私が現地に訪れた「3月10日」のエピソードも記しておきます。 時は少し遡り、2018年の3月10日に長崎県諫早市のトランスコスモススタジアム長崎で開催されたV・ファーレン長崎との一戦。 前年の経営危機を救ったジャパネットホールディングスからの支援を受け、奇跡的な急上昇で見事に初の“ゼイワン”昇格を成し遂げたV・ファーレン長崎。 全国のお茶の間に顔と声を浸透させた髙田明社長による経営のもと、サッカーを通して長崎を元気にしようとする姿が各種メディアでも取り上

          3月10日(2018年) 浦和レッズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!

          3月10日(2001年) “反撃の浦和”

          まさかのJ2降格という憂き目にあい、雌伏の一年となる2000年シーズンをJ2リーグ2位の成績でJ1復帰を果たした2001年。 日頃から「世界に輝け!」というフレーズを入れたチャントを歌いながらJ2の舞台で戦うというのは、 「こんなハズではない」「ここにいるべき俺たちじゃない」という受け入れ難い現実との戦いの一年でもありました。 そんな厳しいJ2での戦いを終えて、ようやく「居るべき場所」への帰還を果たした浦和レッズ。 この年のOSCのスローガンにも採用されていた “RE

          3月10日(2001年) “反撃の浦和”

          3月9日(2013年) “Nice Shut Out!!”

          【文化シヤッター】①シャッター、アルミニウム建材を取り扱う総合建材メーカー。 ②浦和レッズの試合における「完封勝利」を意味する言葉。 埼スタで開催されるホームゲームで完封勝利をおさめると、多くのサポーターが視線をオーロラビジョンに集中する時間があります。 いまや恒例の儀式と化し、サポーターの中でも「完封勝利」を表す言葉としても定着した文化シヤッター様による演出が初披露されたのが、2013年3月9日の名古屋戦でした。 当時は大した事前告知もなく、試合中の好守時に突如とし

          3月9日(2013年) “Nice Shut Out!!”

          3月9日(2019年) “風が語りかけます”

          そんなテレ玉の長寿CMを思い出すような強風が吹き荒れるサンプロアルウィンで開催された一戦。 前年の天皇杯でも同じ会場・同じカードで戦っているとはいえ、J1の舞台では2015年以来となる対戦に両チームのサポーターが多く駆けつけており、気候は寒いが熱気に溢れる雰囲気で迎えた試合でした。 しかし、そんな熱気&期待とは裏腹に試合内容はお世辞にも「熱い」とは言えず、興梠選手のPKによる虎の子の得点を何とか守りきった試合内容だったと記憶しています。 前年の天皇杯を制し、引き続き浦和

          3月9日(2019年) “風が語りかけます”

          3月8日(2014年) “We are REDS!”の重さを知った日

          今年で30周年を迎える浦和レッズの歴史において、忘れてはいけない・大切にしたい日付というのが複数存在します。 ・Jリーグ開幕初戦を迎えた5月16日 ・J2降格を決めてしまった11月27日 ・初のタイトルを獲得した11月3日 ・初めてJリーグを制した12月2日 ・初めてアジアを制した11月14日 他にも挙げれば枚挙に暇がありませんが、今回の3月8日という日付もクラブの歴史において「決して忘れてはならない」日付であるのは間違いないと思います。 そんな2014年3月8日の「あ

          3月8日(2014年) “We are REDS!”の重さを知った日

          3月7日(2007年) “to the beginning”

          2006年1月1日の天皇杯制覇により掴んだアジアの舞台。 一年以上の準備期間(※その間にJリーグも制した)を経て挑む、浦和レッズにとって記念すべきACL初戦がこの日でした。 当時は高校生だった私も、たしか学年末考査を終えて一段落した頃合に参戦した試合でした。 多くの浦和人が心の底から待ちに待ちわびたACL。 たくさんの期待と少しの不安を抱いて始まった試合は、意外なほど順調な展開で試合が進み、終わってみれば3−0の快勝で白星を飾りました。 どこかで拍子抜けをしつつも、

          3月7日(2007年) “to the beginning”

          3月1日(2014年)雨の吹田と浦和の白星

          3月を迎えたものの、小春日和はおろか試合前から降り注ぐ冷たい雨により身体が小刻みに震える中で2014年のJ1リーグ開幕戦。 屋根のないスタジアムでの雨観戦は勘弁だが、2年前の2012年に行われた万博での試合は豪雨の中で終盤に梅崎選手による劇的な得点で勝利をあげたのを思い出して「これは吉兆の雨なのかも…」と思いながら試合開始を待っていたのを覚えている。 試合前のウォーミングアップ〜選手紹介が終わり、あとは選手入場を待つだけ…という所で、自分から少し離れた席にピンク色のポンチ

          3月1日(2014年)雨の吹田と浦和の白星

          一つの終焉に 赤い花束を

          「この新加入選手、いちいち面白いプレーをするなぁ…」 今でもハッキリと覚えている。 2015年のJ1リーグ1stステージ第2節・浦和vs山形の一戦における、 何ともない些細なプレーを見た瞬間に私がその選手に抱いた印象である。 その選手には、前節のvs湘南でも同様の感想を抱いた場面もあったが、 その感想が確信に変わるほど、私の琴線に触れるプレーを見せた。 「今年はこの選手に注目してみよう。」 阿部勇樹選手の豪快なゴラッソで浦和が勝利をおさめた翌日、 私はその時点でゴール

          一つの終焉に 赤い花束を

          「拍手」の向かう先は…?

          先週の鹿島戦に続いて、観客動員数を5,000人に上限設定して開催された柏レイソルとの一戦。 今回はREX会員のステージを段階的に引き下げて販売した結果、鹿島戦から約1,000人を上回る4,127人の観客が集まりました。 前節のFC東京戦での敗戦を払拭させる戦いをすべく、4,127人の後押しを受けた浦和レッズ。 その結果が、0-4での完敗。 通常であれば盛大なブーイングや徹底した沈黙という反応を示してもおかしくない結果ですが、新型コロナに関するガイドラインに従ってブ

          「拍手」の向かう先は…?

          3,094人の「1人」として…(後編)

          ハーフタイムをいただきましてありがとうございました(笑) ※前編を未読の方は、はじめに↓をお読み頂ければ幸いです。 入場~集合写真のルーティンを経た後に、肩を組まない新スタイルの円陣を終えた選手たちが各自のポジションについてキックオフの瞬間を迎えます。 そして19時03分、主審の木村博之さんによって心の底から渇望したスタジアム観戦の再開を告げるホイッスルが響きわたりました。 それと同時に響きわたったのが、360°のスタンドから発生した割れんばかりの盛大

          3,094人の「1人」として…(後編)