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3月8日(2014年) “We are REDS!”の重さを知った日

今年で30周年を迎える浦和レッズの歴史において、忘れてはいけない・大切にしたい日付というのが複数存在します。

・Jリーグ開幕初戦を迎えた5月16日
・J2降格を決めてしまった11月27日
・初のタイトルを獲得した11月3日
・初めてJリーグを制した12月2日
・初めてアジアを制した11月14日

他にも挙げれば枚挙に暇がありませんが、今回の3月8日という日付もクラブの歴史において「決して忘れてはならない」日付であるのは間違いないと思います。


そんな2014年3月8日の「あの日の私」は、いつものように埼スタに訪れ、いつものように南広場を散策し、
レディアファミリーの数少ない仕事を見るなど、思い思いに試合開始までの時間を過ごすサポーターの一人でした。

万博競技場での勝利を引っ提げて迎えたホーム開幕戦は、豊田陽平選手のゴールを守りきった鳥栖に勝利を献上。

残念な結果だったけど、シーズンは始まったばかり。一喜一憂するには早いよな…と自分に言い聞かせながら帰宅したところで、例の騒動を知りました。

後にこの騒動は、Jリーグ史上初の無観客試合という重いペナルティを課された上に、
複数応援団体の解散や各種応援スタイルの制限など、浦和レッズのサポーターにとっても大きな転換点を迎える出来事となってしまいました。

当時は「また一部の人が…」「今度は何をやらかしたんだ…」といった、浦和人の中でもどこか自分とは無関係な反応が多かったように記憶しています。

しかし、そんな「一部の人」が起こした出来事は、サッカー界に留まらず世間や日本社会、さらには海外にまで知れ渡るほどの広がりを見せることに。

日本代表戦以外にサッカーのサの字も取り扱わなかった情報番組ですら番組トップで特集を組むほど、浦和レッズのみならず日本サッカー界にマイナスなイメージをもたらすには十分すぎるほどの出来事でした。

こうして下された無観客試合の処分には、何故に当事者だけの無期限入場禁止にできなかったのかとする意見もありましたが、
個人的には(言い方は悪いものの)「連帯責任」としての処分も仕方なかったのかなと思っています。

ここ一番での重要な局面や、クラブを象徴するフレーズとしても使用している“We are REDS!”を掲げている以上、
ごく一部の人が起こした問題であっても「自分とは関係ない」(=“We”ではない)というのはクラブの文化としても矛盾が生じるし、仮に個人だけ処分しても根本的な問題は解決しなかったと思います。

とはいえ、事件後の対応については未だに何をどうすれば正解だったのかは知る由もありませんが、
間違いなく言えるのは浦和レッズにとって「2014年3月8日」はクラブの歴史に残る(残すべき)日であること。

月日が流れてこの事件が風化されつつあり、色々と「喉元過ぎれば熱さを忘れる」事態に繋がるのが懸念されますが、
当時を知る者として現代〜後世の浦和人にもこの教訓・戒めを語り継がなければならないな…というのを切に感じている次第です。

※自戒の意味も込めて、Twitterでのヘッダーは長年にわたり2014年3月8日のゴール裏を設定してあります



#あの日のわたしたち