3月11日(2000年) 勝点120点計画

3月11日。

言わずと知れた、2011年に東日本大震災が発生した日としてほぼ全ての国民が認知している日。

思い出すだけでも心が痛み、二度と経験したくない。
だけど決して忘れてはいけない辛い記憶。

そんな3月11日は、浦和レッズにとっても「二度と経験したくない」出来事がありました。


時は遡り、西暦2000年の3月11日。

浦和レッズの歴史上で唯一となる「J2リーグ開幕戦」を戦ったのがこの日でした。

度重なる不運もあって、思い通りに戦えなかったまま無念のJ2降格となった1999年。

絶対に1年でJ1に戻ろうと、大半の主力選手が残留した事で当時のJ2リーグでは圧倒的な戦力を有していた浦和レッズ。

そんなJ2リーグは、11チームによる4回戦総当たりというレギュレーションで行われることから、
当時のサポーターやメディアはただの優勝&昇格ではなく、40戦全勝の勝点120点での完全優勝を目標を掲げてシーズンが始まりました。

この日の開幕戦での対戦相手は、浦和と同じタイミングでJ2に加入した水戸ホーリーホック。
とはいえ、水戸の場合はJFLからの昇格組としてJ2に参入にしており、浦和とは全く異なるシチュエーションでのJ2加入を果たしたチームでした。


J2では異例の、日本代表の経験を有する選手を複数人擁する浦和。
それに対して、日中は地元のガソリンスタンドで務めながらJリーガーとの二刀流を果たす選手などを擁する水戸。

そんな【サッカーエリート vs 雑草魂】のような構図も相まって判官びいき的な注目も集めた試合は、
阿部敏之選手とピクン選手によるゴールを守りきった浦和が2−0で勝利。

勝点120点計画の達成に向けて絶対にしくじれない、そんな不安を表現するかのような曇天模様でしたが、
危なげない試合展開により掴んだJ2初勝利に、バックスタンドの片隅でホッと安心したのを覚えています。


その後の浦和は勝点120点とか言ってられないほど波乱万丈な展開となってしまい、
完全優勝はおろか2位での昇格も危ぶまれるほど切羽詰まった展開だった2000年シーズン。

最後の最後での劇的勝利によるJ1復帰のおかげで美談とされがちな2000年ですが、
当時を知る者としては決して美談なんかではなく、本っっ当に生きた心地がしなかった一年でした。

このような例えをしてしまうのは大変失礼で憚られますが、浦和レッズの3月11日というのも
「二度と経験したくない」「だけど決して忘れてはならない」とするような(ある意味での)メモリアルな日であったと思います。


#あの日のわたしたち