3月10日(2001年) “反撃の浦和”
まさかのJ2降格という憂き目にあい、雌伏の一年となる2000年シーズンをJ2リーグ2位の成績でJ1復帰を果たした2001年。
日頃から「世界に輝け!」というフレーズを入れたチャントを歌いながらJ2の舞台で戦うというのは、
「こんなハズではない」「ここにいるべき俺たちじゃない」という受け入れ難い現実との戦いの一年でもありました。
そんな厳しいJ2での戦いを終えて、ようやく「居るべき場所」への帰還を果たした浦和レッズ。
この年のOSCのスローガンにも採用されていた
“REDS STRIKE BACK!”
という内容からもお察しできるように、クラブ・サポーターにとっても2001年はこれまでの鬱憤を晴らし、借りを返さんとする「反撃の一年」にしようという意気込みで始まったのが3月10日の名古屋との開幕戦でした。
この日の私は、義務教育の絶賛真っ只中におり遠距離アウェイには赴けなかった身。
テレビ中継も満足になかった時代ですので、たしかJ’s GOALさんの速報電話でスコアを確認して敗戦を知ったと記憶してます。
(それに比べて、現代の全試合生配信という環境がなんてありがたいことか…!)
意気揚々と開幕したブラジル体制の2001年でしたが、最終的に「現実は甘くないぞ」というのを突き付けられた一年でもあったなと思います。
とはいえ、この年の悔しさがあったからこそ翌年以降の躍進に繋がったのかな…というのも後年になって感じた部分もあったので、
結果的に「反撃の浦和」としての記念すべき第一歩目となったのが、この名古屋戦だったのかなと。