心理療法のテーゼとアンチテーゼ

上田先生の「個人心理療法再考」をいま読んでいます。

よくまとまっているし、いろいろ考えさせられるところもあるし、いい本です。

ただ不思議なのは、なぜこんなに自分の意見を書くことを戦々恐々とおこなっているのでしょうか。
「誰かを怒らせるんじゃないか」と遠慮がちに筆を進めているのが見えて、それが今の臨床家たちを苦しめているのだろうと思いました。

その正体がわからないんですけどね。
「河合隼雄の亡霊」でもいるのかなあ。

臨床心理学の基本形は、ウィトマーの昔から「心理検査→見立て→アドバイス→トレーニング」です。
初めは名人芸であった心理検査や見立てが、統計学を取り入れることで標準化され、誰もが経験に頼らず同じようなカウンセリングを行えるようになった。

でもその展開は、カウンセラーの枠組みでクライエントを捉えることになるし、そこから出てくるアドバイスはクライエントにはハードルの高いものになりやすいので、効果のほどが怪しかった。
それでアンチテーゼとしてロジャーズの非指示療法が出てきます。
心理検査をしなくても、傾聴することで問題の整理をし、クライエント自らが自分で方針を立てられるように援助する。
そうしたデザインが提案されます。

実際の心理療法は、ウィトマー型とロジャーズ型の弁証法として進みます。
古いテーゼを基本形に据えていれば、アドバイスもトレーニングもカウンセリングの一環です。
ただそれには弱点があるのでアンチテーゼで補う。

そのスタンスでいるとカオスにはならず、かといって型にもはまらない「一期一会」な出会いが生じます。
そこがプロとしての心理療法でしょう。
お金が取れるサービスになる。

これは将棋と同じで、まず定跡を身につけてから「実戦は定跡通りに進まない」と習うものです。
習熟しても、桂が二段飛びしたり金が斜め後ろに下がるわけではありません。
駒の動かし方は初心者と同じです。
ただ「定跡の意味」を深く考えるので、定跡から逸脱しても指し続けることができる。
それが習熟ということです。

「定跡通りには進まないから」と定跡を蔑ろにするのは本末転倒です。
上田先生の本を読むと、どうやら今の時代はアンチテーゼをベースに据えているように思います。
前提に無理があるから実践で無理が生じる。
あるいは「アンチテーゼのアンチテーゼ」を出さざるを得なくなる。
東畑先生の「ふつうの相談」もそうかな。

でもこうしたプロセスも必要なのかもしれません。
たぶん、パラダイムシフトが起きる前兆なのでしょう。
新しい弁証法のために皆さん苦労しておられる。
ここから臨床心理学がどう展開していくか、ですね。

この数十年は資格問題の議論に費やされて、それはそれで仕方ないけれど、本来あるべき「臨床心理学とは何か」がおろそかにされてきた。
資格の方が一段落して、やっと次の段階に入ったということでしょうか。

期待してますよ。

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