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「社会」は手段であって目的ではない.「芸術」は目的であり、手段ではない.しかし,「社会」を目的であると捉え(違え)るために,「芸術」について語ることを忌避するのだろう.


 観察すればするほど対象に対する知識が増えていく。対象の像の輪郭を結ぶ線がくっきりと浮かびあがっていく、というよりはむしろぼやけていく。ぼやけたすえに対象の認識は解体されていく、その一連の過程はキュビズムが対象を分析的に捉えることとよく似ている。

 夜中の2時くらいまで画家の青年と喋って、僕たちは友達同士になった(と少なくとも僕は思っている)。2人で芸術はなにか? を熱く語りあったあの夜を、僕は忘れてしまったとしても、血肉には刻みこまれているだろう。

「(僕にとっての)芸術とは、純粋に自分のための創作である、ということだ」と言った。「しかしひとつだけ条件があって」画家の青年は僕のことを見ていなかった。それでも構わず喋り続ける。「紡がれる言葉は社会に接続されたものでなければならない。社会に接続するというのは、「社会貢献」という意味ではなくて、社会に通用する表現、というくらいの意味である」

 と毎夜熱く語りあっている。自室に戻っても興奮からなかなか醒めず、うまく眠れない。アラームが鳴る前に起きてしまう。しかし2時過ぎまで語らいあったその日はいつも眠る前に書くようにしている、この文章をしたためることができなかった。

 その翌朝も、友人からLINEがあって、友人の作品を観て感想を述べた。
「言葉というものに興味を感じる」と話してくれたかれの作品は、造形と「言葉」がセットになってひとつの美術になっていた。だから、他人から「言葉に頼らずに造形一本で勝負すべき」と意見されてもそれはべつに気にする必要はないんじゃないかな? と答えた。

 なぜなら、かれの造形とセットになっている「言葉」は、造形のあとで余談的に生じたものではなくて、造形と同時に、あるいは造形よりも前に生まれた造形の素であるからだ。ゆえにセットにされて展示される必然性はある。かれは絵の具はメディウムだと言った。同様に、この作品においては「言葉」もまたメディウムのひとつなのではないか、と僕は考えるのだが、どうだろう。

 作品を観せていただいた、お返しにひとつ作品を送った。『No. 1 Pure Pedigree』という、ジョルジュ・ブラックの半生からインスピレーションを得て作成した物語詩集。画家のかれに送るなら自分の作品のなかで最もこれが相応しいだろうと思った。

 そして僕とかれとは別れた。かれは今夜はレジデンスに滞在しないと言っていた。僕が滞在するのは明日まで。明朝にはここを発つのでこの滞在期間中にはもう会わないだろう。けど、かしこまったあいさつなんてしなかった。まるで今夜もまた顔を合わせるかのような気さくな調子であいさつをし、別れた。近いうちにまた会えるだろうと思っていた。こういうのは、男同士の友情っぽいな、とも思った。



 ふだん人と関わっていて、相手の性別を気に掛けて自分の対応を変える、なんてことはあまりしていないし、しないようにしているつもりだが「性」についての話をし始めると否応なしに自分の性別と相手の性別に意識を向けることになる。

 芸術と性は紐づいている。

 すべての芸術が、というわけではない。もちろん例外もあるだろう、しかし多くの場合、芸術と性は紐づいている。芸術について話した僕たちは同時に性についても話したことになり、性について話した以上互いの性別に意識を向けざるを得ない。

 というわけで、男同士の友情なんてものを柄にもなく感じてしまったのだ。

 こんなに誰かと、真剣に芸術について話したのはいつぶりだろう。僕の所感だが、このような話は演劇人とは、なかなか弾まない。演劇人は芸術というものをどこかうすら寒いものと思っている節があるし、演劇人にとっては、「芸術」よりも「社会」のほうがよっぽど重要なのだ。純粋に自分のためにする創作(芸術)はひとりよがりで自慰的だとさえ罵られることもある。純粋に自分のためにする創作と自慰をイコールで結ばないために、社会に接続された表現が必要になるのだと思う。つまり、「社会」は手段であって目的ではない。「芸術」は目的であり、手段ではない。しかし多くの演劇人は「社会」を目的であると捉え(違え)ているために「芸術」について語ることを忌避するのだろう。

 純粋に自分のためにつくる(芸術)という視座がない人たちは社会に求められるものをつくり、いつか社会から作品が求められないようになれば簡単に創作をやめてしまう。持続的に創作をしていくためにも「芸術」の視座を身につけよう。自分独自の美意識を醸成しそれに基づいた価値基準を形成し、壊し、形成することを繰り返そう。結局続けられたものだけが(自分自身に)勝ち続け、続けられた者だけに見渡せる地平がある。僕はそれを自分の眼で、確認してみたいと思う。画家のような個人創作者にはそのような力強さ、根気みたいなものが具わっていると思う。



今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。 これからもていねいに書きますので、 またあそびに来てくださいね。