ぽっきの隠遁生活

精神病院の心理療法家として長年勤務し無事退職。 終活にむけて「たましい」と向き合おうと…

ぽっきの隠遁生活

精神病院の心理療法家として長年勤務し無事退職。 終活にむけて「たましい」と向き合おうとするものの、 よくわからず、自分の未熟さを痛感する毎日である。

最近の記事

心理療法のテーゼとアンチテーゼ

上田先生の「個人心理療法再考」をいま読んでいます。 よくまとまっているし、いろいろ考えさせられるところもあるし、いい本です。 ただ不思議なのは、なぜこんなに自分の意見を書くことを戦々恐々とおこなっているのでしょうか。 「誰かを怒らせるんじゃないか」と遠慮がちに筆を進めているのが見えて、それが今の臨床家たちを苦しめているのだろうと思いました。 その正体がわからないんですけどね。 「河合隼雄の亡霊」でもいるのかなあ。 臨床心理学の基本形は、ウィトマーの昔から「心理検査→見

    • 顕在性不安尺度について

      病院で使われる検査に「顕在性不安尺度」があります。 MASと略したりする。 名前の通り、不安の強さを測る質問紙だけど、 MMPIという心理検査からの抜粋だったりする。 MMPIは500問以上あるので、 不安に関する項目だけに絞って60問ほどになっている。 ということは、MASの項目はMMPIでもあるわけです。 だいたいMMPIのHs尺度、D尺度、Pt尺度からできている。 不安と言っても、この三尺度の複合体なわけです。 あまり、そうした面を強調している研究は見たことないけど。

      • アサーティヴ・リスニング(調律的傾聴)

        積極的傾聴と呼ばれるのに、教科書を読むと受動的に見えますね。 何もしゃべらず「ふんふん」話を聞きましょう、とか。 それのどこが active なんだろうか。 アクティヴですよ、アクティヴ。 もっとバシバシ行動的じゃないとアクティヴにならないじゃないですか。 なんで「ふんふん」言うのがアクティヴなんですかね。 まあ、そんな不満があるわけで。 積極的傾聴 active listening のニュアンス、間違ってるんじゃないか。 アサーティヴって呼んだほうがまだ伝わると思いました

        • 心理療法に正解はないけれど

          病院で多いのが、イジメやパワハラでうつ状態になったクライエントの相談。 これ、心の病いとか、そういうことかなあと思う。 だって、自分の身に危険が迫っているんだから、 職場に行きたくないなんて当たり前じゃないですか。 身体が拒否反応を示す。 電車に乗ろうとすると吐き気がしてくる。 急に足に力が入らない。 いくら寝ても疲れが取れない。 人と顔を会わすのが怖くなる。 どれも「その場所は危険だ、今すぐ逃げろ」と身体が警告している。 それらは症状ではあるけれど、病気と言えるだろうか。

        心理療法のテーゼとアンチテーゼ

          生存と実存

          noteはTwitterの引用、できるのかな。 ともかく、東畑さんの下記のような疑問です。 この指摘は鋭いですね。 臨床心理学が実存から生存に重点を移し始めた。 その契機が2000年代の始まりにあるだろう、と。 たぶん、その通りです。 パッと思いつくのは国家資格の問題でしょうか。 臨床心理士の資格が1990年代に国家資格になるような話があって、 でも精神保健福祉士や救急救命士は資格化されたのに 臨床心理士は民間資格のままにとどまった。 あれからおかしくなったんじゃないかな

          対人関係療法を組み込む

          1980年にWHOが心理療法の効果について調査をしました。 認知療法はベックが直々に参加。 精神分析はサリヴァン派のクラーマンがスーパーバイズした。 うつ病の患者さんをランダムに振り分け、保健師が面接をする。 ともに週一回の面接で13回。 つまり3か月の間の変化を調べるものでした。 結果は予想通りというか、どちらも7割の人に改善が見られました。 向精神薬を使うと8割ほど改善するので、それよりは低い。 その代わり、3か月で服薬をやめると再発する。 薬は症状に効果はあるものの、

          対人関係療法を組み込む

          自動思考記録表にある思想

          フロイトの時代には毎日治療を受けるのが当たり前だった。 一日一回診療所に訪れ精神分析を受ける。 たぶん当時の医療全体がそうだったのだろう。 病気の間は家庭医が毎日往診し病状の経過を確認する。 それが当然とされていた。 でも、そうなると貴族や有産階級のように、 時間的な余裕のある人しか受診できないことになる。 この問題はフロイトも自覚していて1912年の論文で 「庶民も心理療法を受けることができる時代がやがて来るだろう」 と予言している。 そのときは国策として治療費は無料にな

          自動思考記録表にある思想

          ストレス脆弱説は面接の基本である

          長く心理面接をしてきてあまりぶれなかったものに、ラザラスの「ストレス脆弱説」がある。 精神症状の発生の仕方を公式化したものだ。 単純だけれど、奥が深い。 経験を重ねるたび「そういうことか」と気づく。 この仮説を数式っぽく表現すると下記のようになる。 (生得的脆弱性 × 環境ストレス)/心理的対応力 = 精神症状 精神症状は三つの変数の関数とみなされる。 それぞれの変数を見てみよう。 1. 生得的脆弱性 誰もが身体のどこかに脆弱性があり、ストレスがかかるとその部分が反応す

