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あえて「発信しない」という選択。

自分の感情や体験、アイデア、どんなものでもすぐにその場で簡単にシェアできる時代だからこそ、「自分の中でとどめておくこと」が逆に大切になってくるのかも。ちょっとしたことを自分のメモボックスの片隅に誰の目にも触れることなくそっとしまっておけるかどうかが、SNS時代の人々の精神衛生の鍵を握るのかもねっておはなしです。読んでいただけると幸いです。ではどうぞ!

情報発信媒体の乱立。

最初はみんな自分のバケツからあふれ出た言葉たちを吐き出すように綴っていたはずが、いつの間にか放流しすぎて、空っぽになるんじゃないかな。

今にも放出するものがなくなることに怯えている人たち、なくならないようにと必死に毎日何かを詰め込んでいる人たち、もう既にいるんじゃないかな。

誰かの目にとまったらなぁと、自分の承認欲求のため、あるいは本気で誰かのためになる、社会を変えるために主張したいと思って、自分の考えたコンテンツや自分のありのままの感情、体験を外部発信しているはずが、そのうち自分が勝手に他人に消費され、ただただ自分がすり減っていく、そんな感覚に陥っていきそう。

加えて、時に匿名の会ったとこもない人間から理由もなく傷つけられるのだからそりゃ身が持たなくなるわ。一億層クリエイター時代なんて。

時には心の中だけにとどめておくこと、そしてそれに慣れること。自分の中で温めておくだけでも満足できること。どうしても共有したい場合は自分の実世界の近場の人にだけシェアして評価してもらうことで承認欲求を十分満たせるメンタルを持つこと。

そんなことができるかどうかが、これから幸せに生きれるかを左右しそう。

SNSが台頭するまでは人々が当たり前に行ってきたものの、天井がなくなって上には上がいることをいつでもどこでも容易に知ることができるようになってしまった現代ではあまりにも困難なことなのかもしれないけど。

あえて全部は「発信しない」という選択。令和はその選択をできることが大事になってくるのかも。それが今後私たちを豊かにしてくれるのかもねって話。

といいながらこれを発信してしまう私はもう蟻地獄に落ちてしまってるのかも。

注)言語化して書くという作業と書いたものを不特定多数の人に発信するという作業は別物だという前提で話していて、あくまで後者について触れた記事であります。かといって、発信することを非難するのを目的とした記事でもありません。まだまだ想像力も文章力も乏しく、色々と誤解が生じてしまうような書き方で申し訳ないです。それにも関わらず、読んで下さった方、ありがとうございます!!!

私なんぞにご支援いただける方がこの地球上におりましたら、もう控えめに言ってあげみざわエクスプローションします。