What is the Culture?
(おことわり)
本記事には、私個人の考えに基づく意見・主張を含む内容となっております。
特定の個人や団体等について否定・批判する意図は全くございませんので、それをご了承頂いたうえでお読みください。
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2024年7月20日に開催されたJ1リーグ第24節・浦和レッズvs北海道コンサドーレ札幌において、
試合前後でサポーター界隈において賛否両論、様々な物議を醸した呼び掛けがありました。
その内容がコチラ。
「スタンディング文化」
1993年から浦和レッズを応援する私も、この日に初めて見聞きしたフレーズ。
このフレーズの解釈を巡って、浦和サポーター界隈では様々な意見や議論が飛び交う事態に発展しました。
この呼び掛けの内容をザックリまとめると、試合前の選手入場時はビジターを除く来場者が総立ち(=スタンディング)して選手を迎えましょう的なもの。
昨年まではシーズンの大一番やタイトルが懸かるような「ここぞ!」の試合で実施されていたスタンディングについて、
今シーズンの途中頃からホーム・アウェイ問わずにほぼ毎試合前に実施することが呼び掛けられていました。
最初のうちはGWなど大入りとなった試合や強豪チーム相手の試合が重なったこともあり、
大勢の観客で埋まったスタンドが一斉に立ち上がって選手を迎える光景は「壮観」の一言で、選手の士気高揚には十分なものでした。
そんなスタンディングでの応援、これまでは応援をリードする北ゴール裏の中心やそのメンバーの方々がスタンド各所へ足を運んだ呼び掛けで実施してきましたが、
今節の試合では呼び掛けと共に上記のメッセージ用紙が埼玉スタジアムの全座席に貼り付けられていました。
このような貼り紙によるサポーターへの訴求は過去にも行われていたので、特に珍しいものではなく大騒ぎするようなものではありません。
問題だったのは、その表現の内容について。
このメッセージを読んで、好意的に捉えたサポーターは呼び掛けに賛同する意思を示す一方で、
「何様のつもりだ」
「観戦スタイルを強制させるな」
「協力ではなく、強要させるのは違う」
などといった否定的な意見も多数見られました。
スタンディングを好意的に捉える方々からは、このネガティブな反応をさらに批判する意見が飛び交うなど浦和サポーター内でも対立する構図が発生する始末。
何故、同じサポーター内でこのような対立が生まれてしまったのか。
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※ここからは私個人の見解と想像に基づく内容が含まれます。
「それは違うのでは?」と思っても、そんな考えもあるんだね的な
寛大な心でお読み頂ければ幸いです。
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まずは、メッセージの表現方法について。
前述した通り、この手のメッセージ用紙を使用した呼び掛け自体は過去に何度も行われています。
ただ、従来では大一番の試合や「ここぞ」の場面で行われたペーパーを用いたアジテーションが、今節のような「特に何も懸かっていない」試合で行われたことは珍しいものでした。
とはいえ、コンコースや場外ではなくメイン・バックを含む全座席に貼られていたことから、
この主張を一人でも多くの人に届けたい・伝えたいとする「サポーター有志」の並々ならぬ意気込みが感じられます。
しかし、指定席のシーチケホルダーである私はこの文面にちょっとした違和感を覚えました。
伝えたいとする狙い自体は決して間違っていないし、批判されるものでもない。
だけど、ちょっと表現が「強すぎる」うえに「何かが足りない」のでは…?という違和感。
これを北側ゴール裏の血気盛んなボーイズ&ガールズ、レディース&ジェントルメンにさらなる奮起を促す目的なら無問題だったはず。
ただ、基本的に着席での観戦ながらも「俺たちだってやる時はやるよ?」な方々が揃う指定席民からすると、