          ストレス脆弱説は面接の基本である

          体験の体験には他者が必要かな

          「意識すること」が「体験を体験すること」だとすると、 「体験を追体験してもらった体験」が基盤にありそうに思います。 子どもの頃、夜中にふと不機嫌な気分に襲われたとき 「今日はいっぱい歩いて疲れたよね」と言ってくれる人がいると 「そうだ、花見に行ったんだった。疲れたなあ。 花びらが雪みたいに降って、たこ焼き、美味しかった」と思える。 あるときは自分に声をかけるように「楽しかったね」と呟く。 そうした体験を反復しながら、追体験してくれる他者が内在化し、 それが「意識」の核になる

          体験の体験には他者が必要かな

          認知行動療法の哲学

          認知を変えるということは体験の受け取り方を変えることである。 行動を変えるということは新しい体験を作り出すことである。 だから認知行動療法は体験との関わりを中心に置いている。 個人を体験と意識に分割し、その間の交流を問題としている。 「問題とする」とは問題視することではない。 「考察の対象にしている」ということである。 そこには何らかの哲学があるはずだ。 体験しつつ意識する存在という人間観。 「関与しながらの観察」とは心理療法の特権ではない。 常日頃の生活そのものが「関与」

          認知行動療法の哲学

          見田宗介という人について

          日本の社会学を切り開いた見田宗介。 懐が広い人なので、どういう人か説明するのが難しい。 著書はわかりやすい。 なるほどそういう切り口があったかと感動します。 でも、何が書いてあったか説明しようとすると行き詰まる。 言葉にできない。 こういうのは天才の仕事だなと思う。 そうした見田宗介に「入門」するには対談集がいい。 聞き手に同一化すれば、少なくとも何かは伝わってきます。 河合隼雄との対談もあるけれど、入りやすさでは大澤先生のがおすすめ。 お弟子さんですからね、先生の本質を掴

          見田宗介という人について

          風邪の効用

          野口整体の創始者。この本はそのエッセンスが書かれている。 風邪を引くと頭が重い。何も考えたくない。身体もだるくて何をするにも面倒くさい。熱がこもるし、背筋は寒い。咳は出るし痰は絡む。食欲も出てこない。 この風邪の症状を「健康な働き」と野口は考えている。活元運動。季節の変わり目になると、次の季節に備え身体が作り直される。動物たちの毛が生え変わるように。自動車が車検で整備されるように。そのための休止期間が「風邪」ではないかという提言です。 実際、風邪で寝込むと身体が緩む。冬

          認知行動療法のすすめ

          熊野先生がわかりやすい解説をしてくれています。 最近は第三世代の発展系が模索されていてソマティック・エクスペリエンスなど出てきていますが、まず基本となるところ。 五要因の相互作用は考えますよね。 それと、原因を探るよりも、悪循環のパターンを分析して、それを維持している要因を見つけること。 この二つは大切だと、あらためて思いました。

          認知行動療法のすすめ

          『極限の思想 ラカン』

          この本はダメだろう。 ラカンについて知っていることが前提の入門書。 入門になってない。 「私はこんなにラカンを愛している」という一方的なラブレターである。 でも着眼点は面白い。 「テュケー」はセミネールの初めからラカンの関心事であった。 ラカンはアリストテレスに依拠している。 でも、従来の解説はソシュールやヘーゲル、ハイデガーを取り上げ、その延長にいる構造主義者ラカンを描くばかりであった。 これではラカンの意図は伝わらない。 変なラカン派が跋扈するばかりだ。 ちゃんと「テュ

          『極限の思想 ラカン』

          ハリー・スタック・サリヴァン入門

          面接の第二段階の「偵察 reconnaissance」に衝撃を受けた。実はこの概念、ラカンの『フロイトの技法論』にも出てくる。クライエントの現在の主訴に傾聴しながら、その話に出てくる「他者」について質問しつつ、対人関係の側面を探索し深めていく。そうした聞き方のコツが「偵察」である。 フランス語のreconnaissanceは「再び共に生きること」というニュアンスを持ち「再認」と訳されることもある。「共に生きる」とは「他者とともに生きる」であり、ハイデガーの「共存在 Mits

          ハリー・スタック・サリヴァン入門

          情動と感情

          うまく使い分けできない言葉に「情動」と「感情」がある。この二つはどう違うのだろうか。 心理学を大学で習ったとき、英語にemotion, affect, feeling, moodの区別があることを教わる。それぞれ、情動、情緒、感情、気分と訳しわける。でも、そのあと心理学の本を読むと、この訳しわけが守られていない。とくに臨床心理学関係は全滅である。英語に当たらないと、何を指しているかさえ判別できない。臨床心理学でこそ、この区別が重要だと思うのに、無頓着に使われている。 では