心理療法に正解はないけれど

病院で多いのが、イジメやパワハラでうつ状態になったクライエントの相談。
これ、心の病いとか、そういうことかなあと思う。
だって、自分の身に危険が迫っているんだから、
職場に行きたくないなんて当たり前じゃないですか。

身体が拒否反応を示す。
電車に乗ろうとすると吐き気がしてくる。
急に足に力が入らない。
いくら寝ても疲れが取れない。
人と顔を会わすのが怖くなる。
どれも「その場所は危険だ、今すぐ逃げろ」と身体が警告している。
それらは症状ではあるけれど、病気と言えるだろうか。
むしろ、健康な反応じゃないだろうか。

ただジェイ・ヘイリーが「とはいえクライエントに、
『これは社会の問題です。
社会が良くなるまであなたの苦しみはなくなりません』
とも言えないしなあ」と嘆いた気持ちもわかる。
社会の問題ではあるけどね。
イジメやパワハラを温存している社会構造がある。

世界を見ても、ロシアがウクライナにしているのはパワハラだし、
そのロシアに経済制裁をする欧米もパワハラです。
仲間はずれにして解決すると考えるところがよくわからん。
でもそうした方法論が「常識」とされるところが根深い。
上がそれなら下もそれに倣う。
虐待の問題もそれだろうし、LGBTもそれ。
力で押さえつけることがまかり通る。

なのでセラピストにできるのは「病気を無くす」と考えないことです。
病気は身体の奥底からのメッセージ。
それを力でねじ伏せるなら、それもまたパワハラです。
自分がされて困ることを自分自身にしてしまう。
二重のパワハラになっては出口がなくなります。

幸い、心理療法には「病気を無くす力」はありません。
まったく無力です。
クライエントと一緒に困るしかない。
困りながら「これからどうしていこうか」と考える。
イジメに対して何もしてくれない会社ならやめようかなあ。
やめたとして、それからどうしていこうか。

何かしなきゃ、と焦る気持ちが湧いてきます。
他のところに行っても同じことは起こるよ、と思ったりする。
でもそういうのは、自分の心に棲むパワハラの種。
だって、よく聞けばパワハラ上司の口癖がそれだったりする。

上司はパワハラの種を発芽してしまったのでしょう。
生きるのが苦しかったんだろうな、と分からないでもない。
仲間を増やしたくて部下たちに種まきしていたのでしょう。
これは発芽させてはいけない。

生きることに意味があるのでしょうか。
そう聞かれることがあります。
わかりません。
意味があるかないかは「生きること」を物差しにしています。
生きることを豊かにしてくれることが「意味がある」とされる。
だから、物差しを測る物差しはありません。
「生きること」自体の意味は測りようがありません。

あ、そんなことを聞いているんじゃないですね。
生きていくのが辛いということですから。
辛い人生がこれからも続くと考えると気が重くなる。
いつまで続くのでしょう。
定年まで?
定年は意外と早く来ますよ。
それはそれでたまらないですね。
ええ、ほんとに。

パンドラの箱からあらゆる災いが飛び出し世界を満たした。
ただ箱には小さな妖怪が残っていて、それは「希望」と名付けられた。
じゃあ、希望も災いの一つなんでしょうか。
そんな話にも見えますね。
希望を持つと余計苦しんでしまう。
いや、希望くらいは手許に残しておきたいけど。
変な神話を持ち出しましたね。
人類は昔から同じ悩みを繰り返しているのでしょう。

あるとしたら、まず無力から始める。
少なくとも自分にはパワハラをしない。
力によって他人を抑えようとしない。
フロイトが「抑圧」で考えたのもそんなところか。

だから心理療法は「傾聴」から始まります。
でも、パワハラの種に耳を貸してはいけませんよ。
耳を傾けるのは小さな災い、その人の「希望」のところです。
ここあたりはラカンに同意します。
「自分の欲望を他人に譲ってはいけない」。
そこが「生きること」の核の部分ですから。

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