この表現と内容には眉をひそめる人がいてもおかしくないな…というのが率直な感想でした。
そしたら、案の定な賛否両論の議論に発展する始末。
好意的に捉えた人からすると『たかが数分立つだけで、何を文句言ってんだよ…』と思うのも当然です。
だけど、ここで問題なのは「立つこと」自体ではない。
本来ならスタンディングの応援を お願いする&される という内容なのに、この文面からは伝わってくるのは
「俺たちはこう思う。だから席種なんて関係ないから、お前らも立って応援しろ。」
そんなニュアンスの物言いに映ってしまったのも事実。
一緒になって◯◯をやっていきましょう!とする趣旨であるはずが、表現の中で何かが足りていないことで一転して『何様のつもりだ!?』という思考に至ってしまうのは無理もありません。
この他にも、スタンディング文化の実現には身体的なハンディキャップを抱えるサポーターへの配慮など課題もありますが、
本来なら皆で協力して最高な雰囲気を生みだしましょう!とする意図が、一方的な物言いと捉えられる表現になったのは少々残念なところでした。
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ここで私が思い出したのは、2013年6月以降に行われた「2ステージ制反対運動」について。
当時を知らない方々へ概要を説明すると、通年のシーズンを戦った末にリーグ王者を決めてきたJ1リーグが、
様々な大人の事情により2015年から1st&2ndの2ステージ制→チャンピオンシップによる年間王者を決める方式に変更するというもの。
この不公平感たっぷりなリーグの変更案に、いち早く拒否反応を示したのが浦和レッズのサポーター。
この案にNO!! の意思を表明するために、当時のコールリーダーはサポーターに向けて以下のような呼び掛けを行いました。
◎俺たちは2ステージ制に反対している
◎その意思を、次節の会場である日本サッカーの聖地・国立での試合後に俺たちの想いを盛大に伝えたい
◎賛同する方は各自でゲーフラ等のアイテムを用意して意思表明しよう
細かい表現は抜きにすると、伝えられたニュアンスはこんな感じだったと思います。
自分たちの考えを表明した上で、賛同する人は協力してほしい。
伝えたい意味合いは今回のスタンディング文化とほぼ同じなのに、この呼び掛けに対するアンサーは見事なものでした。
協力を呼びかけて賛同を得られたストリッショーネ。
一方で、強要とも受け取られたスタンディング文化。
この僅かで大きな違いは、「過程と結論が納得できたから」だと自分は考えます。
まず、2ステージ制反対運動についてはJリーグだけでなく日本サッカー界の歴史に汚点を残しかねない愚策にNO!!を主張するために、
浦和のホーム・埼スタではなく「日本サッカーの聖地・国立競技場」で行うことで日本サッカーの今後に関わる大きな問題だと認識してもらおうという意味合いも含まれていたことで、その一大事さから多くの賛同者が集まったのだと思います。
結果的に、この意思表明は浦和だけでなく他チームのサポーターにも波及し、これに呼応するかのように全国各地のスタジアムでも2ステージ制にNO!!を示すようになりました。
一方で、今回のスタンディング文化について。
私個人の感想と見解ですが、上記の2ステージ制反対を主張する場として国立競技場を選んだように「なぜ、総立ちを "文化" にする必要があるのか?」の部分の理由について有志の工夫が不十分だったのかな…と感じました。
改めて、メッセージの内容を確認してみます。
ざっくりと順番に分解して見ていくと…
◎浦和のために、もっとやれることがある(←そうですね)
◎だからスタジアム全体が総立ちとなる(←うん??)
◎全体から声と手拍子を響かせて圧倒的な雰囲気を作り出したい(←そりゃそうだけど…)
◎これを文化にしよう(←声と手拍子なら30年以上にわたる既存の文化ですよ?)
やや大げさに表現しましたが、考えから結論に至るまでの構成が整っていないことで主張の想いが伝わりにくいのかな…と感じた次第です。
(※起承転結の順番がめちゃくちゃな4コマ漫画を見せられたような感じ…?)
