自動思考記録表にある思想

フロイトの時代には毎日治療を受けるのが当たり前だった。
一日一回診療所に訪れ精神分析を受ける。
たぶん当時の医療全体がそうだったのだろう。
病気の間は家庭医が毎日往診し病状の経過を確認する。
それが当然とされていた。

でも、そうなると貴族や有産階級のように、
時間的な余裕のある人しか受診できないことになる。
この問題はフロイトも自覚していて1912年の論文で
「庶民も心理療法を受けることができる時代がやがて来るだろう」
と予言している。
そのときは国策として治療費は無料になるだろう。
毎日の受診は難しいから週に一度の診察になるだろう。
そして、今で言う暴露法や症状処方のアイデアも書いている。
まだワトスンの行動主義心理学もなかった頃だ。
フロイトの天才性には驚かされる。

さて、毎日行うのが望ましいのに、面接は週一度しかない。
その場合どうすればいいか。
そのために考え出されたのが自動思考記録表だと思う。
要するに、その日起こった出来事を毎日振り返る。
そのための時間を作る工夫である。
心理面接の代用品と考えてもらうとわかりやすい。

自動思考記録表にはいろいろ流派がある。
基本にあるのがベックのABC理論である。

A(起こった出来事)→B(浮かんできた考え)→C(その結果)

この三項目を記録する。
技法によって「反証」やら「対処」やら追加項目があるが、
個人的には三項目で十分と考える。
前回のストレス脆弱説と絡めやすいからだ。
「起こった出来事」はストレス脆弱説の「環境ストレス」、
「浮かんできた考え」は「認知コーピング」、
「その結果」は「精神症状」に当たる。
ストレスがそのまま症状になるのではない。
間でコーピングが行われ、その結果精神症状が表れる。
コーピングによって気分が軽くなったり重くなったりする。
その関係をモニタリングしてもらうのがこの記録の意図である。
どういうコーピングがその人には有効か。
そのデータを集めるために記録表は欠かせない。

と同時に、この記録自体が「体験を体験する」になっている。
自分の中に「自分を観察する意識」を育てる。
実際に混乱に巻き込まれているときに意識化は難しい。
時間が経って気持ちが落ち着き、振り返りながら記録を書く。
そうすることで、自分が何に巻き込まれていたか整理する。
モニタリング自体に症状を和らげる効果があり、
たとえばタバコを吸う本数を記録するだけでも
喫煙量は自然と減っていく。
ストレスの存在に気づいてあげることがストレス軽減になる。
認知療法の基本戦略である。

とはいえ、記録表をそのまま使うことは現場では珍しい。
毎日記録表を書いて振り返ることができる人は
お医者さんとの診察だけでも十分回復されるので、
心理士には紹介されないからだ。
病院の心理士は「話をもっと聞いてあげたい人」か
「そもそも話すのが苦手な人」が紹介されやすい。
記録表を毎日書くのはそれだけでもエネルギーが要る。
「混乱から回復したら」と気軽に言うが、
その「回復したら」の時間がなかなか訪れない。
急がば回れ。
まずは週一回でも振り返る練習をする。
その入口の役目を心理士は担っている。

なので、話の聞き方は記録表をなぞる感じになる。
どんなことがありましたか。
それについてどう思いましたか。
そのことでどんな気分になりましたか。
この三つを押さえていくと、それがモニタリングになる。
気分を聞かれると混乱がぶり返すなら、そこは聞かない。
安心して取り組める範囲を振り返っていく。
振り返ることで安心感が増す。
その好循環が起こるレベルを探す作業に心理療法はなる。

最近「どんな気持ち?」と尋ねることがイジメとして使われている。
感動ドラマに仕立てようとするマスコミの真似事と思うが、
イジメやパワハラの被害者には嫌がらせのように響く。
ここが難しい。
主観的な考えや気分を尋ねることは侵襲的である。
デリケートな領域に踏み込むことだ。
そのことを意識しながら質問を組み立てる配慮が必要である。
でも聞かないわけにもいかないし、やはり難しい。

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