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7月8日(1995年) 熱狂と興奮の大宮公園


ご無沙汰しております。

仕事やら何やらで忙しくて筆が止まっておりましたが、
この日だけは、この試合だけはどうしても記しておきたいと思い、急いで記録いたします。



本企画の発起人である清尾さんが仰るように、1995年1stステージ後半における浦和はとにかく勝ち続けた。

清尾さんが「大宮伝説」と名付けるのも当然で、本当に神がかり的な勝ち方で連勝を重ねた。

いくつもの勝利があった中で、大宮伝説を「伝説」とたらしめたのが7月8日の広島戦でした。



試合の詳細は清尾さんの投稿をお読み頂くのが早い&正確なので割愛いたしますが、
この試合の現場に居合わせた者の感想としては「人生の財産」と称しても良いレベルの試合だったことを強調いたします。

試合の終盤に逆転を許し、さすがに連勝もここまでか…という考えがほんの一瞬よぎったのもつかの間、
試合終盤にも関わらずこの日最大の声量による応援が大宮公園の夜を包み込みました。

絶対に負かせてなるものか。

俺たちの勢いを止めてたまるか。

そんな想いを全身全細胞で感じさせるほどの異常な空気感による応援は、
ホームの選手を後押し、アウェイのチームを萎縮させるには十分すぎるほどでした。

清尾さんの投稿にもあった「1点取るまで笛は吹かせない」気持ちは、
あの場に脚を運んだ1万人弱のサポーター(※広島を除く)共通のものだったのは間違いありません。


そんな異常な興奮に包まれたホームの雰囲気が後押ししたのか、
大宮伝説の象徴でもある福永泰選手が放った左足のボレーがゴールネットを揺らした。


その瞬間。

爆ぜる感情。

狂喜乱舞のゴール裏。

地鳴りのように揺れる大宮公園。



どんなに詰め込んでも1万人に満たないキャパシティのサッカー場が、
まるで6万人がフルハウスで埋まったスタジアムのような興奮に包まれました。

酸欠状態で目が虚ろになるサポーターもそこかしこで発生しましたが、
そうなるのも当然なほど心の底から震え、シビれる展開に誰しもがクレイジーな感情に包まれてしまうことに。

同年5月3日に国立競技場で行われたV川崎戦での岡野選手の同点弾も「満員の国立が揺れる」ほどの盛り上がりでしたが、
この日の福永選手によるゴールはそれをも上回るほどの熱狂っぷりだったのを覚えています。

こうなったらもう、この試合は俺たちのモノだ。

そんな雰囲気に包まれた延長戦前の休憩時間でしたが、
その思惑通りに延長前半3分にあっという間のVゴール勝ち。


本当に、本っ当に、この時の浦和は神懸かってた。

選手からも、スタッフからも、そしてサポーターからも、
絶対に負けない。
絶対に勝つ。
絶対に勝たせてやるんだ。

そんな共通の想いを抱きながら戦い抜いた大宮伝説。


この6年後、長きにわたり浦和界隈で忌み嫌われる台詞が生まれましたが、
この時は、この時ばかりは、誰しもが胸をはって堂々とその台詞を言えたことでしょう。


負けないよ』と――。



私もJリーグ開幕から現在に至るまで浦和レッズを応援してきましたが、
この期間の、この大宮伝説がもたらした空気感こそが、真の意味での“ONE HEART TOGETHER!!”であったと思います。


改めて思えば、あの時のアドレナリン全開な熱狂と興奮を再び味わいたいがために、
私は30年近くにわたって浦和のサポーターという日々を過ごしているのかもしれません。


そんな脳裏に強く刻まれた思い出の「大宮伝説」は、
これからの浦和を背負うサポーターにも語り継いでいきたい“浦和の歴史”の1ページです。

#あの日のわたしたち