たぶん、構成の順番を並び替え&意見を補足すると次のようになるのかと。
◎もっとやれることがある
◎圧倒的な雰囲気を作りたい
◎そのために、声と手拍子を響かせたい
◎《だから、声と手拍子を一人でも多く取り組んでほしい》
◎《できれば、周囲の人も巻き込んでほしい》
◎なので、総立ちとなる《ことで応援のスイッチを入れたい》
◎《慣れてない人にも分かりやすい応援のスイッチとして「総立ち」を日常化したい》
上記の《》内は私が勝手に考えた補足意見ですが、大体こんな感じなのかと。
重要なのは「何のために」総立ちの応援を求めて、文化にしていきたいのか。
ここをハッキリさせれば、決して「総立ち」そのものが目的ではないことが伝わったのではないかと思います。
従来の手法で用いられた闘争心を呼び起こすような表現を優先し、理由の部分が明確ではなかったことが「スタンディングの強要」と受け取られた要因だったのかと考えます。
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次に、なぜスタンディング「文化」なのか。
正直なところ、私自身は応援にメリハリをつけたい派なので従来のように「ここぞ!」の試合でやりたい気持ちもあります。
だけど、有志側はそれではいけない、現状を変えていきたいと思ったからこそ今回の決断と行動に至った。
その理由と背景は何なのか。
いくつかのご意見に目を通してきた中で、腑に落ちた考えとしては「満員に弱い浦和」からの脱却を図りたいのかな?というもの。
実際に、ここ数年の浦和は埼スタで4万後半〜5万超の観客動員を記録した試合での勝率が著しく低いという課題があります。
観客が増えれば場内の雰囲気も圧倒的に増す…となれば理想ですが、実際には観客が多いほどピリッとしない空気や雰囲気に包まれる試合の方が多い印象です。
(※実際に、平日ナイターに駆け付けた2万人前後の方が最高の雰囲気をもたらせる試合もあったほど。)
クラブ側のたゆまぬ努力とアイデアによって、観客動員数を伸ばし続けている浦和レッズ。
だけど、どうしても「お客さん」の割合が増えてしまう大入りの試合だと人数相応の雰囲気をもたらすのが難しくなってしまう。
どうにかして「お客さん」をサポートの「当事者」に巻き込むような方法はないのか。
その答えのひとつが「スタンディング」を「応援のスイッチ」にすることで一人でも多く「当事者」になってほしい のかな?ということ。
・試合前に場内が総立ちで選手を迎え入れる。
・とりあえずお客さんも周囲に合わせて立ってみる。
・周囲の真似をして同じように選手へ拍手してみる。
たったこれだけでも、立派な当事者化の成功でしょう。
『指定席で応援をしたいけど、騒がしくしたら迷惑にならないかな…?』
そんな不安を払拭させる意味も含めての総立ちなのかなと。
手拍子ひとつにしても、その敷居を下げることで「ここぞ」の場面でも手拍子を合わせやすくなる。
声援はなくても、良いプレーに対する拍手だけで後押しできることもある。
あなたも浦和の選手を後押しする当事者の一人だとする「意識付けのお手伝い」を、スタジアムに集う皆様にもお願いしたい。
それこそが「スタンディング文化」がもたらす本質なのでは?と個人的に思いました。
今ここにいる我々だけでも声援と手拍子で後押しできるのは言わなくても理解している。
それを、我々だけでなく次に来るであろう人たちのために。
そのまた次の次の人たちのために…といった形で、熱狂的なサポートを"映え"のために記録するのではなく「当事者」となって一緒に生み出していく。
サポートの熱量と規模をさらにアップデートさせて、来たるべき2025年の"世界の舞台"でチームを後押しさせていきたい。
それを当然のごとくできるようにしていくための第一歩がスタンディングの「日常化」だと言われれば、
席種を問わず多くのサポーターからも理解されて賛同を得られたのかな…と勝手ながらに思いました。
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以上、色々と勝手な考えを書き連ねてみましたが、冒頭で述べたようにこれらの活動を精力的に取り組むサポーター有志の方々を否定・批判するつもりは全くございません。
むしろ、皆様の日頃からの活動が如何に大変なのかは理解しているつもりで、様々な厳しい状況においてもチームの後押しに繋げるべく知恵を出し、
今よりもっと良いサポートをしようと無償の愛を注ぎ続けて奔走と行動を続ける姿勢には心から感謝と尊敬の念を贈っても足りないくらいです。
(今年の7月における駒場の試合で、キッズスペースに集う「我々の未来」へのフォローなど見えにくい所でも大切にしてほしい部分をしっかり押さえて活動される姿勢には感銘をしております)
だけど、あと本当に少しだけここがさらに良くなると嬉しいな…と思うのがこれまでに述べてきた「理由の明確化」を図ること。
サポートはゴール裏だけがするのではなく、スタジアム全体で行うもの。
その全体の気持ちを一体化させて最高の雰囲気を作りたいのであれば、その考えや理念を理由なく一方的に押し付けるのではなく、明確にして理解してもらうこと。
今の有志の皆さんはその努力につとめているのを理解していますが、これまでの悪しき(?)風習や経緯などもあって目には見えない大きな「溝」が未だに埋めきれていないのを感じる部分もあります。
お互いがお互いを理解しきれていない現状において、いきなり『北も南も指定も関係ない』と言われても難しいものがあります。
真の意味で「文化」を作っていきたいなら、今まで以上に歩み寄ってお互いを理解しあう関係性を築いてほしいと思わずにはいられない。
そんな事を感じた、今回の「スタンディング文化」についての問題でした。
(たぶん、了)